フランスでニコラ・サルコジ大統領が選ばれました。私は大穴で「サルコジ vs バイルー」の対決を予想していただけに完全に外しました(スイマセン)。


 実際の対抗馬だったセゴレーヌ・ロワイヤルは冷たい感じのする人間なので最初から全く期待していませんでした。まあ、社会党が負けたのは「タマが悪かった」というのが最大の理由ではないでしょうか。フランス社会党は人材があまり育っていないのです。「昔の名前で出ています」みたいなおじさんばかりが居て、見ていて刷新されたイメージを全く与えることができていません。与党UMPだとサルコジ以外にも若い顔ぶれを何人か思い出すことができるのですが、社会党は良い感じの若手の台頭がまだありません。国民議会選挙でも負けるでしょう。これからも茨の道が続くのではないかと思います。今の内から、5年後の擁立候補を念頭にすべてのエネルギーを注ぐくらいでないと5年後もサルコジにやられてしまいます。そうすれば、大統領選4連敗になり、22年間大統領ポストから遠ざかります。今は第2のフランソワ・ミッテランを探すことが課題でしょうね。


 サルコジ大統領、私はあまり好きなタイプの人間ではありません。ただ、ああいう上昇志向の塊のようなマッチョな人間をフランス人が今、求めていたということなのでしょう。サルコジは日本にはあまりシンパシーがありません。逆に中国が好きなようです。シラク大統領のように相撲通で通算50回の訪日歴のある人と比較すると、対日政策はガクンッと優先順位が下がるでしょう。


 サルコジは元々は風見鶏的なイメージの強かった人間です。最初はシラクの弟子的な存在でしたが、1995年の大統領選では当時首相だったバラデュール首相側について、その後しばらくシラクから冷や飯を食わされていました(その当時、私がフランスにいたので、どうしてもショボいイメージが強いのです。)。その後、何度も浮沈を経た後、内相として移民とか治安とかに厳しい政策を採ることで人気を獲得していきました。その延長線上で、今回の大統領選挙では上手に極右の票を取っていきましたね。サルコジはアメリカ的な自由主義経済を信奉しており、これからフランス経済はそういう方向に向かっていくという見方もあるようです。


 このサルコジ大統領の下でフランスはどうなっていくのかな、と考えてみました。


 フランスという国は、私の中では「とても貧富の差が激しい国で身分差別も結構強い」という印象が強いです。「LIBERTE, EGALITE, FRATERNITE(自由、平等、同士愛)」というのは革命時のスローガンですが、まあ、フランス社会自体がそういう価値に欠ける社会だから、お題目として常にそういう価値観を掲げておく必要があるんだろう、と私は非常に冷たく見ています。文章で書くのは難しいのですが、元々身分差別とかが強い世界に、何とか「自由」とか「平等」という概念をはめ込んでいこうとするので、建前と本音の乖離が著しく、貧富の差、身分差別がとても陰湿なかたちで出てくる社会です。フランスの上流階級、富裕層というのはあまり表舞台には出てきません。表向きはブルボン王朝を打倒し、貴族階級を廃した以上、とても理念を強く打ち出す必要があるので、表に出てきにくいのです。しかし、日常生活のちょっとしたところでその違いをチラッと見せ付けられます。そういう裏舞台が見えるのがとてもイヤミなのですね。その点、始めから王室とか貴族階級とかいったものが厳然と残っていて、それを前提に出来上がっているイギリスのような社会のほうがある意味(皮肉でもなんでもなく)清々しい気分になるものです。別に身分制社会を肯定するつもりはないのですが・・・。


 フランス社会を知る上で私が面白いと思ったのが、ピエール・ブルデューという学者の考え方です。彼は「ハビトゥス(habitus)」という概念を用いながら、フランス社会を説明していこうとします。これは突き詰めると、色々難しいのですが、まあ簡単に言うと「人はその生まれた家庭環境、社会環境によって、知らず知らずのうちに思考、選択、行動等を規定されてしまう」という感じです。本来、平等である学校という場も実は支配者階級に有利な条件が内在されており、それは「再生産(reproduction)」されてしまう、まあ、こんな感じです。多分、日本で言うと「東京大学卒の親を持つ子供は自然と家庭環境や周囲の環境が有利に出来上がっていて、色々な面で有利なスタートラインに立てる」という感じでしょう。たしかに、私が東京大学に居た際の友人は、親が高学歴の人間が多かったですね。そうやって、「再生産」の構造がガチッと作られていくということだろうと勝手に理解しています。彼の「再生産」という本はなかなか面白いです。なんとなく、日本で言う格差社会と繋がるようなトーンです。


 たしかに、フランスにはそういう社会の格差がどんどん再生産されていくメカニズムが内在されているように思えました。例えば、低所得者、アルジェリア移民、アフリカ移民の中から、フランス最高峰の学校といわれる国立行政学院(ENA)に行くのはちょっと無理なんじゃないかなと思います。何故無理か、一言で応えるのは難しいですが「無理だから無理なんだ。そういう社会なんだ。」としか言いようがありません。日本の格差社会よりも、更に格差が大きく、しかもそれが表に出てくる際には陰湿なかたちで出てくる、それがフランス社会だと思っています。この要素は政権がどういう政党であってもあまり変わりません。


 今でこそ、日本でも格差社会なる言葉が人口に膾炙していますが、フランスではもうずっと昔からこのテーマが語られています。シラク大統領が1995年に大統領選に出た時のスローガンは「fracture sociale(社会の断絶)」でした。残念ながら、社会の奥深いところに内在されている格差社会的要素はサルコジ大統領になっても変わらないと思います。むしろ、サルコジ大統領は硬直的なフランス経済に自由主義的政策を導入していくでしょうから、この格差はどちらかと言うと今後拡大していくと見るのが正しいように思います。ただ、一点留意しなくてはならないのは「フランスはフランス。アメリカにはならない。」ということです。伝統的に社会主義的な政策を採ってきたフランスにおいては、「自由主義を導入する」と言っても、ひとっ飛びにアメリカのようにはなりません。マスコミはすぐに「サルコジ大統領の下でアメリカ化するフランス」みたいな書き方をしますが、ちょっと飛躍しすぎです。


 今後、サルコジ大統領の採る政策は移民に厳しく、(相対的に)自由主義的な政策ということになります。どちらかと言えば、この政策の結末は「fracture sociale」を拡大するものになるはずです。フランス社会は断絶の方向に向かうんじゃないかなと気になります。ここでもうちょっと複雑なのは、フランス社会のホンネとタテマエがここでも出てくることです。移民問題については、フランスの掲げる価値観からいうと「人間皆兄弟。誰にでも優しく。」と言うタテマエが出てきます。多くのフランス人に表向き聞くと、「移民と言えども大切にすべし。」と言います。しかし、ホンネは「Bienvenue, si vous etes utiles pour la France(歓迎します・・・、もしあなたがフランスにとって有益なら)」というところでしょう。ジネディン・ジダンは歓迎だけど、治安の悪い地域に住むアルジェリア人は出て行け、これがホンネです。したがって、サルコジの進める政策に対して、「表向きは『けしからん』と言いつつも、心の中では『よしよし、その調子』と思っている」人が大半でしょう。経済だって同じです。表向きは「皆平等に」と言いつつも、本音は「自分の利益を損なわない範囲でね。」ということですから。


 そういう中では社会の断絶は今後拡大するような気がします。そして、それを支える比較的多くのフランス国民のホンネもあります。サルコジ大統領の治世においては、不穏な動きが絶えなくなるんじゃないかな、左派によるデモ、ストライキが連発するんじゃないかな、というのが私の読みです。サルコジはそれに対して強硬な姿勢で臨むでしょう。そうすると、今度はフランス社会にあるタテマエの部分がモコモコッと出てきます。フランス政治、社会を見ていく上で重要なのは「どのタイミングでフランス国民のホンネが出てくるか、タテマエが出てくるか」を見究めることです。


 多分、今年の秋から冬にかけてデモやストライキが連発すると思います。そして、遠からずしてサルコジ政権の支持率は下がるでしょう。フィヨン首相はソフトなイメージなので、上手く使い分けられるかなどうかな?、ちょっと興味深いところです。