ちょっと古い話になるのかもしれませんが、イラク戦争に至るまでの情報戦について少し思ったことを書いておきます。あの開戦に際しては安保理でフランスという国が徹底的に反対して、結局、常任理事国の賛成を得られないだけでなく、決議可決の要件である3/5の国の賛成も得られそうになかったので最終的には国連安保理決議は採決に至りませんでした。そして、アメリカは国連の承認なくしてイラク攻撃に突入しました。その顛末はよくご存知のとおりです。


 では、フランスとアメリカ、どちらがイラク情勢について正しい情報を有していただろうかというと恐らくはフランスだろうと思います。当時のド・ヴィルパン外相はアメリカと徹底的に議論して男を挙げました。その後、日本にも来ましたが、その態度の中には非常に冷たい視線を感じたものです。


 よく考えてみれば、敵対して全くイラク国内に入れず、情報が欠如しているアメリカに比してフランスは結構、サッダーム時代のイラクに食い込んでいました。まず、対イラク制裁の時期、国連は1996年に「オイル・フォー・フード」という制度を導入しました。これは何かと言うと、イラクの石油を国連管理下で輸出して、その代金をこれまた国連が管理して、イラク側が出すショッピング・リストを逐一国連の制裁委員会で承認して、石油代金から払うということです。つまりは石油を輸出しても良いし、それで外国からモノを買っても良いけど、すべて国連の管理下でやるということです。


 通常、こういう制度が導入されると、そろりそろりとスタートするのが日本です。結局、最後の最後までオイル・フォー・フードに大きく日本が関与し(儲け)たということはなかったように思います。フランスは違いました。まず、石油輸出によって得たお金を管理する銀行がBNP(パリ国立銀行)のニューヨーク支店でした。これはおいしい話だったはずです。イラクの石油代金ですから数千億円のお金の管理を任されることになるわけです。手数料、運用利益だけでも相当にBNPは儲かったはずです。イラク制裁の制度を運用するための銀行がアメリカやイギリス資本ではやはり拙いという判断があったのでしょう。そこに「じゃあ、私が」ということで如何にも中立的な顔をしながらフランスが入ってきたわけです。そういうスキマ産業(スキマというには膨大なビジネスですけど)にコソッと入って大儲けするのはいかにもフランスらしいです。


 しかも、フランス政府自身、このオイル・フォー・フードを「フランス企業に儲けさせるチャンス」だと思ったのです。ここが「制裁で儲けるなんて不謹慎な」と思いがちな日本との違いでしょう。フランス外務省は当初から企業向けに制度を詳細に説明して、「こうやればイラクでビジネスが上手く行きますよ」ということを懇切丁寧に説明したようなのです。そもそも、制裁というのは規制の最たるものです。規制のあるところには常に市場の歪みに伴うレント(不労所得)が生じます。そのレントをどう配分するかというところで一番良いとこ取りをしようとしたのです。エルフ(Elf)とか、ブイグ(Bouygues)みたいなフランス企業は制裁下のイラクでかなりのプレゼンスを確保していました。イラク制裁下で非常に活動的だった企業は、フランス、ロシア、中国あたりが多かったように記憶しています。


 つまり何が言いたかったかというと、フランスはサッダーム時代の制裁下のイラクに深く食い込んでいたわけであって、イラクについての情報量ということでは恐らく相当レベルの高いものを持っていたと思います。お金の出入りを一番知り得る立場にあり、しかも企業がビジネスで結構儲けているということでかなり確度の高い情報を入手し得る立場にあったと言っていいでしょう。アメリカはイラクに立ち入り禁止だったため、イラクとのコンタクトはたしかアメリカの利益代表である在バグダッドのポーランド大使館(違ったかもしれません)を通じてしかやれませんでした。その情報量は雲泥の差があったでしょう。大量破壊兵器などないということに強い確証を持っていたのではないかと推察されます。


 もう一つは、イラクのウラン開発の話です。アメリカがイラク開戦の論拠にした情報の一つとして、イタリアの情報機関が入手した「ニジェールでのウラン開発」というのがありました。こんなのはまずもって「イタリア」という段階で相当程度差し引いて検討しなきゃいけないものです。そもそも、イタリアがニジェールにどんな関与をしているかというと大したことないのです。まあ、私はイタリア人をあまり信用していないので更に情報に対するレーティングが下がります。


 ニジェールという国はたしかにウランが出ます。北部の砂漠地帯、リビアとの国境に近いところでウラン鉱開発をやっています。しかし、あまり効率が良くないので価格的には競争力がなかったのです。ここでウラン開発を長くやっていたのが、旧宗主国であるフランスのCOGEMA(原子力開発公社みたいなもの)と、最近スパイ容疑でニジェールから追い出されそうになったAREVAのような企業でした。フランスは競争力が少し落ちるニジェールのウランを開発して買い上げていました。こういうところに時折旧宗主国としてのプライドもチラホラ見て取れます。勿論、私が行って見たわけではありませんが、想像するに周囲はせいぜいラクダに乗ったトゥアレグ族が行き来するくらいでウラン鉱山はある程度管理可能な場所なのではないかと思うのです。とすると、フランス企業が歴史的にそこを開発してきた以上、「イラクがニジェールでウラン開発に着手してそれを核兵器として活用しようとしている」みたいな話が荒唐無稽であることを知っていたのではないかと思います。少なくともイタリアみたいに当てにならない情報を平気で同盟国に提供して、判断の過ちを惹起するようなことはありません。


 そういうふうに考えると、どう考えてもイラク戦争についての情報量というのはフランスの方がたくさん有していたとみるのが素直ですね。私はド・ヴィルパン外相はあまり好きではありませんし、フランスという国自体に対しても非常に冷ややかに見ていますが、ことこの事に関してだけはフランス側に旗を上げたくなります。シラクやド・ヴィルパンは最初はアメリカをきちんと説得しようと試みたでしょう。しかし、聞く耳を持たない人に呆れて最後は「勝手にやれば」というスタンスでしたね。今でもフランスのエリートは思っているでしょう、「だから言わんこっちゃない」と。


 まあ、憶測交じりのことばかり書きましたが、そんなに外していないと思います。