フランスのニコラ・サルコジ大統領が先日セネガルを訪れた時のことです。大学で講演をして、概ねこんなことを言いました。「奴隷制、植民地化は紛れもない犯罪であり、人類に対する犯罪である。しかしながら、今のアフリカが被っている不幸や困難を欧州諸国に押し付けてはいけない。独裁、汚職など自分自身にも問題があることを認識し、共に歩んでいく姿勢が必要。」(ちょっと正確性に欠けるかもしれませんが)。


 これがアフリカでは不評ですね。早速、AUのコナレ事務局長などが反発していました。まあ、サルコジ大統領は国内でアフリカからの移民に厳しい政策を採ろうとしていますから、その政策と「アフリカにはアフリカの責任がある」という発言との間に繋がりを見出そうとしている向きもあります。


 まあ、サルコジ大統領の言っていることはある意味正論かなという気もしますが、その一方で「それを言っちゃあいかんだろ」というのが正直なところです。たしかにアフリカにある独裁や汚職そのものがすべて欧州によるものとは言えないでしょう。しかし、アフリカの人達は、現状の様々な問題は過去からの継続であって、過去に奴隷制や植民地化がなければ現在のアフリカは別の途を歩んでいたはずであると思っています。欧米的な基準でいうところの発展という観点からは、仮に植民地化がなかったと場合であっても現状より発展しているかというと疑問があります。ただ、今とは全く違ったアフリカがあったことだけは確実です。歴史に「たら」「れば」は意味がありませんが、アフリカはもう少し細分化された政治体の集合になっていたんじゃないかなと感じます。多分、国民国家の制度の中では説明し得ない大陸になっていたような気がします。


 植民地化の悲劇という時に、私が一番最初に思い出すのは意外かもしれませんがポルトガルです。コロンブスに代表されるように一番最初に植民政策に乗り出し、アフリカにも相当に早い時期に入っていきます。近代になると国力が元々小さかったので保持できた植民地は現在のモザンビーク、アンゴラ、サントメプリンシペ、カーボベルデ、ギニアビサオ(+ブラジル)だったのですが、これらの国からの撤退は他の欧州諸国と比べても非常に遅いです(1975年前後)。つまり、一番最初に入って一番最後に出て行った勢力というわけです。しかも、ポルトガルは国力が小さいため、搾取の対象としてしかアフリカを捉えず、まともな植民政策をしていませんでした。ポルトガルはロクに学校も作らなかったので、えてして上記の国々の教育の水準は低いです。そして、大半の国は近年まで内戦が絶えませんでした。ある程度まともな植民政策をしていた国では内戦は起こりにくいものです。


 もう一つ「こりゃヒドいわ」と思うのが、フランスのギニアへの対応です。1950年代、アフリカには独立の機運が醸成されていきました。そういう中で、フランスは自分の植民地を連邦制度の中に取り込み、フランスの一部として維持しようとしました。1958年にフランス連邦に留まるかどうかということを、アフリカの各地は選択することを迫られました。ギニアを除くすべての地域はフランス連邦に残る選択を示しましたが(まあ、その後まもなく全部独立するのですが)、ギニアのセクー・トゥーレは歴史に残る名文句「豊かな従属よりも貧しい独立を選ぶ」という言葉と共に独立を選択しました。これに対して、フランスのシャルル・ド・ゴールは「そこまで言うなら貧しい独立を実現させてやろうじゃないか」と言ったかどうかは知りませんが、実際にはフランス人をすべてギニアから引き上げ、ギニアを混乱の極地に陥れました。当時のギニア国内には大学教育を受けた人は1人しかいなかったという逸話を聞いたことがあります。国を運営していくための官僚組織が全く存在しなかったのですね。独立まである程度フランス的な文化を持ち込んどいて切り捨てたわけです。今、フランス語圏アフリカには、フランス中央銀行が買い支えしているCFAフラン圏があって統一通貨化しているのですが、ギニアはこれに入れてもらっていません。政治的にはセクー・トゥーレ独裁が続いた後、クーデターで現在のランサナ・コンテの治世が続きます。ずっと不安定な状態が続いています。正直に言えば指導者のレベルが低いのです。私はこれは植民地化と、その後フランスと距離を置いたことへの徹底的なお仕置きの遺産だと思っています。


 また、アフリカの欧州諸国に対する不信感については、現在に至っても介入してくる欧州への反発があります。典型的なのはコンゴ共和国。この国には元々独裁色の強かったドゥニ・サスー・ンゲッソーという大統領が1980年代にいましたが、1990年以降の民主化の動きの中で92年の大統領選でパスカル・リスバに負けてしまいました。リスバは少しフランスと距離を取ろうとします。コンゴ共和国は石油が結構出るので元々フランス企業のエルフが参入していたのですが、この利権に手をつけようとしたのです。ここで怒ったのがフランス。シラクはリスバと仲良くしているように見せかけましたが、最終的にフランス政府はエルフと組んで1997年に大統領選+内戦でリスバを追い出し、フランスに忠実なサスー・ンゲッソーを再度大統領に据えました。決してリスバという人間が立派な人間だったとは思いませんが、エルフという石油企業が政府まで担ぎ出して一国の大統領を放逐する姿は、アフリカの怒りを買うに十分です。今でもサスー・ンゲッソーは大統領職にありますが、目が血走っていて、どう見ても「おまえの手は血で濡れているよな」と思いたくなる人物ではあります。こういう例は他にも結構あります。資源絡みでアフリカの国の内政に今でも手を突っ込もうとする欧州諸国は、アフリカに対してモラルを語れるでしょうか。


 長くなりましたが、最後にアフリカの欧州諸国に対するメンタリティを説明しておきます。ジンバブエという国があります。昔は南ローデシアという国で、イアン・スミスという白人の下でアパルトヘイトをやっていました。その後、今のロバート・ムガベの元でのアフリカ系への政権移譲が行われるのですが、ずっと肥沃な土地は白人が保持しつづけました。ジンバブエは効率的な農業国として結構名を馳せていたのですが、その基盤には白人が持つ肥沃な土地と効率的な農場運営がありました。1990年代後半からムガベはこれに手をつけました、それもかなり乱暴な方法で。事実上、アフリカ系住民が白人所有の土地を奪っていっても目を瞑る政策に出たのです。その結果、肥沃で効率的な農場はどんどん収奪され、白人系ジンバブエ人は簒奪の憂き目に遭ったのです。その結果、土地はきちんと管理されずどんどん荒れ果てていきました。生産性の観点からだけ見れば状況は単に悪化しただけです。これに激しく反発したのが英国。白人系ジンバブエ人は実は二重国籍が多くて、英国籍を保持しつづけた人が多かったため、これを守るためにブレア政権は激しくムガベを非難しました。お付き合いなのでしょうか、アメリカもジンバブエ非難に回りました。ご丁寧なことに(イラク戦争後の)悪の枢軸7ヶ国(イラン、シリア、ミャンマー、ベラルーシ、北朝鮮、ジンバブエ、キューバ)の中にも入っています。「合法的に保有している土地を勝手に簒奪した上に、土地の生産性を大きく下げてしまい、国民に大きな被害をもたらした」というと「悪いやつやね、ムガベちゅうおっさんは」と思う方が多いと思います。アフリカの中の認識は全く異なります。少なくとも面と向かってムガベを批判する国はゼロです。せいぜい「もうちょっと別のやり方があったかもしれんな」くらいです。土地問題というのは、欧州諸国の植民地化政策の根幹をなす問題であり、逆に言えばアフリカ諸国にとってはこれ程機微な問題はありません。元々歴史的にアフリカに住んでいなかった白人が保有していた土地を取り戻そうという試みについては、それが若干荒っぽいものであっても非難するアフリカの国はないのです。日本や欧米のメディアを見ていると、ジンバブエという国は世界全体から批判されている国であるかのように思えますが、実際はそんなことはないのです。「まあ、欧米が怒っているからお付き合いで手法の批判くらいはするけど、しかしながらやっていること自体には密かに喝采を送りたい。ざまあ見ろ、白人。」というのがホンネなんですね。


 長々と書きましたが、こういう例に鑑みても「アフリカの現在の困窮はアフリカにも原因がある。」と言い切ろうとするサルコジ大統領の試みは「まあ、そんな発言ではアフリカの信任は得られんよ」と思わざるを得ません。歴史的にアフリカを搾取してきた欧州諸国は、倫理的に終わりのない責任を果たす義務があるだろうと私は思います。それが奴隷制と植民地を背景に儲けてきた欧州に課せられた業というものです。それは理性を超えた世界です。