「徹底的に愛は」というドラマを知っている人は、もうそう多くはないでしょう。1993年の年末に放映されたドラマでして、舞台は外務省。もうよく覚えていないのですが、たしか仙道敦子が外国でトラブルにあって、それを外務官僚の内藤剛志が助け、その後、仙道敦子が妻子ある内藤剛志に惚れ込んで尽くしてしまう。それを見た吉田栄作は仙道敦子に惹かれ・・・、みたいな内容だったと思います。このドラマの主題歌「今を抱きしめて」 は結構なヒットでした。


 当時、外務省入省予定者の大学生だった私は、当時の人事課長に真顔で「あのー、外務省の中って、あんな感じで男女の関係が盛んなんでしょうか?」と聞いて(本当はもうちょっと直裁的に聞いてますけどね)、呆れ顔をされたのを思い出します。


 内部から見ての感想は・・・控えますが、少し小難しく言うと、外務省という組織は「公」に対する考え方が世間一般と少し違うかなということです。日本で言う「公」とヨーロッパで言う「パブリック」との間には大きな乖離があるように私は感じますが、どちらかと言うと外務省内文化は「大陸系欧州のパブリック」に近いように思いましたね(何を言っているか分かりにくいですね。小難しく言い過ぎましたが、要するにサルコジ仏大統領、ベルルスコーニ伊首相のような感性が通用する方が相対的に多いということです。)。


 このドラマ、正直なところ大ヒットとへ言えませんでした。私も「うーん、世間の(外務省に対する)ステレオタイプと純愛を結び付けただけ」という感想を抱きました。えてして、官庁モノ、政治モノのドラマというのはそのまま取り上げると退屈なので、ステレオタイプによるイメージ作りがなされることが多いです。


 何故、こんなことを書いたかというと、昨日終わった「Change」にも似たようなものを感じたからです。有名どころを配役したこともあり、そこそこの視聴率を確保したようではありましたが、現実との乖離があまりに大きいので、感情移入できなかったですね。最後に「解散総選挙」で終わり、「うーん、これが社会に一大ムーブメントを起こせるか?」と一瞬頭をよぎりましたが、すぐに「まあ、ないな」という結論になりました。


 あれならむしろコメディにした方が良かったんじゃないかなと思ったりします。やっぱり、シリアスな政治モノというのはドラマになりにくいと思うんですよね。なかなか現実にはそんなドラマティックなことばかりがあるわけじゃないですし、シナリオを作りすぎると却って白々しくなる幣があります。ただ、そこで更に思ったのは、日本のTV局には政治をコメディに仕立て上げる力が欠けているような気がします。古くはイギリスの「Yes, Prime Minister」などは名作ですし、フランスの人形劇「Guignoles de l'Info」なんてのはかつて実際の政治に多大な影響を発揮していました(Guignoles de l'Infoは、1995年大統領選の際、シラクを親しみある感じに描き、世論形成にかなり貢献しました。)。


 政治でコメディを作るというのは難しいのです。「Change」を作るよりも遥かに勉強しないといけません。そこでお茶の間の方に分かりやすく、笑えるように、しかも風刺を利かせて構成していく力が求められます。そもそも、政治というのはコメディになじむ要素がたくさんあります。そこを様々な制限を乗り越えつつ、作り上げていく力が要ります。そういう番組ができないかな、それが日本の政治力の向上にも繋がると思うんだけどな、そんなことを思いました。