熊本県の南部に川辺川という川があります。この川にダムを作るという話が昔からありました。この川は少し下ったところで球磨川という大きな川に繋がっていきます(川辺川が球磨川の支流)。そこに人吉市という市があります。私の母の故郷であり、私のルーツの一端をなしています。風光明媚な渓流が走る中、球磨川くだりをするのはなかなかの贅沢です。球磨焼酎もなかなかイケます。


 この川辺川ダムをめぐって熱く燃えています。これは長い話で、計画が出始めたのは戦後間もないころから高度成長の黎明期です。着手したのが1967年ということですから、私の生まれる前です。そして、この川辺川ダムは今、事実上葬り去られようとしています。


 川辺川流域は農業用水不足とか、河川の氾濫とかでかなり悩んできていたのは事実です。1990年代にもたしか河川の氾濫により、人吉市のかなりの部分が浸水したように記憶しています。川辺川ダムは利水(農業用水)、治水、発電の3つの大きな目的を掲げて推進されてきました。このダムが実現すると沈んでしまうのは五木村が大半です。「五木の子守唄」というのを聞いたことがある方もいるでしょう。平家の落武者が流れ落ち着いた地域だとも言われています。私の緒方という姓もどうも平家の落武者にルーツがあるらしいのでちょっと親近感があったりもします。愚母曰く「40年前の五木村と言えば、それはそれは山林の奥深い場所だった」とのことです。想像に難くはありません。


 ダムが推進されてくるに連れ、五木村や近隣の町村で「立ち退き」を迫られた方々がいました。最初は精一杯抵抗したのですが、結局、その時々の社会情勢や経済的な事情によって多くの方が生まれ育った村落を離れて、今では代替地(高地や下流の人吉市周辺)に住んでおられます。その気持ち、慮るにあまりあります。こういう言い方をしては不謹慎かもしれませんが、川辺川、そして球磨川流域の市町村はこのダムに伴う公共工事によって経済の太宗が支えられているというのは紛れもない事実です。そして、数年前までは流域の11市町村すべてがこの川辺川ダム建設を推進してきました。


 しかし、川辺川ダムに反対する方々はダムで水没する地域がクマタカの生息地であること、利水・治水・電源はいずれも必要性が低いこと、ダムができれば本流である球磨川のみならず下流の八代市まで水質の悪化が生じ、観光資源などにも影響が出ることなどを挙げて反対してきました。最近まで政府はそういう声にもかかわらず、このダム建設を強力に推進してきました。立ち退きや基礎工事だけでも相当なお金が投じられたはずです。


 ただ、計画ができて40年以上が経つ中でほころびが出てました。まず、利水関係事業で農水省が大規模土地改良事業のための同意集めでインチキをやったことがバレました。農水省は相当無理をしたみたいで筆跡が全く同じ署名がたくさん出てきたり、死んだ人の署名があったりとボロが出まくりで、結局裁判で同意した関係者の数が必要数である2/3を満たしていないとの判決が出てとどめを刺されました。今はダム以外の案で利水事業を検討しているようです。まあ、農業用水については40年前と事情が異なり、今では流域の農業に十分な水を確保することは出来るということらしいので止めたところで実害はないと聞かされました。利水事業で一番利益を得るはずの相良村が、負担が重いためあまり乗り気でないこともあるそうです。


 そして、流域市町村の足並みに乱れが出てきました。まずは相良村の矢上雅義村長が賛成派から抜けました(純粋に反対派に回ったわけではない)。これには同村長と自民党筋との色々な政治的な感情のほつれがあるのですが、それはともかくとして11市町村一丸となってやっていた体制にひびが入ったのは大きかったですね。そういう中、今年の初め頃に流域で最有力地方自治体であって、ダム最推進派の福永浩介人吉市長が汚職で逮捕されたのが分水嶺だったように思います。すっかりモメンタムが下がってしまっているのが現状です。


 そのような中、ダム建設の柱の1つである発電を請け負うことになっていた電源開発が6月に撤退を表明しました。まあ、政治的に見通しが全く立たなくなってしまって採算ベースに乗ってこなくなったのでしょう。国土交通省的には事実上の死刑宣告に近いような気がします。漁業権のための収用も上手くいってませんでしたし、ともかくすべてが政府にとって悪い方向に回っているのが現状ですね。


 ・・・とここまで書くと、「なんだ、ダム反対派のストーリーか」と思うでしょう。まあ、私はこのダムはもう不要だと思います。治水と言っても巨大なダムを作らないと実現できないような話ではないでしょうから。ただ、「だからダムはすべてが失敗だった。これは最初から間違っていた。」と私には言えないのです。それは上記にも書きましたが、既に立ち退かされている人達がいるのですね。もう五木村の一番深いところである頭地地区には殆ど人は住んでいません。今になって、「いやー、計画はすべて止めちゃいますから、戻ってきたい方はどうぞ。」と言われても戻ってこれる人はいないでしょう。しかも、多くの町村は既にダムに付随する公共事業に過度に依存する体制になっています。


 ダムは計画するだけで多くの人の人生を不可逆的に変えてしまい、その人生はもう取り戻せないという現実がある時、今、元の住民に「やっぱ、止めちゃいました。」ということに内心の葛藤があるでしょうし、逆にそういう状況に追い込んでしまったことの業の深さを感じずにはいられません。そもそも、直接利害関係を有しない外部の人間が口を出すこと自体が間違った所作なのかもしれません。


 どう転んでもすべてが上手く纏まる話ではないのですね。報道を見ていて、関係者の方々の複雑な感情をあれこれと感じます。このテーマ、脱ダムというだけに止まらない深い内容です。ただ、人気取りで「脱ダム」と言うだけの次元を越えているように思います。少しでも多くの方が川辺川ダム問題に関心を持ってもらえると嬉しいです。