「そもそも、FTA(自由貿易協定)というのは何なのか」そういう問いを投げかけることも最近はなくなりました。普通の人は「どういう要件であればFTAが認められるのか」なんてことを考えるきっかけもないでしょう。


 世界の貿易というのは、本来は「無差別」というのが原則になっています。日本がアメリカ産に科す関税と、中国産に科す関税というのは同じでなくてはならない、これが大原則です。世界貿易機関というのはそういうところに基礎があります。しかし、一定の要件を備えたら、特定の国にだけ特別に関税を更に下げてあげてもいいですよ、という例外も認められています。これがFTAです。


 実はこの「一定の要件」というのが具体性を欠いているのです。WTO協定という条約には、「実質上、すべての関税を撤廃したらFTAを認めてあげてもいいよ」という書き方がしてあります(正確にはちょっと違います。ご関心のある方はGATT24条8項(b)を見てください。)。つまり、実質上、すべての関税を撤廃するということは、事実上市場が統合するようなものだから、そこまでやるのなら(市場が統合する)特定の国には関税を撤廃してあげてもいいよということです。ここで問題になるのは「実質上すべての」ということです。「実質上」ですから例外があるんだろうというのは想像できるところです。では、その例外をどの程度認めるのかということに議論は進みます。


 ここでEUは「概ね9割(つまり例外は1割)」という感じの内規を持っています。まあ、そこまでやればケチを付けられることはなかろうということですね。実は日本は昔はFTAを認める要件についてかなり厳しいことを言っていました。1997~8年くらいまでは、日本はFTAをやるつもりがなかったので、やっている国に対しては「きちんと関税撤廃をやらんかい。実質上というのは厳しく解釈しなきゃいかん。」と言っていたわけです。GATTという条約を非常に厳格に解釈して、ある意味「純潔主義」を貫いていました。


 しかし、日本もFTAに踏み切るようになります。最初はシンガポールでした。農業の全くない国とのFTAから練習していったわけです。それでも農林水産省は「農業分野開放反対!」とシンガポールに対してすら厳しい反応をしていました(たしか、農林水産省関係で揉めたのは「金魚」じゃなかったかと記憶しています。)。それまで純潔主義を貫いていたのに、一旦FTAをやるようになるとそのあたりの基準はズルズルとなし崩しにあっていきます。次のメキシコとのFTAの時はもう「9割撤廃」みたいなことは何処かに行ってしまいました。たしか、関税撤廃率は金額ベースで78%くらいだったはずです(実は金額ベースなのか、品目ベースなのかは大きなイシューなのですがここではあまり詰めません。)。


 あまりの豹変振りに、当時WTO交渉担当の課長補佐だった私が農水省の方に「そもそも、FTAというのはWTO協定という一般法の例外ですよ。ローマ法以来の法の原則として『例外は限定解釈する』というのがあるんですよ。あなたのように例外をどんどん拡大解釈するようなことをしていったら、一般法たるWTOルール自体がダメになっていくんですよ。」と非常にウンチク垂れな指摘をしたら、「うるせぇんだよ、ローマ法か何か知らんけど、うるせぇんだよ(ガチャン!)」とやられたことがあります。


 私はきちんと「どういう要件を満たしたらFTAを認めてもいいのか」ということをしっかりと考えたほうがいいと思っています。


 まず、実現可能性を排除して考えていいのであれば、FTA自体にサンセット条項を設けてみてはどうかと思います。つまり、例えば締結後30年経てばFTAで特定の国に提供している利益はすべての国に提供するようにしなくてはならなくするといった感じのことです。FTAをやってもいいけど、いずれはその利益はすべての国に等しく与えるようにするということですね。どうも私はFTAに一抹の胡散臭さを感じるので、30年くらい経てばFTAによる特別扱いは消滅させていいんじゃないかと思うわけです。


 あと、もう一つは数値基準的なものです。EUが内規としている「9割」基準が参考になるでしょうが、これとて解釈は分かれます。どう具体的に実現させるかということですが、これは私の腹案があります。かつて外務省時代に提示してみたことがあるのですが結局誰も関心を持ってくれませんでした。しかし、この案の現実性と簡潔性には今でも自信があります。FTAの要件を満たすためには、以下の要件を満たすようにするということです。非常にテクニカルで、意味をご理解いただける方は本当に少数だと思いますが備忘録的に書いておきます。


【品目ベースで考える場合】
{(関税を撤廃した品目数)+Σ(関税を削減した品目の関税削減率)}÷(全品目)>0.9


【金額ベースで考える場合】
{(関税を撤廃した金額)+Σ(関税を削減した品目の貿易額)×(当該品目の関税削減率)}÷(総貿易金額)>0.9


 このアイデアのポイントはΣ以降の部分が加わっているところです。これまでのFTAの判断基準はすべて「関税を撤廃したかどうか」に絞られてきました。関税撤廃かどうかだけを考慮するのであれば、上記の式のΣ以下の部分は不要です。しかし、実はFTAの中では関税撤廃までは行かないけど、かなり汗をかいて関税削減に努力している分野もあります。これまで「9割」等の判断基準に一切取り込まれていなかった、この関税削減部分をプレミアムとしてきちんと評価してあげようじゃないかというのが私の意図です。


 これで計算すると、例えば、FTAである品目で100%から30%まで関税を下げると、関税削減率は70%ですから品目ベースでの計算だと0.7品目の関税撤廃にカウントします。そして、数量ベースだと仮にその品目を年1億円輸入しているとすると、7000万円分は関税撤廃した金額に算入するということです。これですと関税撤廃が全体の78%くらいと言われた日本とメキシコのFTAでももう少し上積みして(90%に近い)良い数字が出せると思います。


 これで折り合えないのなら、もうどんな案を出してもFTAにルールのたがをはめようという試みは失敗するでしょう。そして、世界は「無差別」原則からどんどん乖離し、秩序なき貿易構造が定着していきます。日本みたいな大きな経済の国はそれでもいいのかもしれませんが、「無差別」原則の中で本当に大きな利益を得ており、FTAの世界にあまりお呼ばれしない途上国にとっては決して幸せな世界ではないでしょう。