イランという国、色々とお騒がせな国です。核開発、反イスラエルなど、まあ色々あります。2度行ったことがあるのですが、とても興味深い国です。ただ、日本ではともすればメディアはイランを「おどろおどろしい国」くらいに描きますが、私の見る、知るイランについて少し書いておきます。


● 文化の高い国
 歴史的に見て、イランという国がかつて文化が高かったことを疑う人はいないでしょうが、その歴史は今でも受け継がれています。陳腐な視点かもしれませんが、中東であれほど新聞が発達している国は他に無いでしょう。本を読む層は極めて厚く、日本人なんかよりも遥かに読書家の人が多い国だと感じました。そして、色々なことについて議論を戦わすことが非常に好きです。「口を動かす前に手を動かせ」と思わなくは無いのですが、それを差し引いても活字文化の高さが特筆される国です。それは取りも直さず、国民全体の知的レベルの高さを示しています。
 私はペルシャ語が全く理解できないのでなんともいえないのですが、イランの民族叙事詩「シャーナーメ」なんてのは相当にレベルが高いそうです。オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」という詩も相当なものだそうです(後者については、アミン・マアルーフというレバノン人が書いた「サマルカンド」という本が良いですね。)。


● イラン=民主主義国?
 私の感覚ではイランというのは健全な民主主義が根付いている国です。その基準は「選挙をすると誰が勝つか事前に分からない」ということがあります。つまり権力に対する健全な競争が働いているわけです。パキスタンから(西アフリカの)モーリタニアまでを鳥瞰して、安定的に権力に対する健全な競争が働くという次元にまで行っている国というのはイランを除けば、トルコ、イスラエルくらいじゃないかなと思うわけです(アルジェリアはブーテフリカの後継者が試金石になる)。前回の大統領選で、今のアフマディネジャード大統領は当初有力候補ではなく、むしろラフサンジャーニ元大統領の方が下馬評は高かったです。ハタミ前大統領が最初に当選した際も、どちらかといえば有力だと言われていたのはナーテグ・ヌーリ国会議長でした。つまり、本命が負ける国なのです。例えば、エジプトでムバラク大統領が選挙で負けることなどないでしょう。色々な技を使って、絶対に負けない権力装置が存在しているのです。イランにはそういう不透明なシステムはなく、それだけで健全な競争があるといっていいのではないでしょうか。
 議会選挙、大統領選挙ということだけで判断していいのなら、イランは相当な民主国家といっていいでしょう。しかしながら、あの国には議会とか行政とかと違うところに権力の所在があるため、純粋な民主主義国家ではありません。基本はイスラムのお坊さんが治める国(ヴェラーヤテ・ファギーフ)ですので、暴力装置やお金の集まるところ、そして最終意思決定をする場所が民主主義体制とは別のところにあるわけです。特に被抑圧者財団と訳される組織がかなりの財力と権力を持っています。最後はハメネイ最高指導者が反対したら全部覆ってしまいます。そんな体制がいつまで続くのかは甚だ疑問ですが・・・。


● イラン=過激思想の国?
 そもそも論になるのですが、日本の教科書やメディアでは「シーア派」=「過激派」となっていることが多いです。シーア派がイスラム社会の中で少数派だというのは否めないですが、別にすべからく過激派なんてことはありません。シーア派が主張しているのは、宗教的権威は第4代カリフだったアリーの家系から来るものであって、それ以外のウマイヤ朝とかアッバース朝なんてのは認められん、そういうことです。シーア派というと、第三代イマーム・フセインがウマイヤ朝との戦い負け殉死したとか、その後、第十二代イマームはお隠れになってしまい、また現われるのを待っているとか、まあ、色々な歴史があるのですが、どう調べてみてもそれ自体は過激な要素を一切含んでいません。まあ、フセインの殉死を悼む儀式「アーシュラー」は、本物の剣で島木譲二のパチパチパンチをやって身体に切り傷を作るようなところがありますが、それとてフセインの悲しみを共有するためのもので別に過激派がどうのという話ではありません。
 私は日本の教科書の記述の変遷をよく知りませんが、シーア派=過激派の論理は「生み出されたもの」ではないかと思っています。革命前のレザー・シャーやモハンマド・レザー・パフレヴィーの時代に、イランのシーア派が過激派だと形容されていたのかどうかは非常に興味深いテーマです。もしかしたら、イラン革命後に「ヴェラーヤテ・ファギーフ」体制をもって過激派と形容するになったんじゃないか、そんな疑いの目を私は持っています。仮にそうだとすれば、それはアメリカの影響力が行使されたということですよね。
 最悪なメディアになると「イラン政府、アル・カーイダと結託」とか、「イラン、タリバン支援」とか書いてあったりします。ちょっとイランを知れば、そんなことあるわけがないことはすぐに分かります。遥かに理性的な人たちです。


● イランは世界から敵国扱いされている?
 多分、違います。イランは今、南部のナタンズ辺りで原子力開発をしていると言われていますが、イラン自身は核不拡散防止条約(NPT)第4条によるところの平和的利用の権利の範囲だと主張しています。まあ、私はこれは相当程度ウソだと思っています。ウソではないにしても、「核開発能力持っちゃおうかなあ、どうしようかなあ」というシグナルくらいは送りたいと思っているでしょう。核兵器と言うのは決定的な能力を有する兵器なので、持っているかどうか以前に「持っているかもしれない」というだけで十分メッセージとして力があるのです。曖昧さを残すことをイランは重視しているはずですね。
 ただイランを本心では擁護したい国などあちこちにいます。エジプト、マレーシア、南アフリカ、ブラジルあたりは「イランの原子力開発、何が悪い?認められた権利じゃないか。」くらいに心の中では思っています。そもそも、NPTは不平等条約ですから(私は「不平等」という言葉をNPTを否定する意味では使っていません。単なる事実です。)途上国からすると「先進国の特権を固定化するもの」として、心の何処かで「クソッ」と思っています。そういう国は「イラン、頑張れ」とまで思っていても不思議ではありません。まあ、イランが核開発をすれば脅威を覚えるイスラエル(しかし、NPTには入っていない)がいる限りはこの問題はイランに優位なかたちでは絶対に推移しませんが・・・。


● なかなかしぶとい。
 まあ、ペルシャ絨毯商人だと思っていれば間違いはありません。ペルシャ絨毯を買う時は「3度、ドアのノブに手が掛からないと本当の価格は言わない」と言われています。私は「たった3度?」と思います。まあ価格交渉では相当に渋りに渋って、「こんなんじゃ鼻血も出ない」くらいのことを言いながら仏頂面で折り合っても、それなりに利益は出ているというところが相場観です。今の核開発交渉を見ても、絶対に一線は越えないようにしています。強気のことをガンガン言って、これ以上やるとマズいと思ったら、ブツブツ言いながらちょこっとだけスッと引きます。強気の姿勢が印象付けられているので、ちょこっと引いただけでとても譲歩したように見えるんですね。後々、よく考えてみたら「Hmmm??そんなにあいつは譲歩したか?」と狐につままれたような気分になります。アメリカは国連制裁とか威勢のいい話をしますし、EUもお付き合いでそういう方向性に乗っていますが、イランの方がロシアや中国を味方につけて数倍上手ですね。イギリスとの関係でも、先日、領海侵犯で捕らえられたイギリス兵の解放でイランは相当に得点を稼ぎました。捕虜となった際の戦時国際法の素養を持たないアホなイギリス兵を上手く使ってペラペラと喋らせ、それをマスメディアに流して世論の風向きをイラン有利に向けていました。


 なかなか味のある国です、イラン。勿論、核開発をやすやすと見逃してはいけません。特にああいう国と付き合う場合、時には「おまえ、それ本気で言ってんのか?」と恫喝することも必要です。あまりやると嫌われますが、時折やっておかないとナメて来ます。変なことを言った際にきちんと恫喝すると、さすがに相手も「いやいや悪かった」と下がってきます。そのバランスを保ちながら、彼らが変な方向に行かないようにする、それが日本外交のあるべき姿ということで良いと思っています。