先日、北九州市役所の方と話していたときのことです。愚かな私はまず一番最初に「ところで○○さんは何年入庁なんですか?」と聞いてしまいました。相手は「?(何を聞いとるのだ、こやつは?)」という顔をしながら「ええと平成●年に入りましたけど・・・」という返事がありました。これ、意外に公務員制度改革を考える際に重要なポイントなのです。


 中央官庁では同時昇進のシステムが出来上がっているので、どれくらいのポジションにいる人かを判断する唯一の基準が「入省年次」になります。逆に普通の地方自治体では、あまり入庁年次というのは重要ではなくて、まずは「係長試験」が分水嶺になるようで上級職であろうが、中級職であろうが、皆この試験に合格しようと頑張るわけです。そしてその結果、自分よりも後に役所に入ってきた人に抜かれたりすることも大いにあるわけです。当たり前のことといえば当たり前ですが、中央官庁的には相当にありえない世界でした。


 今、公務員制度改革が行われていることになっていますが、誰も一切切り込んでない点があります。それは「お役人のプライド」です。もう少し噛み砕いて説明します。何故、50歳くらいから中央官庁の一種職員は天下っていくのかというと、それは早期退職勧奨制度というのがあるからです。つまり、入省年次が同じ人は(ポストの中身はともかくとして表向きは)同時昇進していくことになっています。その結果、上に行くにつれてポストは自ずと減ってくるので辞めていってもらう必要がでるということなのです。最終的には同期から事務次官が出たら皆、天下っていく、これが暗黙のルールでした。


 何故、そんなことになるのか。それは同時昇進という制度があるからです。お役人はプライドが高いので、少なくとも肩書きだけは同じものを保証していくようにしているのですね。「緒方みたいなアホが何故課長補佐で同期入省のオレが係長なのだ!」という不満が出てこないようにするのが、これまでの人事管理法でした。「緒方みたいなアホが何故有力なA課の課長補佐で、オレがあまり有力でないB課の課長補佐なのだ!」という不満も勿論あるのですが、それは肩書き上は同じである以上、相対的に堪え得るものでしょう。


 ここに切り込めば、早期退職勧奨制度は解決すると思います。つまり、同時昇進させない。少なくとも課長補佐(又は係長)になる時に公平に試験を課す、そしてその後も業績に応じて昇進させるということにすれば50歳になった時に「あなたと同期の人は局長になりますけど、あなたには局長ポストはないので天下ってください」ということにはならないわけです。同期が局長になっていくのを課長として見守っていくことがあってもいいでしょうし、普通の社会ではそれが常識です。


 ちなみに余談になりますが、中央官庁の一種職員の進む道について説明しておきます(ただ、私の知る制度は改正前のものですのでちょっと使っている指標が古いです。)。入省した時は3級でした、7年くらいすると6級まで上がってきます。ここで課長補佐になります。中央省庁で課長補佐というと、そこそこの権限を持つようになるのが一般です(が、私は持っていませんでした。)。そして、11年半で退職した際は8級でした。8級というと相当にシニアの課長補佐になります。とここまで書くと、「ふーん、そうなの」の世界なのですが、ここにも仕掛けがあるのです。一種職員は6級で課長補佐になると書きました。これは一種職員だけなのです。本来は7級からが課長補佐なのです。一種職員は一般的に6級の時代を2年過ごしますから、2年間だけは肩書き上「ゲタ」を履かせてもらえるのです。どういう細工でそういう技が可能なのかは分かりませんが、ともかく同じ6級の職員であっても、一種職員は課長補佐、そうでない職員は係長という扱いになります。なので、私が6級課長補佐の時代、同僚に6級の先輩はたくさんいましたが、私だけが課長補佐なのでプロトコール上は私が上になっていました。

 最近では経済産業省などは、4級、5級くらいでもバンバン課長補佐を名乗らせています。そうすると、入省5年目くらいの若手でも課長補佐を名乗り、エラそうな態度で民間企業の方に接していたりするのを見たことがあります。しかも、英語では「Deputy Director」なんていうインフレ肩書きを名乗っていました。「Deputy」を辞書で引くと、「自分のボスが不在の時、その代理ができる人間」となっています。羊頭狗肉も甚だしいと感じたことが多々あります。ただ、これは深刻な問題を孕んでいて、まだペーペーの経済産業省職員が課長補佐を名乗り始めると、真面目にやっている他の官庁の職員が「第三者から肩書きで下に見られちゃかなわん」ということで横並びで経済産業省スタンダードに乗ってこなくてはならなくなるのです。そうやって、どんどん肩書きがインフレ化していくのを私は「これぞ『悪貨は良貨を駆逐する』の世界だよな」と感じたものです。ということで、最近の中央官庁は肩書きがインフレ化の傾向にあるのでよく人物を見ることをお勧めします。


 かなり、話が脱線しましたが、同時昇進の上にゲタまで履かせてもらえる今の制度、本当に最善なのかと感じます。やっぱり、市役所のようにスパッと誰でもが納得する試験の機会を何処かで設けることと、同時昇進を確約しないこと(場合によっては降格人事もありうること)あたりに手をつけないといけないような気がします。


 試験をするというのは、ある意味公平さを保つ技です。ただ、試験を導入すると真面目に夜遅くまで働いている人が損をするという批判が出ます。まあ、理解できなくはないですが、そういう屁理屈に耳を傾けていては物事は進みません。場合によっては「試験+勤務評定」で判断しても良いでしょう。試験科目は、全公務員共通で知っておくべきこと、例えば公務員倫理法とか、情報公開法とか、そういう公務員として誰もが知っておかなくてはならないことをベースに少しサブスタンスのある話を交えてやればいいのではないでしょうか。ともかく、現在の根拠が薄弱で、恐らくは一種職員が持っているプライドを守ってあげるためにのみ存在している同時昇進制度を崩す端緒として、係長か課長補佐になる際に試験制度を導入するのがいいでしょう。そうすると一種職員でない人にも今よりもっとチャンスが広がるでしょうし、人材の適正な配置もよりやりやすくなるでしょう。また、その後も「年次」というのがグチャグチャになるくらい柔軟に人事をやっていければ、気が付けば早期退職勧奨制度など存在自体がなくなるでしょう。私が係長で、私の同期が局長をやっていても、それはそれでいいわけです。


 ただ、そうすると「出世レースに遅れた人」の仕事に対するモティヴェーションを保てないという批判が出てきます。今、何故いわゆるキャリア職員が馬車馬のように働くかというと、それはある程度同時昇進が確約され、その狭い範囲の中でコップの中の出世競争をさせるからです。その大枠が崩れてしまうと、「同期」という集団の統率が取れなくなり、ひいては仕事に対するモティヴェーションが著しく下がる人物が出てくるのではないか、そういう批判です。まあ、私に言わせると、「そんなことでふてくされて仕事のモティヴェーション下げる人間はほっとけ。代わりに頑張りたいという人はたくさんいる。」ということになります。もう、「同期入省」という枠組みで括りながら、組織の士気を維持しようというスタイルは限界に来ているような気がしてなりません。逆に考えると、一種職員のそういうプライドを守っていくために、一生懸命頑張っている二種、三種の職員の方々のモティヴェーションが下がるわけです(「あんなアホなのに一種職員というだけで出世していくのはおかしい」等)。組織全体としてみた時に、どの制度がもっとも出力を上げることができるかということを真摯に考えれば、お役所は一種職員のプライドとモティヴェーションを守るために現行制度を汲々として守るべきではないと思います。


 本当に公務員制度改革に取り組みたいのであれば、この「お役人のプライド」、つまりは「同時昇進による肩書き確保」ということにグサッと手を突っ込まないとダメですね。それができないと早期退職勧奨制度には切り込めませんし、この制度に切り込まない限り、天下りをめぐる議論は何処かで壁にぶち当たります。ただ、これは霞ヶ関全体を揺るがす大きなテーマです。抵抗する人は多いでしょうね。今、思い浮かべただけでもかなりの反対派の顔が頭に浮かびました。