韓国のキリスト教福音派系ボランティア団体がアフガニスタンでタリバーンに拘束され人質になりました。捕らえられているタリバーン兵士の解放を求めているとのことです。


 まあ、カブール政権や(その背後にいる)アメリカがそんなことに首を振るはずもないのは明らかです。人質作戦への譲歩は同種の事件の再発を招きます。どんなに韓国政府に泣きつかれても解放することはないでしょう。少し残酷なモノの言いになりますが、私はこの手の恫喝に屈しない姿勢を評価します。ハイジャック犯、テロリスト、人の恐怖心に違法なかたちで訴えて何かを実現しようとする人達に対しては断固たる姿勢で臨むのが筋です。イスラエルなどはそういうスタイルです。彼らは明確です、「絶対にテロリストと交渉しない。やったら世界の果てまで追っかけていく。」ということです。こういう考え方に対してソフトに「テロリストとも話し合えば分かり合える」みたいなアプローチを主張する人がいますが、まあ現実離れしてますね。日々街の何処かでドカンと大爆発が起きるかもしれないという恐怖感を持って生きる人が求めるのはそういうソフトなアプローチではありません。昔、イスラエル人に「9.11でようやく世界も気付いたようだ。我々はずっと昔からあの恐怖感の中で生きてきた。」と言われたことがあります。


(注:なお、私は中東和平問題でイスラエルの肩を持っているわけではありません。もう少しミクロの世界で「テロの恐怖の中で生きること」を考えるために提起しただけです。)


 小泉総理は、日本人誘拐犯からイラクからの撤退を求められ拒否しました。あの決断は辛いものだったと思います。日本人が亡くなったことは仕方なかったなどというつもりは毛頭ありませんが、それでも私はあの決断は正しかったと信じています。


 だからこそ思います、渡航禁止を法制化した方がいいんじゃないかと。世界には「行っちゃいけないところ」というのがあります。例えばアフリカの角と言われるソマリア、こんなところに足を突っ込むのは危険極まりないのです。イスラム主義勢力が力を伸ばしていて中央政府と対峙しています。中央政府には隣国エチオピアが支援をしていて、たしか北朝鮮産の武器がエチオピア経由でソマリア中央政府に行くのをアメリカは黙認したとかいう話を聞いたことがあります。武器が野放図に溢れていて、安全を確保する手段がありません。まあ、イラク(除くクルド人地域)なんかも行っちゃいかんです。私の知り合いでアフガニスタンに非常に詳しく、ムジャヒディーン(イスラム戦士)にも顔が広い日本人がいます。近くで見ていると決して無茶な行動はしません。健康や安全には最善の注意を払うからこそ、アフガニスタンで本当の意味でアクティブになれるのだということを私も学びました。


 あまり制限的になっては行けないのですが、日本は国民に対して渡航禁止を指示できる制度を導入すべきだと思います。これを言うとすぐに「憲法で認められた自由を侵害する」なんてことを言う御仁がいます。そこには自由主義の延長上にある個人主義を徹底した考え方があります。しかし、その手の御仁ほど誘拐の憂き目に遭うと「政府が何とかしろ」と言ってきます。個人主義を貫きたきゃ自己責任でやんなきゃ、と私はそこに矛盾を感じるのですが。憲法の認める自由との関係では合理的な理由さえ立てば制限することは出来ないわけではありません。危ない地域で誘拐事件を起こさせないためにも、国民の自由を合理的な範囲で制限することが憲法違反だとするのは理が通らないように思います。


 どう考えても危なすぎて行ってはいけない国・地域については厳格に指定した上で、まずは官報告示することからスタートです。その後、旅行会社に周知する、そしてその危ない国・地域が有する大使館とかに「日本人には査証は出さないでね」とお願いする、まあこれくらいです。ただ、「それでも行く人間」に対して罰則を設けることは難しいでしょう。したがって、法制度化してもできるのはせいぜい「危ないと指定した地域に行くことは法律違反である」と宣言することくらいになります(その法律違反をしたからといってペナルティはないので本質的には行動を制限する効果は低い。)。


 「緒方は自由の制限に積極的なのか?」と思う方もいるかもしれません。全然違うのです。むしろ、私は非常に(責任を伴う)自由主義を重んじる人間です。選択の自由は常に尊重されるべきだとも考えています。だからこそ、渡航禁止を法制化することを主張するわけです。つまり、今、外務省は海外渡航情報ということで「勧告」を出していますが、あれは何の効き目もないので結局、最後のところで責任の所在が不明確になります。そうではなくて、政府が「行っちゃダメ」と法律で規定してしまえば、それでも法律を無視して行く人間については完全に自己責任になります。その責任の所在を明らかにした上で、(罰則を設けないという前提であれば)そこから先は「あなたの自由」ということになります。


 見方を変えれば「自己責任論」を徹底したら、渡航禁止の法制化になると思うんですね。「何かあった時の政府の責任逃れのための予防線か?」という批判はあるでしょう。勿論、そういう面がないとは言えません。しかしながら、国が国として国民の安全に対する責任を果たすためには、国民も国民として責任を果たす必要があると思うわけです。そこをきちんと仕分けして、お上への依存意識を排除し、一人一人が本当に独立した責任ある自我を確立した上で海外に赴くような制度が一番いいとおもっています。


 そんなに固いテーマで書くつもりはなかったのですが失敗しました。しかし、それにしてもこんな時期にアフガニスタンでキリスト教福音派の団体がボランティアとはちょっと無邪気じゃないかなと感じます。