先日、友人のカリホという男から連絡がありました。外務省時代は二人で世界の僻地を旅するのが恒例になっていた無二の友人です。かつてトルクメニスタンの地方都市マリで、いつまで経っても目的地に行けないダメタクシーに対するお代をケチったら揃って警察に連行されてしまったとか、ウズベキスタンの首都タシケントの繁華街にあった野外カラオケでカルチャークラブの「カーマ・カメレオン」を二人で熱唱し大歓声を浴びたとか、タジキスタンの地方都市ホログで見つけた加藤茶そっくりの男に二人で「カトちゃんのくしゃみ」を教え込んだりとか、まあ腐れ縁は尽きない男です。


 彼が面白いことを言っていました、「最近東ティモールに出張したのだが、かの地では子供が靴を履いてなかった。中東でもそういう国があったが、世界でまだまだそういう国は多いよな。」。


 私も似たようなことを感じていました。アフリカ勤務時からずっと持っている問題意識に「大体、どれくらいの経済水準になると人は靴を履くようになるか?」というのがあります。私のいたセネガルは大体1人当たりのGDPが年700ドル弱でしたが、このレベルになると靴を履く人が非常に増えてきます。逆にこれを下回ると目に見えて靴を履く人の数は減ります。セネガルよりも経済が厳しい状況にある隣国のマリ、ブルキナ・ファソでは明らかに靴を履く人が減りました。世界最貧地域の一つエチオピアでは靴を履く人は非常に少ないと聞きました。


 これまで見てきた相場観をすべて総合すると「1人当たりのGDPが年400ドルを越えると人は靴を履くようになる」といった感じです。論理的な説明は全く出来ません。あくまでも、私個人であちこち見て回った相場観に過ぎません。そう思いながら、東ティモールの経済指標を見てみると、1人当たりのGDPは400ドルを少し下回るくらいでした。


 最近、戦後間もない時期の日本の世相を映した写真集を見ましたが、靴を履いていない子供が散見されつつも、大体の人が靴を履いている、そんな感じでした。戦争により経済レベルがかなり下がったんだな、今で言うと1人当たりのGDPが600ドルくらいだったんじゃないかな、そんなことを思いました。その時代から今の日本を築き上げた先人の苦労に頭が下がります。「靴を履いて育った我々は幸運なのかもしれないな。」、そんなことを深夜にボンヤリ考えました。