(このエントリーはアップした後、あまりに論旨が変だということに気づいたのでその後少し改訂しています。改訂後も法的には穴の多いエントリーではありますが。)


 最近、アフリカネタが多いのですがご容赦ください。モーリタニアのウアラタという街がちょっとした注目を集めています。イラクのアブ・グレイブ、キューバのグアンタナモという収容所について聞いたことがあると思います。イラク戦争やアフガン戦争で捕らえたイスラム主義者等を収容していて、拷問などもやっていたということで批判された場所です。


 アブ・グレイブの後にイラクに新しい収容所を設けるわけにもいかないので、アメリカは色々模索した気配があります。一時期は東欧(たしかポーランド)に収容所を設けていて(設けようとして?)問題になっていました。多分、中東とアメリカの間のいずれかの地点に収容する施設がないと不便なのでしょう。かといって中東のイスラム圏でそんなものを作るのは至難の業でしょうし、西欧諸国でもかなり障壁が高いです。ポーランドはイラク戦争に賛成しましたのでお誂え向きだったのでしょう。


 そんな中、モーリタニアのウアラタという街に収容所があるという話を聞きました。お国の南東の端にあるオアシス都市で、たしか世界遺産に登録されているはずです。いわゆる人里からはかなり離れています。地図を見ると分かりますが、イラクやアフガンとアメリカを結ぶちょうどいい感じの場所です。しかもイスラム圏ですから、捕らえたイスラム主義者達を留置しておくには文化的、環境的に良かったのではないでしょうか。今、クーデター後の軍政で政権基盤が脆弱なことや親イスラエルであることなども幾ばくか影響しているかもしれません。多分、私はこの話は根拠がないわけではないと思っています。


 仮にこれが事実とするなら米軍関係者がノービザで入国して、ウアラタにある施設を管理しているはずです。こういう時の米軍関係者は結構横暴なことがあります。アブ・グレイブの時を見てもそうですが、「人間として、そして軍人としての教育がなってないんじゃないか」と思われることがあります。人里離れている場所で何をやっているかは神のみぞ知るということになります。ちなみにアメリカもモーリタニアもこの情報については否定していますが、多分あるでしょう(そして、情報漏れによりもう収容施設が撤去されているかもしれません)。


 ところで、先日新聞を読んでいたら、イラクで捕らえたアメリカ国籍を有する「犯罪者」達に対して、イラク政府への引渡しの停止等の保護(habeas corpus)を求める提訴が行われているそうです。それに対して、アメリカの連邦最高裁は「アメリカ合衆国は国外で起こっている裁判手続には権限がない。過去に広田弘毅首相の減刑を退けた判例もある。」と判断しているそうです。こんなところで広田弘毅が出てくるのか?と思うのですが、たしかに広田元首相が東京裁判で絞首刑を宣告された後、連邦最高裁に減刑の訴が提起され、「アメリカ合衆国は、連合国が行った東京裁判の結果に対する権限を持っていない」ということで阻却されました。このあたりは先般亡くなった城山三郎の「落日燃ゆ」に詳しいですね。どうでも良いことですが、私は「福岡県出身の外務官僚」ということで広田元首相には特別の思い入れがあり、外務省に入る前に福岡市美術館にある広田弘毅像を見に行ったことがあります。


 現時点では、イラクの法廷で起訴され有罪判決を受けていればイラクに引き渡す、米軍が拘束しているだけでイラク法廷による裁判手続がない状態では保護手続(habeas proceedings)が開始されるという判例になっているようです。何でもかんでも国外で米軍が捕らえた人間なら、アメリカの裁判所にはその人を保護する手続を命ずる権限がないとまでは言っていない点で、広田判例をどんなケースにでも適用することへの歯止めは掛かっています。たしかにイラクの司法手続きに乗ってしまったものをアメリカの裁判所が横から介入するというのはおかしな話です。


 広田首相のケースは「極東国際軍事裁判所」というアメリカ合衆国とはとりあえず別個の法的主体による裁判で、しかも裁かれているのが「アメリカ国籍を有してない」人間(広田首相)に関する「アメリカ国籍を有していない」人(広田首相の刑の減免を求める日本人)による申し立てということで阻却の理屈を成り立たせています。イラクのケースでも、捕らえるのが多国籍軍(という名の米軍)で、裁くのは(アメリカの司法ではない)イラクの法廷ということで、広田判例との共通点を見出しています。しかし、今、アメリカで問題になっているのはアメリカ国籍を有する人間の処遇です。しかも、イラク政府に引き渡したら死刑はほぼ確実です。通常の刑事手続なら、相手国で極刑になる場合は引き渡さないというのが国際的な犯罪者引渡しの常識観です。広田判例以前の問題として、米軍が捕えた後、そもそもイラクの司法手続きに乗せていいのかねという気がします。


 米軍のホンネは、イラクで米軍が捕らえたアメリカ人とは言え、あまり親近感の持てないイスラム系アメリカ人なので丁寧に扱う必要などないということではないかと思います。また、アメリカの司法が(イラク政府への)引渡し差し止め権限を有しているということになるとあれこれと鬱陶しいという思いもあるはずです。捕らえたら刑の執行はイラク政府にお任せということなのかもしれません。


 しかしながら、捕らえた人間についてはイラク国外に移送して収容所に入れている人もいれば、イラク政府に引き渡して、国内の裁判所で起訴されている人もいるのでしょう。かなり米軍に裁量があるように見えます。仮にアメリカは厳格にイラクの主権の下で動いているので、捕らえた人についてもイラクに引き渡すだけしかできないと主張するのであれば、アメリカは警察機能をイラクから授権されているに過ぎないということに近いでしょう。現実はアメリカの果たす役割はそれ以上のものがあり、実際に行使している権限も単なるイラク政府の下請け以上のものがあるわけで、なんとなくアメリカの動き全体の中に「アメリカ人とは言ってもイスラム系だしな。適当にやっとけ。」的な感覚があるように見えます。少なくともすべての国民に公平な法の適用がなされているようには思えません。


 法的にたしかに広田判例とよく似ているのですが、米軍が捕らえたアメリカ国民の処遇について、実態上米軍に相当の裁量権があると思われる状況下において、その身柄を米軍の手からスパッと切り離し、その後の処理に広田判例を使うというのは上手くいえないのですが何かがおかしいような気がします。表面上はたしかに理屈が通っているようにも見え、純粋法理論的には正当化できるのかもしれませんが、そもそも米軍がイラク政府に引き渡している時点での判断が問われないのかなと思ったりします。この件はもう少し詳細に考えたほうがいいのですが、私の手には余るので止めます(米国法に詳しい方がいたら、私の至らない点を教えてください。)。


(注:一点付言しておきますが、私はテロ行為をやっている人間を救えと言っているのではありません。単に理屈が通らないし、古証文のような判例を持ってきて、時代背景の違う事件を処理していくのに違和感を感じているだけです。)


 ちょっと話が逸れましたが、グアンタナモは租借地ですから米国法もキューバ法も適用されず、米軍法の適用があるだけだそうです。昔、米国軍法を少しだけ読んだことがありますが法律というよりはルール集みたいなもので通常の法的検証に耐えうる内容ではありませんでした。さて、モーリタニアのウアラタに収容所があるとするなら、ここにはどういう法的規範が適用されるのでしょうね。いや、もし日本の米軍基地に・・・、そこまで考えるのは行きすぎですかね。政府は「米軍が捕らえたイスラム主義者の収容所は、日本の米軍基地にはない」といった答弁をしていたように思いますが、こればかりは見て確認することができないわけですからねぇ。