情報公開法という法律があります。行政機関の保有する情報を公開するための行政手続を定めた法律です。行政機関が保有する情報には広く公開することで、行政に対する的確な理解と批判の端緒とするためのものだと理解しています。


 情報公開、とても良いことだと思うのです。えてしてお役所というのは自分のやっていることはとてつもなく重要で、一般の国民の方々に軽々に見せるなどとんでもない、なんていう感覚で考えていることが多いです。しかし、その実は(当事者の思惑とはうらはらに)「大方の情報は公開しても構わない」ものであって、そういう独り善がりの「秘密情報」について再考を迫るきっかけにもなると思うのです。どうしても公開すべきでない秘密をしっかりと決め、それ以外については積極的に公開していく、これが正しい姿なのだと思います。


 ただ、実態はもうちょっと複雑です。私も外務省にいた際に何度も情報公開請求の対応をしたことがあります。正直「ウンザリ」なのです。この法律は罰則が伴うので、一度情報公開請求が来ると当該案件に関して「存在するすべてのファイル」を見なければならないということがあります。「当たり前だ、手を抜くとはけしからん」というお叱りを覚悟の上で言うと、とある件について「存在するすべてのファイル」を見なくてはならないというのは、それはそれは苦痛なのです。通常業務がある中で、夜遅くになってから埃まみれになってかなり古いファイルを見ているとちょっと切なくなります。あまりに古すぎて紙質が悪く、私はちょっとアレルギーになってしまいました。そして、該当する文書をコピーして、個人情報に当たる部分など非開示部分に当たるところに黒でマーカーを引いて・・・とやっていると気が付くとすっかり夜が明けていたこともかなりありました。一件処理をするのに大体数時間は掛かります。一度、あれをやると、次からは開示請求者が来たら、まず面談をして、「あなたの希望する情報は(情報公開請求制度の枠外で)きちんと出しますから請求だけは勘弁してください」という気分になります。


 「当たり前だろ、それが行政の義務だ」と言われればそうなのですが、情報公開制度が十全に機能するためにはもうちょっと体制整備が必要だと思います。以下は少数者の遠吠えですが、私の思うことを書き連ねます。


● 整理学
 何といってもこれです。お役所の文書というのは整理学が確立していないので、ファイルを作る人によってスタイルがかなり異なるのです。今ではもうそんな人はいませんが、昔は「緒方1」、「緒方2」・・・「緒方50」みたいなファイリングをしている御仁もいました。「分類するな、時系列にファイルしていけ」といういわゆる野口教授の「超整理法」を地で行っているのです。極秘の文書の上に、スポーツクラブのご案内みたいな福利厚生の回章がファイリングされているイメージです。あの「超整理法」というのは、個人でファイリングする際の整理学であって、他人に引き継ぐファイルであれをやっちゃいけません。情報公開法が施行された際に、そういうファイルはある程度は是正されたと思いますが、それでもどのように整理していけばいいのかという整理学が確立されているわけではないので、一つの情報を探すのに相当な時間を要することがあります。
 例えば、「対トルコ外交1」から「対トルコ外交50」というファイルが50冊あったとします。その中で、「1996年にネジュメティン・エルバカン福祉党党首が首相になった際の日本とのやり取りに関する文書」ということで非常に細かい情報公開請求が来たとしましょう。これは地獄です。こういうケースがとても多いのです。私もケースは全く違いますが、こういうケースに出会いました。まあ、これは行政側の問題ではあるのですが、非常に負担になっていることだけは知っていただきたいと思います。
 私は大分類としてファイルを分け、中分類としてファイルの中の仕切りを分けた後に「超整理法」を実践していました。これがスタンダードだろうと信じて疑わないのですが・・・。


● レファレンス能力
 これは上記の整理学と繋がるものなのですが、日本の行政機関の保有する情報は著しくレファレンス能力が低いのです。まずは上記のとおり、保有する情報が上手く整理されきっていないということがあるのですが、それと同じくらい深刻なのが、司書、アーカイビスト(archivist)に当たる人が育っていないということが挙げられると思います。私はフランスに住んでいましたが、フランス外務省では司書のトップに当たる人(図書館長みたいな感じ)はいわゆる局長級でした。ランクがとても高いのです(企業で言えば、書庫室長が専務取締役みたいなイメージで良いと思います)。そして、その局長に相当する人は図書館学のプロ、外務省にある情報であれば大方何でも知っている、彼に聞けば何でもでてくるくらいの知識人なのです。それくらいの人が上にいると、情報管理に対する意識も高まり、レファレンス能力も自ずと高まっていくのではないかと思います(勿論、ランクだけで実態が変わるわけではないのですが)。
 日本でレファレンス能力が高いなあと感心した組織があります。それは国立国会図書館です。逆に言うと、国会図書館というのは「レファレンス能力命!」の世界であって、あれほどまでに情報をきちんと整理してレファレンスの能力を高めている組織は無いように思います。まあ、それだけお金を投じているということなのですが、日本の知が文書として結集され、それがすぐに出せるだけの力があるという意味であの組織はなかなかのものだと常々思っていました。勿論、国立国会図書館長というのはかなりランクの高い方が着きます(これまでは国会の事務総長の天下りポストでしたが、最近、河野衆議院議長が「国会図書館長には日本の最高の知性を据えるべし」ということで長尾元京大総長を任命しました。とても良いことだと思います。)。


● 組織の実状
 では、各行政機関で国会図書館並みの体制が整備されているかというと、もう全然及ばないのが現状です。通常業務をやりながら、「ウンザリ」と思いつつ、深夜にファイルを漁るというのが恐らくすべての官庁の実態だと思います。そこには崇高な理念も何も無く、ともかく「罰則にはまらないように」という一念だけです。
 私はそもそも通常業務をやっている人達が情報公開まで担当するというのはあまり健全な姿ではないと思うのです。きったはったの世界でやっている合間に情報公開のために過去のファイルをあれこれ探るというのは人的リソースがあまり有効に使われていないように思うのです。
 一番あらまほしき姿は、情報を作る側と管理する側を明別することでしょう。ある程度古くなった情報は書庫で管理する、書庫には十分な人員を配置し、レファレンス能力を高める、そしてその長には「図書館学のプロ」を据える・・・、書いてみて「無理かな」と思いますが、何はともあれ、そういうのがあらまほしき姿だと私は思うわけです。今の組織では情報を入手し、作る人間が、管理をして、公開にまで携わるということになっています。それは過剰な負担を強いています。
 障壁は2つです。「そんなに新規に人員を割けない」、「原課から情報が思うように出てこない」、まあこういう障壁があります。前者は財務省が固いでしょうね。しっかりとして情報公開制度を確立しようとするために人員増ということになれば財務省は猛抵抗するでしょう。後者は情報を管理する人に対する信頼感が現時点では高くないために、情報を入手し、作る原課が信頼して書庫室長(というか文書館長)に情報を委ねることができないということがあるのだと思います。それ故に、ランクの高い人が書庫室長をやる必要があるんですけどね。


 行政機関内部のゴタゴタについてあれこれ書きました。分かりにくかったかもしれません。ただ、情報公開制度が十全に機能するためにはもうちょっと工夫が必要だよな、そんなことを感じました。