アフガニスタンでタリバーンがまた復権しつつあります。この件に関し思いは尽きないのですが、テロ特措法とも絡みがないわけではないので書いておきます。


 私のタリバーン観というのはちょっと一般の方とは違います。まず大前提は「田舎者」だということがあります。長年のアフガニスタン内戦で貧しい生活をしていた若者達に対して、パキスタン軍の情報機関ISIが(パキスタンの)クエッタ辺りにある宗教学校(メドレセ)で非常に偏ったイスラム教育を与え育て上げたのですね。タリバーンというのは「神学生達」という意味です。パキスタンは、1990年代前半に荒れていたアフガニスタンに、このタリバーン達を送り込みました。まずは南部カンダハールを制圧し、最終的にはカブールや北部、西部も制圧しました。中央アジアへの要路、商業路を確保したいパキスタンの思惑があったと言っていいでしょう。


 タリバーン政権時代を一つ誉めるとするなら「治安が良くなった」ことがあります。1990年代の内戦時代は首都カブールから南部のカンダハールまで幾つも「関所」があって通行料を取られていました。そういうのは綺麗さっぱりと一掃されました。ケシの栽培については、「実はタリバーンは推奨していた」、「いや、ケシ栽培撲滅にある程度取り組んだ」と色々な意見がありますが、一つ確実に言えるのは「今よりは栽培量が少なかった」ことです。今、世界の麻薬の8割とも9割とも言われるケシの栽培はアフガニスタンで行われています。


 タリバーンと言うと、「文化の否定」とか「女性の権利否定」などと言われます。それは事実です。文化と宗教を明確に区分した上で、既存の文化的なものをすべて宗教で覆ってしまい、その中から「新しい文化」を生み出そうとしたわけです。そこで生み出された「新しい文化」は、当の本人達はコーランに沿った生き方だと思っているのでしょうが、実は「コーランに沿って生きていけばこういう世界になるに違いない」と思って作られたものなのですね。「想像」の中のみに存在する世界を具現化しようとしたという意味で、実はイスラム主義というのは復古運動と言うよりも新体制運動だと私は思っています(当の本人達は認めないでしょうけど)。これは昨今のイスラム主義者に共通した傾向でしょう。あまり極端な言い方は良くありませんが、タリバーンのやっていたことに共鳴する人は実は中東には結構多いのです。


 まあ、彼らの決定的な転機はビン・ラーディンを抱えるようになったことです。単なる田舎者に巣食ってしまったビン・ラーディンという人物によって、彼らは完全に世界の嫌われ者になりました。多分、パキスタンの目から見ても、タリバーンがビン・ラーディンを抱えるようになったことは想定外のことだったでしょう。世界観の狭い、お山の大将に過ぎなかったタリバーンはどんどん変質していきます。そもそも、タリバーンという組織の中に「自爆テロ」なんてことは内在しない論理だったように思いますが、今ではどんどんやらせているみたいです。バーミヤンの石仏破壊なんてのも、彼ら自身の発想の中から出てくることではなかったでしょう。


 今、アフガニスタンではまたタリバーンが復権しつつあります。南部カンダハール周辺ではタリバーンが支配権を強めています。パキスタンが後ろで糸を引いているのでしょうね、きっと。もはや誰からも振り向かれないタリバーンを推すことでパキスタン軍部は最終的に何を目標にしているのか、ちょっと私には想像がつきません。


 以前もちょっと書きましたが、今のアフガニスタン大統領ハミード・カルザイに期待することはもう無理です。タリバーンを復権させるなんてのはもっての外ですが、アフガニスタンという大きな国を統一する具体的な価値観として「イスラム」を掲げることはそう荒唐無稽な話ではないように思います。ともかく、今、アフガニスタンに必要なのは「治安の回復」です。そのためには西欧的価値観によるところの基本的人権や民主主義を打ち出すだけでは無理でしょう。私はアフガニスタンという国が本当に安定するのであれば、当面、初期のタリバーン政権の統治とまでは言いませんが、欧米の人権活動家から見ればちょっと如何なものかと思いたくなるような統治であっても受け入れざるを得ないという気がします。


 イスラムという価値観でアフガニスタン統一のための機運を作る、口で言うのは簡単ですが、すぐには実現できる話ではないでしょう。まずはパキスタン軍部を上手く取り込むことからなんですかね。