クール・ビズなるものが日本に根付き始めて、幾ばくかの時が経ちました。あれはたしかに首周りがジメジメしないので私のように超汗かきのおじさんにはとてもありがたいです。


 最近ではクール・ビズ用のシャツまで御丁寧に出ています。あれが新しい需要を生んで・・・みたいな話になっていますが、そもそもクール・ビズが新しい需要を呼びこんでしまったら、そのシャツを作るためのエネルギーがかかるから結局社会全体としては省エネになっていないのではないかという素朴な疑問をもっています。もっと言えば、やっぱり省エネというのは何処まで行っても「アンチ経済成長」的な要素があることは事実なんですよね。そこに目を伏せて、あたかもクール・ビズで専用シャツの需要が喚起されるかのような言い方は(環境問題への取組という視点からは)「Hmmm、そういうことなのか?」と思います(私はクール・ビズ専用シャツの有用性を否定しているわけではありません。それによって「追加的に」需要を喚起しようという発想にちょっと違和感があるだけです。)。

 もう1つ、私がクール・ビズ専用襟なしシャツを見る時にいつも思うことがあります。それは「あっ、イラン人だ」ということです。そう、イランではイスラム革命の際、ネクタイは欧米文化の象徴であり排除されるべきということになって、ネクタイ着用をしなくなってしまったのです。西欧的な服装全部がダメということではなく、何故ネクタイだけが狙い撃ちにあったのかはよく分かりませんが、ともかくホメイニ以下、イランのイスラム坊さん達はネクタイ着用を禁じたのです。その結果、イランではネクタイ着用を前提としないシャツが通用するようになりました。それがクール・ビズ用のシャツにとても似ているのです。


 今のアフマディネジャード大統領 はよくスーツ姿で出てきますが、ネクタイを締めていることはありません。一年中、クール・ビズなわけです。イラン中、何処を歩いても、スーツ姿の人たちは100%クール・ビズです。かの国は暑いですから、ネクタイ着用をしないのは「アンチ欧米文化」という名を借りつつも実は生活の知恵なのかもしれません。そう考えると、実はクール・ビズと言って盛り上がっている我々はイランから遅れること25年強、ようやくイランの生活の知恵の域に到達したということ・・・なはずはないですよね。


 東京だけでなく、この北九州でもクール・ビズ用の襟なしシャツを着ている人を時折見かけるようになりました。それを見ると私は自然に「おー、イラン人っぽいなあ」と思ってしまいます。