日本の捕鯨船を南氷洋で襲撃したシーシェパード号の乗員に対して、威力業務妨害で逮捕状が出されました。国際的にも手配されるようです。


 これ自体は「ふーん、そうか」という感じでしょうが、今回画期的なことが一つありました。それは「海上航行の安全に対する不法な行為の防止に関する条約」という条約が適用になったことです。これは国際的なテロ法制の一環として締結された条約です。実は私はかつてこの条約の改正交渉の担当をやっていたことがあり、ある瞬間においては相当に詳しかったことがあります。ということで、もうかなり忘れましたが思い入れも深いのです。国家公務員法の守秘義務違反にならない程度に解説します。


 この条約、何のために作られたかというと、ちょっと面白いのです。元々国連海洋法条約には海賊を犯罪化する規定があります。


【国連海洋法条約第101条 海賊行為の定義】
海賊行為とは、次の行為をいう。
(a) 私有の船舶又は航空機の乗組員又は旅客が私的目的のために行うすべての不法な暴力行為、抑留又は略奪行為であって次のものに対して行われるもの
i.公海における他の船舶若しくは航空機又はこれらの内にある人若しくは財産
ii.いずれの国の管轄権にも服さない場所にある船舶、航空機、人又は財産
(b) いずれかの船舶又は航空機を海賊船舶又は海賊航空機とする事実を知って当該船舶又は航空機の運航に自発的に参加するすべての行為
(c) (a)又は(b)に規定する行為を扇動し又は故意に助良するすべての行為

 

 難しいですが、何となくこれだけが犯罪化されれば十分じゃないかなと思うでしょう。そうではないのですね。よく読むと、船舶等を外から襲う行為を海賊としているのです。つまり、船舶の中に良からぬ考えを持って乗り込んでいる人間がいて、その人間が公海上で船舶の乗っ取りを行う場合(シージャック)についてはこの海賊の定義の対象外になるんです。その条約上の定義の穴を抜けてしまったのが、1985年に起こったアキレ・ラウロ号事件 という、国際法を勉強している方なら知っているであろう事件です。まあ、詳細はリンク先に譲り省きますが、この時、アメリカは上手く関係国との連携が行かず、結局犯人の一部を取り逃がしてしまいました。そういう経緯から、シージャック行為についても、国際的な処罰の網の目を張り巡らそうということで作られたのがこの条約なんですね。ということで、以下では「シージャック条約」と言います。


 このシージャック条約、訳を探してみたのですが見つけることが出来ませんでした(仕方ないので英文のリンク だけ貼っておきます)。この条約では、伝統的な海賊行為のみならず、船舶に対するかなり幅広い不法行為が違法化することを求めています。船舶を襲う、船舶上の人間に危害を加える、船舶に危険物を置く、船舶の機器を壊す、インチキ情報を流すといった行為を「犯罪化しなさいよ」ということが求められているわけです。


 そして、この条約の特徴なのですが、ラテン語で「aut dedere aut judicare」と言われる原則が取り込まれていることです。これは「引渡しか、訴追か」ということを意味するそうです。つまり、そういう犯罪を犯した人間が国内にいたら、その国は自国法で裁くか、でなければ関係国に引き渡しなさい、という義務を課しているのです。ここが重要でして、とどのところ「この条約上の犯罪を犯した人間は逃がさんぞ」という決意を示しているわけです。理論上は、世界のすべての国がこのシージャック条約を締結したら、シージャック犯は南極にでも逃げない限りは、何処の国にいても裁かれるか、でなければ関係国に引き渡されてそこで結局は裁かれることになるわけで世界で逃げ場がなくなりますよね。そういう理念を追求したのが、このシージャック条約なのです。ちなみに、今、世界にはテロ関係の条約というのが10以上ありますが、大体の条約においてこの「aut dedere aut judicare」の原則が盛り込まれています。今のテロ関係法制を考える上では、無視することの出来ないトレンドと言っていいでしょう。


 そして、条約上、引渡しをする際の細かな手続についても規定されています。元々対象国間で犯罪人引渡し条約がある場合、ない場合等、色々なケースがあるのですが、何としても「aut dedere aut judicare」の原則を貫徹して、海賊やシージャックというテロリストに対する網の目を張り巡らせるぞということですね。そういう中、日本でも法改正をして、刑法第4条の2に国外犯の規定が設けられているわけです。一番極端な例を挙げるならば、イタリア人が公海上のオーストラリア船舶においてシージャック行為を行っていて、その後日本に潜伏していることが判明した場合でも、日本は刑法上訴追することができるということですね。それくらい強い条約ということなんです。


【刑法第4条の2(条約による国外犯)】 

第2条から前条までに規定するもののほか、この法律は、日本国外において、第2編の罪であって条約により日本国外において犯したときであっても罰すべきものとされているものを犯したすべての者に適用する。


 さて、かなり省いたつもりでしたが、それでも導入が長くなりました。このシージャック条約が初めてシーシェパード号に対して発動されました。どういう手続で逮捕状が出され、そして国際的に手配されているのかはよく分かりませんが、ともかく日本としては「今回のシーシェパードの行為はシージャックであり(恐らくは国連海洋法条約上の海賊に当たるはず)、シージャック条約で犯罪化されている。だから、犯人がいる国に引渡しを求めつつ、もし引き渡さないならおたくで処罰してくれ。」、そういうことになるはずです。本来であれば、滞在国は恐らく欧米の何処かでしょうから間違いなくシージャック条約の締約国であり、この条約に則った対応が求められます(つまり、日本への引渡しか、その国での訴追)。


 ただ、これは難しいですね。捕鯨に対する反発が欧米諸国に蔓延している中、シーシェパードの行った行為をシージャック条約の犯罪と定義してしまうことは、その国の政府にとって国内世論との関係で一定のリスクがあります。多分、シージャック犯滞在国はあまり真剣に対応してこないのではないかと思います。


 それでも、日本は一旦このシーシェパードをシージャック条約上の犯罪とする決断をしたわけですから、テロ防止条約の精神を貫徹するためにも強く、犯人滞在国に引渡しか、訴追かを求めていくことが筋です。警察幹部が「まあ、逮捕状出してもダメだろうな。象徴的な意味合いが強い。」みたいなことを言っていると報道にありましたが、警察幹部からしてそういう国際的なテロ対策の網の意義を損なうようなことを言ってはならないでしょう。滞在国が判明したら、その国に対してしつこく「これはシージャック条約での犯罪だろ?違うなら違うとする根拠を挙げろ。」と詰め寄るくらいの対応がないのであれば、日本のテロ対策というのは絵に描いた餅だと思います。


 今回のシージャックへの逮捕状、意外に渋いネタが潜んでいるのですね。国際的なテロ法制のあり方にも関わる重大な一歩だと私は思っています。