題は「緒方さん、止まって。もしかしたら地雷があるかも。」くらいの意味です。人生で最も危機感を感じた瞬間だったかもしれません。少なくとも地雷の恐怖には一番近かった瞬間でした。


 あれは2001年7月でした。友人のカリホと連れ立ってタジキスタン旅行をした時のことです。タジキスタンと言っても分かる人は殆どいないと思います。アフガニスタンという国の北東部にある国です。今、思い直せば「9.11」の2ヶ月前でした。その後、タジキスタンと国境を接するアフガニスタンは米軍の攻撃で徹底的にやられてしまったわけですから、まあ「嵐の前の何とやら」の時期に当たったのだと思います。それでも当時からタジキスタンは政情不安定な地域で、地球の歩き方でも紹介が全くない地域でした。外務省の海外渡航情報でも「行かないように」とお達しが出ていたような気がします。しかし、私とカリホはそんなお達しなど何のその、果敢にもウズベキスタンの首都タシケントから陸路でタジキスタンの首都ドゥシャンベに行き、そこから更に中国・タジキスタン国境付近の町ムルガブまで行くという計画を立てました(とある2名の有力者に種々お世話になった)。危ない地域を迂回していくということで、我々の一行はタジキスタン・アフガニスタン国境に当たるピャンジ川沿いの道を行くことになっていました。地図で言うと大体この辺り です。


 タジキスタン首都のドゥシャンベ(ペルシャ語で「月曜日」を意味する。きっと月曜に市が立つ街だったのでしょう。)から出発する朝、私とカリホはタジキスタン・ホテルで朝食を食べていました。「お国の名前を冠したホテルだから立派なのだろう」と思うかもしれません。大きな勘違いです。シャワーからは白濁した水、トイレは汚い、ベッドも今一つ清潔感がない、と散々なホテルでした(しかし1泊60ドル。殆ど詐欺でした。)。「朝食くらいは・・」と期待したのですが、ナンにチーズ、蜂蜜、牛乳、ネスカフェ、まあそんな感じでした。あえて特筆すれば蜂蜜は素晴らしく水準が高かったですね。パミール高原のあちこちで養蜂は盛んでした。あれは(原価が安いだけに)日本でも十分商売として成立するような気がします。まあ「タジキスタン産蜂蜜」では絶対にブランドイメージが確立しないと思いますけど。そんなことはさておき、ここでもう一品「半熟タマゴ」が出てきたのですが、これが私の命取りでした(しかも、意外に用心深いカリホは半熟タマゴを避けていた。)。


 四輪駆動に乗ってドゥシャンベを出るや否や、私のお腹の調子は急転回し始めます。同乗していた人曰く「車内が腐ったタマゴの匂いがしてたんだよな。」とのこと、そう私が腐ったタマゴの臭いのするゲップを連発していたのです。途中であれこれ誤魔化しながら頑張る中、さてこれからパミール高原真っ只中ゴルノ・バダフシャン自治州に入るところで昼食。私は完全にグロッキー状態でしたが、そこでは地元有力者による昼食会が待っていました。ここで出てきた桑の実でできたウォッカが私の体調にとどめを指しました。ロシア人が自分の支配した地域に持ち込んだもので一番根付いているのはウォッカです。モンゴル出身の横綱白鵬も好きなものに「ウォッカ」を挙げていました。国境を越えてアフガニスタンに行くとアルコールは基本的にご法度の中、タジキスタンでは桑の実でウォッカを作って盛り上がっているわけです。ロシア人恐るべしと思いました。それにしても桑の実で作ったウォッカは臭いがきつい。通常の体調ならそれでもガンガン呑んだでしょうが、腐ったタマゴのゲップを引き続き連発している私には単に体調を悪化させるだけでしかありませんでした。


 その後、車はピャンジ川沿いを蛇行しながら行きます。



 こんな感じの渓谷がひたすら160キロ続くわけです。しかも、道が悪いので時速20キロが限界です。腐ったタマゴ、桑の実ウォッカ、蛇行する道、もう完全に私は死に体でした。さすがに一度吐いた後、更に車を進めているとトイレに行きたくなりました。勿論、屋外での立ちションになるわけですが、まあ一応嗜みもあろうと思って、車から離れた場所で用を足そうと思って少し車道から離れて歩き始めた時でした。現地スタッフのメフラーリーさんから、


「Mr. OGATA, stop. Maybe landmines.」


 この一言が飛んできたのです。ピタッと足が止まりました。気分が悪いとか、吐きそうだとか、そういう次元を遥かに超えた世界でした。元紛争地域だったことをすっかり忘れていました。この地域はアフガン戦争、その後の内戦でかなり激しく戦った地域ですからたしかに幹線道路を少しでも外れると何処に地雷が落ちているか分からないわけです。しかもこの地域は冬に雪が降りますから、それが解ける時に地雷が何処かから流されてきているかもしれないわけです。ともかく迂闊でした。今、歩いた場所を正確に戻ってきて、幹線道路の轍(わだち)のところで用を足しました。「みっともない」、「はしたない」と言われるかもしれませんが、こういう場所で一番信用できるのは「轍」なのですね。最近人が車で通ったので少なくとも地雷は存在しないことが確保されているのです。


 地雷というのは「ある」ことが問題なのではなく、「あるかもしれない」だけで十分なのです。ちょっと考えてみましょう。例えば、1平方キロの場所に1つだけ地雷が確実に埋まっているということが分かっているとしましょう。それだけでその1平方キロの土地はすべてが「地雷汚染地域」になるわけですね。1平方キロの場所を丹念にチェックしていかないといけないわけです。そして、それには膨大なお金が必要になります。地雷で人の足を止めるには、実は1個で十分なのです。そして、カンボジア、アフガニスタンなんて国には1000万とも言われる地雷が埋まっているそうです。地雷は単価が安くて、中国製の安いのになると1ドルくらいだと聞いたこともあります。1ドルの地雷を埋めるだけで、それを除去するのに掛かる費用はもしかしたら10万ドルかもしれません(埋まっている可能性のある土地をすべてチェックする必要があるため)。中国製の安い地雷だと金属探知機に反応するので良いですが、プラスチック製の地雷になると金属探知機に反応しないので更にチェックするのに時間とお金が必要になります。


 しかも、地雷というのは埋めた人間が何処に埋めたのかをよく覚えていなかったり、雨や雪が降ったりすると、そもそも埋めた場所が変わってしまいます。そうなってしまうともう手がつけられません。不謹慎な言い方ですが、発見するのに一番良いのは具体的に衝撃を与えて爆発させるしかないのです。イラン・イラク戦争では、イランは子供に手を繋がせて地雷汚染地帯を歩かせたという話を聞いたことがあります。それで爆発し(て、当然踏んだ子供が亡くなっ)た後に、地雷がなくなった安全な地域をイラン軍が攻め込んだということだそうです。もう私の想像できる範囲を遥かに越えています。


 日本では山梨にある日立建機 という会社が地雷除去のための機械を開発しています。一番有名なのはショベルカーみたいな格好をしているのですが、ショベルの部分がカッターになっていて高速のカッターで地雷を切って爆発させてしまうというものです。あの機械もワイヤーを巻き込んでしまうとダメになるとか色々問題を抱えていましたが、最近では相当に性能を高めているみたいです。地雷を禁止する条約に署名を渋るお役所を押さえ込んで、決断したのは小渕恵三外相でした。政治のイニシァティブが正しく働いたケースです。日本はこの分野でもっと活躍してほしいなぁと思います。最近はクラスター爆弾にばかり焦点が当たっていますが、あれは相当に例外的な状況でしか使わない代物です。今、そこにある恐怖と危険である対人地雷、決して陳腐化してしまっていい話ではありません。


 ところで折角タジキスタンの話をしたので、少しタジキスタンの写真を載せておきます。


● ウズベキスタンからタジキスタンへ



● タジキスタンの子供達と


● 村長さんと



● 盛大な出迎え(タジキスタンでは女性が眉の間に刺青を入れる。彼女達が持っているパンに塩をつけて食べるのが礼儀。)



● これからパミール高原(既に3000mを越える)



● パミールの山並み



● パミール高原のど真ん中にて


● パミールの山並みをバックに現地人と同化した私



● 高度4000mの場所に突然現われた塩湖



● キルギス化した私



● ヤクと一緒に写る



● キルギス文化が強い地域にて