お役所が遅くまで働かなくてはならない原因として、最近「質問主意書(格の高い文書質問)」という制度があるせいだ、と言われることがあります。質問主意書については、かつて思うことを結構詳細に書きました(ココ )。以下の文章はこの以前書いた文章をある程度前提に書いています。


 たしかに、質問主意書が来るとお役所は大変です。国会議長から総理大臣に当てられた文書質問に対して、1週間で返事を打ち返さないといけないというのは結構苦痛です。特に内閣法制局という関門で、一言一句厳しく詰められてしまうプロセスは苦痛です。書類の詰まった重い荷物を持って、内閣法制局という場所まで行くのからして、私は嫌いでした。


 この質問主意書、たしかに役所に対しては相当な負担になります。これがあるために深夜タクシーになることもあります。質問の内容如何によっては、そもそも全省庁が振り回されるケースもあります。あまり無茶な質問を出したり、大量に質問をぶつけたりして、濫用してはいけないということは身にしみて感じます。一部議員は「これは国会議員の有する行政に対して質問する権であって制限してはいけない」みたいなことを言いますが、それもこれも程度問題だと思います。


 私は出す側と出される側、両方を見ているのでよく分かるのですが、国会議員側(特に野党)が質問主意書で文書できっちりと回答してもらいたくなる気持ちもよく分かるのです。先の参議院選挙前なんかだと、野党議員が会議をやる際、お役所に説明を求めても何も出てこないのですね。しかも、質問してもシレッと「それは答えられません」とやられてしまう。では、国会の委員会で直接大臣等に質問をぶつけても、あまり実の入った返事はない。かつては大臣答弁なんていうと、お役所とビッチリすり合わせた答弁であることが常だったのですが、最近は結構自由に話す大臣がいたりして、そういう大臣になると国会答弁にあまり信頼性がないのですね。まあ、大臣がお役所の振付に一から十まで従わないことは良いことだと思いますけど、結構野党議員にとっては「んで、権威があって、中身のある回答は何処に聞けばいいの?」というフラストレーションが溜まるんですね。


 そういう流れがあって、部内会議も、国会審議も信頼性という意味であまり当てにできないから、文書質問でガチガチに聞いていくというスタイルを好む議員が出てくるのです。私は今、どうしても野党側にいるので弁護調になりますが、野党の議員が質問主意書で聞いてやろうと思いたくなる背景は理解してもらえると思います。


 ただ、私が見る限り、この制度を上手く使いこなしている議員はほんの数人ですけどね。大半の議員はやたらと大量に質問をぶつけては物量でハラスメントをやっているだけです。真の意味で知的に真剣勝負がやれている人は少ないです。逆に言うと、あれを上手く使いこなされると役所は辛いです。


 私は質問主意書という制度を使ってむやみやたらに大量の質問をぶつけることには反対です。むしろ、お役所が「うーーーーーん、困った」と悩みたくなるような厳しい質問をぶつけるようになれるよう議員側の研鑽が求められていると思います。


 質問主意書と残業の関係について書こうと思ったら、テーマがずれてしまいました。最近、こういうのが多くなってきました。頭の働きが低下しているのかもしれないと危惧しています。