ATTと書くと「おっ、AT&Tか。通信について何か書くのか?」と思うかもしれませんが全然違います。ATTというのは、先日、アフリカのマリという国で大統領に再選されたアマドゥ・トゥマニ・トゥーレの略称兼愛称です(「アー・テー・テー」と読みます。)。アフリカでは時折こういうかたちで人を呼ぶことがあります。例えば、1999年にクーデターで暗殺されたニジェールのイブラヒム・バレ・マイナサーラ大統領の愛称は「IBM」でした。


 このトゥーレ大統領、私はアフリカの星の1人だと思っています。元々は軍人でした。


 マリという国は歴史の古い国で、世界史の教科書にもマリ王国という名前が出てきます。14世紀の王マンサ・ムーサはメッカ巡礼の際、現地で相当に金をばら撒いたらしく、アラブ世界での金の価格が下落したという逸話もあるくらいです。たしかにあの国では金が出るのですが、専門家によると露天掘りで1トン掘って12グラムの金が出ると言っていました(単位が間違ってるかもしれませんが)。マリ王国の中心地であったトンブクトゥーという街は、古くはサハラ砂漠とそれ以南のアフリカを結ぶ交易地で今は世界遺産になっているくらいです。音楽が優れていることも有名で、私はアリ・ファルカ・トゥーレというグラミー賞も取ったことのあるギタリストがとても好きでした(最近亡くなりました。)。


 1960年にフランスから独立した後、少しフランスと距離を置き、西アフリカの地域統一通貨CFAフランにも参加せず(もうちょっと経緯は複雑ですが)1970年代、80年代には共産主義と近かったことがあります。ある意味でプライドの高い国だということです。その時の独裁者はムーサ・トラオレ。相当にムチャクチャやったようで、政治犯はすべからくサハラ砂漠の果てに片道切符の旅をさせられました。そんな無茶をやった結果、1991年にトラオレ大統領はクーデターで放逐されました。その時のクーデターのリーダーが当時中佐だったATTだったわけです。ほぼ無血クーデターでした。


 よく冷戦が終わったことによる体制転換と言われる現象が世界のあちこちで起こりましたが、結構如実に表れたのがアフリカなんじゃないかなといつも思います。ソ連はアフリカに相当手を突っ込んでいたので、それを頼りに独裁をしていた国が幾つかありました。その内の幾つかは冷戦終了と共に崩壊していきました(独裁が残った国も勿論たくさんあります)。その一つがマリであり、その他にもベナンとかが挙げられます。


 常識的に考えれば、こうやって軍人がクーデターをやれば、そのまま居座ってまた新しい独裁者になって蓄財に走るパターンが多いのです。ナイジェリアの独裁者だったサニ・アバチャは世界有数の富豪と言われていました。しかし、ATTは暫定元首となった後、1年で民政移管を果たしました。今、タイで民政移管をしようとしています。決してスムーズには進んでいませんね。1年でクーデターの後始末をして、民政移管を実現することが如何に難しいのかを感じます。まだ、アフリカ全体で民主主義といった概念が定着していない時代に、それをやり遂げただけでもATTはひとかどの高潔な人物だと言っていいでしょう。


 民政移管した後は、カーター元大統領と組んでギニア・ウォーム対策の旗振り役を務めたり、中央アフリカPKO(多国籍軍?)の長を務めたりしていました。ギニア・ウォームというのは寄生虫なのですが、水のあるところに住んでいて体内に入ると体をめぐりながら大きくなって、最後には身体の先っぽ(手の先とか足の先とか頭とか)からニョキッと出てくるトンデモない代物です。私もアフリカ在勤時に時々見ましたが、あれは悲惨です。寄生虫が人間の身体の何処かから頭をニョキッと出したところで捕まえて棒で巻いていきながら寄生虫全体を取り出すのを見た後はメシが食えなかったものです。そういうのを撲滅するために清潔な水を提供するためのNGO活動をカーター元大統領とやっていました。中央アフリカでのPKO活動を指揮した際には、かなりの手腕を示したと聞いています。当時の中央アフリカの大統領は一言で言うと「アホ」だったのですが、それを上手く収めたことで紛争予防の分野でかなり名を馳せました。欧米社会から見ると、「立派な軍人のお手本」みたいな寵児でした。


 そんなATT、2002年の大統領選に出て選出されました。つまりは、1992年に民政移管した際に大統領になったコナレ大統領が2期10年でスパッと辞めたということです。これまた立派なのです。アフリカでは2期10年で自主的に引退していこうなんていう大統領は非常に稀です。コナレ大統領はその後アフリカ連合のトップになりました。アフリカには長老政治(gerontocratie)という文化があります。「長老的なもの」に対して敬意を払います。何か困ると、すぐに長老が出てきて仲裁しようとします。そして、それが意外に上手く行くのです。大統領を綺麗に辞めたけどまだ力の余っている人間には自ずとお鉢が回ってこないはずがないのですね。自慢になるのですが、私はコナレ大統領が2002年に辞める時に当時の外務省のアフリカ担当部局のエラい人に「コナレは辞めていく大統領ですけど、まあ、いずれ国際社会で然るべき役割を与えられることになるから大切にしておいた方がいいですよ。アフリカって、そういうところですから。」と助言したことがあります。その後、コナレはアフリカ連合のトップになったわけですから、珍しく私の読みは当たっていたわけです。


 そして、ATTは先日の大統領選で大勝して2期目に入りました。恐らくアフリカの中でも尊敬される大統領としての名声を勝ち得ていくことでしょう。国内経済は決して順調ではありませんが、ATTの下でマリという国は着実に前へ歩んでいくはずです。もう一つ付け加えると、ATTは恐らく2期10年で辞めるでしょう。2代続けて大統領が2期10年で辞めていくという慣習が根付く国は、アフリカではマリを除くとほとんどありません。もうこの国ではクーデターで政権をひっくり返すような事態は起きないでしょう。ある程度安定的で民主的な体制が根付きました。日本はアフリカを支援する際に、こういう国にもっともっと目をつけてもいいと思います。


 どうしても日本だとアフリカと言えばケニアとかが思い浮かぶのでしょうが、あの国はまだ政治体制が安定的とは言い切れません。治安は悪いですし、何と言っても汚職がひどいのはいただけません。ケニアなんかよりも、お隣のタンザニアの方が遥かに上手く統治されています。タンザニアではマリ同様に安定的に政権を交代していくシステムが確立しています。それに加え、今のキクウェテ大統領を私は人物的に高く買っています。「アフリカで将来有望な大統領を2名」と言われたら、私は躊躇いなくマリのATTとタンザニアのキクウェテを挙げます。ケニアのキバキ、ガーナのクフォー、南アフリカのムベキ、エジプトのムバラク、アルジェリアのブーテフリカなんてのは、比較的日本が大切にしている国の大統領ですが、私の中ではレーティングがあまり高くありません。日本ではともすれば「何となく聞いたことのある国」、「メディアで取り上げられやすい国」に焦点が当たり、それがODAの政策にもどこかしら反映されています。そこでは、アフリカ各国の姿をしっかりと見ていないんじゃないかなと心配になることすらあります。「まとも度の高い国」をしっかり支援していくためにも、「アフリカの国のまとも度」を見る目が日本にはもう少し必要です。それはまずは「大統領が如何なる人物か?」というところからスタートします。