ハンドボールのオリンピック予選の関係で色々と揉めていました。アジア・ハンドボール協会(AHF)に対するアラブ諸国の影響が強く、カタールで行われた予選で不可解な判定が連発したことに端を発しています。その後、国際ハンドボール協会がやり直しを命じたことが、クウェートのアフマドAHF会長の怒りを買って、東京五輪招致にまで影響が出そうな感じです。


 これ自体は私はよく分かりません。「まあ、アラブの国ならそれくらいのことはやるだろうな。」というのは直感的に思いますが、ハンドボールのことをよく知らない人間があれこれ論評するのは避けておきます。今日はちょっと違ったテーマです。


 先日、この件でテレビを見ていたら日本ハンドボール協会の会長が「中東の国と同じアジアと言われても違和感がある」みたいなことを言っていました。まあ、日本人の感覚からすると「アジア」と言えば東アジア的なものを連想するでしょう。中東、特にアラブ文化的なものを連想する人はそう多くないと思います。


 ただ、言語学的にはそうでもないのです。元来アジアというのはアナトリア高原(現在のトルコ)辺りを指していました。何故、アジアと呼ぶようになったかについては色々な説があるのですが、一つ有力と言われているのはアッシリア人が話していたアッカド語で「太陽の昇る」という言葉をassuと言い、「太陽が沈む」という言葉がerebと言っていたというものです。そして、assuがAsiaになり、erebがEuropeになったということらしいのです。私はこの説が結構好きです。ただ、これには少し難点があって、アッシリア人が住んでいたのはアナトリア高原の東側(現在のシリア辺り)でしたので、アナトリア高原はereb(つまりは西側)になってしまうのです。


 Wikipediaを見ているとその他の説も色々と書いてありますが、いずれにせよ、「アジア」というのは最初はどちらかと言うと中東に起源のある言葉です。そして、エジプトやギリシャと対比するかたちで、アナトリア高原の地域やペルシャ帝国を指していたわけです。そう考えると「中東をアジアと呼ぶのは違和感がある」とはなかなか言いにくいですね。アラブ人から言わせると「本家本元はこちらなのよ」ということになるかもしれません。


 何の役にも立たない単なるウンチクですけどね。