先日、柔道の全日本選手権がありました。柔道の世界選手権の代表選考も兼ねていたのですが、「また、そんな話か」と思わされました。


 女子48キロ級で優勝したのは福見選手。決勝で谷亮子を破っての見事な優勝でした。一本勝ちではありませんでしたが、きちんと出足払いでポイントを取っての勝利でした。しかし、世界選手権の代表になったのは谷亮子。「世界選手権できちんと成績を残してオリンピックの出場枠を確保するためには実績のある谷が・・」みたいな話だったそうです。


 この手の話を聞くと「またか・・・」と思いました。感情的になりますが、アホ臭くて聞いてられません。そういう不透明な基準で決められては、一生懸命やっている選手は浮かばれません。事前に一切明らかにされない「実績」という名の基準。初めから「谷は決勝まで行けば、復帰直後ということもあり代表にする」ということが明らかになっていたのなら別ですが、そういうことでもありません。結局「谷亮子が代表になること」が先にありきだったのではないかと疑っても不思議はありません。


 昔、マラソンで似たような話がありました。ソウル・オリンピックの代表選手を決める際に「福岡国際マラソンで決める」ということだったのに、当時日本の(少し力量が落ちてきたものの)エースだった瀬古俊彦は怪我で出られませんでした。そうしたら、陸連は突然基準を変えて、「(福岡国際マラソンよりも後に予定されている)びわこ毎日マラソンも代表選考会に加える」ということにして、しかもびわこ毎日マラソンでもあまり良い記録を出せなかった瀬古俊彦(ただし1位だった)に対して、これまでの実績を勘案して代表にしてしまったわけです。たしか、工藤という名前の福岡国際マラソンで日本人3位だった選手がオリンピック代表からはじき出されてしまいました。当時、瀬古のライバルだった中山竹通(代表になった)が甲高い声でイヤミを言っていたのを思い出します。結局、瀬古はオリンピックでまあまあの成績(メダルは取れず)でしたが、子供心に嫌なものを感じました。


 それと同じなのです。世界選手権、そしてオリンピックに向けて努力してきた福見選手を正当に評価してあげない理由は何なのでしょうか。私にはさっぱり分かりません。「田村で金、谷で金、ママで金」、大いに結構です。しかし、そういうメディア的に売れるものを優先するあまり、スポーツの重要なフェアネスが失われるのだとしたらとてもとても残念なことです。私は谷選手の言う「ママで金」は、個人の思いとしては尊重しますが、勝負の世界の厳しい現実の中では考慮に全く値しないですし、値してはならないと強く訴えたいです。「今、一番誰が強いのか」、その一点で選んでほしいですね。それで仮に世界選手権で負けたとしても、基準が明確なら清々しく受け入れる度量も必要です。


 少し、いやかなり偏屈の気のある私は福見選手のファンになりました。これからはテレビの前で黒霧島でも呑んでくだを巻きながら応援していこうと心に決めているところです。