グルジアとロシアの関係が悪くなっています。紛争の対象は南オセチアという地域で、この州都ツヒンヴァリではロシア軍(+南オセチア軍)とグルジア軍が対峙していました。


 実は私はこの南オセチアの近くにかつて行ったことがあります。プライベートでグルジア旅行をした際、「ロシアとの国境まで行ってみよう」と思い立ち、冬の真っ只中にグルジアとロシア国境(北オセチア)のカズベギという街まで行きました。カズベギ自体は南オセチアではないのですが、ロシア領である北オセチアの首都ウラジカフカスに繋がる地域ということで、当時から「グルジア政府の権力が及びにくい地域だから行くのは避けといたほうが良い。しかも、冬なので道路も危ない。」と言われていましたが、興味と関心があったので無理をしていきました。大コーカサス山脈のど真ん中でしたね。細かいことはココ に書いてあります(この旅行記ではカズベギを南オセチアだと勘違いしています。)。


 なお、相撲で言うと、グルジアは黒海の生まれ故郷、北オセチアは露鵬、白露山の生まれ故郷になりますね。黒海は南オセチア出身ではありませんが、グルジア出身ではありますので、次の場所でこれらの力士の取組はあるのだろうか、と変な関心を持っています。


 紛争については報道が既になされているので、あまり補うことはないのですが、この紛争はそもそもロシア革命時に生み出されたといってもいいでしょう。当時の経緯はよく分からないのですが、革命後早い段階で南オセチアはグルジア共和国、北オセチアはロシア共和国に編入されています。民族の違いを排して、共産主義という理念を前面に打ち出すためという好意的な見方も出来ますし、中央アジアなどでも行われているように民族分断の意図があると見ることも出来ます。まあ、表向きは前者の理念で覆いつつ、ホンネは民族分断の意図があったのでしょうね。タジク・ウズベク・キルギスの入り組んだ構造、ナゴルノ・カラバフをめぐるアルメニアとアゼルバイジャンの紛争・・・、まあ、ソ連という国は罪作りだよと思わずにはいられません。


 南オセチアといっても大した人口がいるわけではありません。10万人程度です。大半はコーカサスの山でして、まあ、ロシアの後ろ盾がなければとてもグルジアとやりあう力はないでしょう。ソ連時代から、グルジア共和国内においては南オセチア分離運動というのがありました。特にグルジア・ナショナリズム的なものが勃興し始めて、かつソ連が崩壊したのを気にボッと火がつきました。そもそも、「オセチア人」という独立した意識を有するグループが存在するのかどうか私には分かりません。ただ、一つ感じたこととしては、今の南オセチアの「大統領」と称する人の名前がココイトゥイというのですが、この名前、スタンダードなグルジア人の名前ではないんですね。そこから、歴史的にはグルジア人とオセチア人は切り離されていたんだろうなと勝手に類推しています(ただ、同じグルジア語でも北西部と首都付近では全く異なる言語に聞こえるそうです。4000年の歴史がある国ですからね。)。


 今回の紛争というのは、元々南オセチア独立(正確にはグルジアからの分離とロシアへの編入)の動きがロシアの後ろ盾で活発化し、グルジア中央政府へのハラスメントが強化される中、グルジア中央政府が業を煮やして南オセチアに進出したら、今度は後見人のロシアが「自国民保護」といった理由を付けて大規模に介入してきた、まあ、そんな感じでしょう。短期的な視点で見ると、「南オセチアにおけるナショナリズムの高まり」みたいなことがきっかけだと思うでしょう。それも間違いではないのですが、元々1980年代からそういう動きはあったわけで、グルジア独立後、シュヴァルナッゼ大統領の下でも南オセチア問題というのはあったのです。しかし、当時はこういうかたちで大きくなることはありませんでした(シュヴァルナッゼもロシアとの関係には苦慮していましたが)。それが今回、戦争状態にまで発展した背景には、やはりロシアの存在があります。


 今のサーカシヴィリ大統領は、ロシアとの対立を厭わないことで有名です。親露のシュヴァルナッゼ大統領を放逐しての大統領就任ですし、就任後も親米、親EUで、ロシアとの距離を取ろうとしています。まあ、元々アメリカのジョージ・ワシントン大学卒業で、アメリカの弁護士事務所に勤めていて、今でもアメリカの国籍を持っているんじゃないかという噂が絶えません。NATO加盟、EU加盟を進めようとするサーカシヴィリに対して、ロシアが徹底的にハラスメントをしている、その一環として南オセチア分離問題というツールを使っているわけです。その証左といっては何ですが、今回の南オセチアでの紛争勃発後、直接には関係ないもう一つの(ロシアとグルジアの)紛争地域アブハジアでも戦線が開かれています。これを見て、今回の南オセチアでのゴタゴタは、ロシアによる反グルジア作戦がきっかけだと思わない人はいないでしょう。


 南オセチアには一応、大統領と首相がいるのですが、大統領は上記のとおりココイトゥイというオセチア人ですが、首相はロシア人のモロゾフという人物で、この首相がお目付け役なのでしょう。大体にして、ロシアが紛争地域にインチキ臭い政治体(共和国とか)を作る時は、大統領には地元の人間(多分、能力が高くない)を就けつつ、そして首相とか補佐官クラスにガッチリとロシア人を押し込んで実質的に支配するということが一般的です。南オセチアもご多分に漏れず、そのケースだろうと思います。


 まあ、今回、見た目の上では、最初はグルジア軍が戦火を切ったかたちになっていますが、上記のようにロシアがきっかけを作っていると見ていいように思います。それにしても、今回のロシアの力の入れようは並ではありません。プーチンが北オセチアに入って陣頭指揮をとり、もう南オセチアなど脇においてロシア・グルジアの直接対決状態です。私が思ったのは、ロシアは何処までこの南オセチアに関与し続けるのだろうかということです。そもそも、チクチクと南オセチアを使いながらグルジアにハラスメントをしている最中、ここまで事態が拡大することを想定していただろうかと思います。実はロシア側から見ても「ここまでグルジアが強気で出てくるとは思わなかった」ということなんじゃないかと見ています。勿論、ロシア軍が本気を出せば、グルジア軍がどんなに兵器の近代化をしていても、相手にはならないでしょう(それでもかなり手こずっているようですが)。ただ、これだけガチンコをやってしまうと、ロシアはかなり長期間南オセチアに駐留しなくてはならなくなるように思います。でないと、ロシア軍が出て行った後の南オセチア軍なんてのはグルジア軍には敵わないでしょうから。実はロシアは出口戦略が描けてないのではないかと思います。


 ところで、何故、こんなにサーカシヴィリが対露強硬路線なのかというと、多分「自分の背後にはアメリカも、EUもついてくれる」という思いがあるからでしょう。アメリカにとってはかわいい子分くらいの感覚じゃないですかね。なお、トリビアですけど、サーカシヴィリ政権の初代外相はサロメ・ズラビシヴィリ。グルジア外相になる前は、在グルジア・フランス大使でした。在フランス・グルジア大使ではありません。フランス外務省に勤めていた、グルジア系フランス人外交官でした。サーカシヴィリ政権ができる際に、サーカシヴィリが当時のシラク大統領に頼んで、当時グルジアに勤めるフランス人外交官(多分、二重国籍)だったズラビシヴィリを外相に迎え入れたということでした。ある意味ダイナミックですし、フランスというのはしたたかな国だと思いましたね。その後、グルジア政界から反発を受け、外相を辞任し、今は野党側に回っています。


 ちょっと話がそれましたが、現下のグルジア情勢は暫く明るい展望はないでしょう。ということで、今回も主要国の談話を見てみました。ただ、今日は長くなってきたので、これは次回にします。