題だけは大上段に振り構えてしまいました。ちょっと気が引けるのですが。


 先日、テレビを見ていたら、ミタル・アルセロールと新日鉄の関係について特集した番組をやっていました。新日鉄が買収されてしまうのではないか、それに新日鉄側はどう対応しようとしているのか、そんな内容の番組でした。鉄の街北九州で生まれ、新日本八幡製鉄所の社宅で高校卒業まで育った人間としては無関心でいられない話です。


 そもそも、ミタル・アルセロールという会社自体、あまり日本では知られていないと思います。インド系実業家のラクシュミ・ミタルという人が一大で築き上げた鉄鋼部門では世界第一位の企業規模を持っています。彼のやり方というのは、途上国で生産効率が著しく下がって赤字採算の鉄鋼企業を買い取っていくことで企業を大きくしてきました。途上国で非効率な生産を続ける企業を買い取っていくというその発想はちょっと日本人の発想からはでてきにくいですが、相当に安く買い取って大きく育ててきたのでしょう。数年前まではミタル(本社自体はオランダ)といえば、「規模は大きくなっているが技術レベルが高くないので、高品質分野では新日鉄やアルセロール(ルクセンブルグに本社を持つ欧州最大の鉄鋼企業)に対抗できず大したことない」みたいな論調が非常に多かったのを覚えています。ちなみにどうでもいいことですが、ミタルは娘の結婚式のために4000万円かけてカイリー・ミノーグ を呼んだことでも評判になりました。カイリー・ミノーグというとデビュー曲の「ロコモーション」 で元気良く飛び跳ねていたこと、一時期「病気か拒食症じゃないか?」と思うくらい痩せたこと、その後(不必要なまでに)露出度の高い路線に転向したこと、最近乳癌になったこと、くらいの貧相なイメージしかない私には、「えっ、カイリー・ミノーグに4000万円?」という気もしなくはないですが、まあきっと好きだったのでしょう。私が4000万円積んで好きなシンガーを呼んでいいと言われたら、ジョージ・マイケルを呼んでアルバム「FAITH」を一通りやってもらうような気がします(一応言っておきますが、私にはゲイの気は一切ありません)。「コメディアンも可」と言われたら、志村けんと桜田淳子にこのコント をやってほしいです。


 ちょっと話が飛びましたが、一年前にミタル・グループがアルセロールに敵対的買収を仕掛けた時は欧州全体に激震が走りました。私は直感的には「この案件はEUが潰すんじゃないかな」と思っていました。しかし、結果は買収が成立してしまいました。制度上はEUはこの件をつぶすためのツールを持っていたはずです。独占禁止法の適用でも何でも、使えるツールを最大限に駆使すれば潰せたはずです。それを実現させたのはミタル親子の手腕があったのだと思いますが、それに加えて多分EUとの間に何らかの取り決めがあったんじゃないかなと思います。そもそも、EUの原型であるEECは鉄鉱石、石炭、原子力について、仏独伊+ベネルクス3国で相互に融通していきましょうよというところからスタートしているわけです。そのEU(というかEC)のレゾン・デートル(存在意義)でもある鉄鋼の分野を、いくらオランダ籍の企業とはいえインド系実業家に譲り渡すというのは相当な決断です。多分、EUとの間で何らかの密約があったのでしょう。


 そうやって大きくなったミタル・アルセロールが地盤を持たないのが我々が生きるアジアです。新日鉄があり、韓国にはポスコがあり、中国には上海宝鋼集団があります。ミタル・アルセロールは何処に目をつけているのでしょうか。今や企業規模で新日鉄の2倍弱、収益で新日鉄の3倍とも言われるミタル・アルセロールから敵対的買収を仕掛けられたらトンデモないことになります。


 実は私も北九州に戻ってきて改めて認識したのですが、鉄というのはハイテク製品なんですね。日本の企業が持っている技術というのはそれはそれは高いそうです。新日鉄八幡の方と話をすると、その品質、技術力に対するゆるぎなき自信を感じます。この前もハイブリッドカーに使われる珪素鋼板の話を伺い、技術的なことは分かりませんが世界にそうそう存在しない技術の存在を知りとても嬉しかったものです。側聞した話では(数え方にもよるのでしょうが)アルセロール買収前のミタルが持つ特許の数は40程度ですが、新日鉄は1000を越えるということを聞きました。ミタル・アルセロールが一番欲しいのは、この技術でしょう。今でもミタル・アルセロールは新日鉄と提携している部分があるのですが、新日鉄はこの技術が軽々に漏れることに対して非常に神経を使っています。


 そういう与件がある中で、ミタル・アルセロールが新日鉄を買収することの特質をザックリと考えてみたいと思います。よく企業買収とかを自由化する際の論拠として用いられるのが「企業規模が大きくなれば規模の経済が働き、また相互に得意とする分野の相互補完効果も働き、すべてのアクターが利益を得る」みたいな経済学の基本を挙げる人がいます。しかし、鉄鋼という分野で、世界第一位のミタル・アルセロールが世界第二位の新日鉄を買収するということになると、こういった経済学のお話は全く通用しないと思うのです。既に産業として成熟度を高めている業界ですし、お互いの企業がかなり幅広く事業展開しているわけですから、規模の経済など働きようがないですし、相互補完もヘッタクレもないような気がするのです。むしろ、世界政府というものが存在するのなら、世界全体の利益を考えて独占禁止法が適用できてもいいくらいの話です。


 となると、日本という国にとって、ミタル・アルセロールが新日鉄を買収することの得失と言えば、「日本にとってあまり良いことはなくて、技術だけが流出していくだけ」ということになりかねません。極端な市場主義経済を信奉する人間なら「そうやってハイレベルな技術が世界全体で使われることになれば、世界全体でハイレベルな鉄鋼製品が生産され皆幸せになれる」みたいなことを言うのでしょうが、それはすべて日本の国益、国力を犠牲にして行われることです。そういう動きには私はとてもとても否定的です。今、日本では「三角合併解禁」ということで外国企業が自分の株で日本の企業を(日本に便宜的に開設する子会社を通じて)直接買収できるということになっていますが、例えば、このミタル・アルセロールと新日鉄の関係を見ても分かるように、常にそういった三角合併が日本に良いことをもたらすとは限らないような気がします。技術が流出し、日本の鉄鋼産業がミタル・アルセロールという超巨大企業の日本支店になることは如何なる理屈を駆使しても正当化し得ないと思うわけです。


 ミタル一族は、最近アルセロール社出身の幹部のクビを纏めて飛ばしました。ミタルとアルセロールの間に「買収後、一定期間はアルセロール社出身幹部のクビを飛ばしたりはしない」という取り決めがあったにも関わらず、そんなことはお構いなしに買収したらバシッと首を飛ばしてミタル・グループによる支配を強めました。結局「義理人情」があまり通用しない生き馬の目を抜く世界が繰り広げられるのですね。市場主義経済を信奉する人は「外国企業が入ってきて、どんどん日本経済を活性化してくれれば良い」ということを言います。総論としては正しいでしょう。ただ、私はイギリスのマンチェスターやリバプールで見た光景が忘れられません。イギリスの経済はウィンブルドン化と言われるように、「ロンドン金融市場を初めとするイギリス経済では外国企業ばかりが活躍してイギリス籍の企業は少ない」のが常態化しています。伝統的にイギリスで生まれた企業(例:Rover)もどんどん外国に買収されてしまって、今やイギリス企業は殆どモノを作っていません。そのような中、かつて鉄鋼で栄えたマンチェスター、造船業で栄えたリバプールはどんどん衰退していきました。今やマンチェスターの一番の産業はマンチェスター・ユナイテッドですし、リバプールの最大の産業はビートルズと言ってもいいくらい寂れてしまっています。義理人情が通用しないミタル・アルセロールが新日鉄を買収した際に北九州の八幡製鉄所は残っているだろうか。もしかしたら、マンチェスターの駅を降りるや否や、駅前のビル(昔はかなりの繁華街だったはず)に「to let(貸します)」と書いてあったような風景がこの街にも出てくるんじゃないかという気になります。


 北九州には100年余に亘る鉄鋼生産の歴史があります。街中を歩いていると、面々と続いてきた鉄鋼生産の歴史を感じる施設がたくさんあります。そういった施設に対して私は強い思い入れがあります。そして、100年余に亘って培ってきた技術もあります。それを単なる「買収」という行為で全部売り渡していいのか、それは違うんじゃないか、売り渡したら技術だけを吸い上げられて結果的に日本(というか北九州)はミタル・アルセロールの世界戦略に組み込まれた結果、マンチェスターのようになってしまうのではないか、こういったことから日本を守るために政府が講じることのできる施策はないのか、そんなことを考えました。雑な議論になりますが。