高校時代、世界史という教科を学びました。今、思い直すと色々と不思議な気分になる内容がたくさん盛り込まれている教科でした。私は最後まで幾つかの歴史的事実が理解できませんでした。王朝の推移なんてのはどれもとても人間臭い世界だと思うのですが、それが非常に機械的に描写されているので時に「えっ、なんでそうなるの?」と思うことがありました。例えば、ドイツ統一やイタリア統一について明確なイメージをつかんだのは大学に入ってからです。


 高校で教える世界史、これからの世代がどういう世界観を持って社会に出てくるのかということに直結しますからとても重要だと思います。最近は世界史はかなり重視されてきているようです。当然のことです。ただ、私には色々と不満があります。それは世界史の教科書で展開されている世界観そのものがあまり好きではないのです。


 高校の世界史の教科書を見ると、簡単に言い切って以下のような印象を抱くと思います。
● 古代の時代はギリシャ、ローマ帝国、中東・エジプト、中国が世界のすべてであった。
● その後も欧州、中東(イスラム社会)、中国が世界の中心であった。
● 途中からアメリカが世界史のスコープに入ってきた。
● そして、現代に至る(しかし、現代史はあまり勉強しない。)。


 大体、こんな感じだと思います。世界には欧州、中東、中国という3つの中核があって、それを中心に世界全体は回ってきたという印象を抱かない高校生がいるでしょうか。いないと思います。私は完全にそういう世界観でした。それ以外の世界というのはすべて「辺境」という位置付けになります。


 外務省に入って色々と勉強して、そういう世界観を疑うようになってきました。特に私は中央アジアやアフリカの世界に自分の関心を傾注していたので、欧州・中東・中国中心の世界観に疑問を強く持つようになったわけです。中国の歴史を見てみると、それは遊牧民族との闘いであり、しょっちゅう負けては征服されているわけです。どう考えても南宋と金を比較したら、後者の方が中国の覇者だと思うのですが絶対にそういう解釈はされません。遊牧民族や「辺境」の勢力から見ていくと全く異なった世界観が出てくるんじゃないかなと思うのですが、そんな解釈は相当に異端のようです(騎馬民族から見た史観 です。)。


 これからは、日本で学ぶ世界史でいうところの「辺境」に注目が集まるようになるでしょう。私が好きなインドなんてのはその良い例です。どんどん日本人がインドに行くようになるでしょう。しかしながら、私が世界史で知ったインドの歴史というのは、(私の記憶が正確であれば)大体以下のようなものです。
● マウルヤ朝→クシャーナ朝→グプタ朝→ヴァルダナ朝(注:そもそもこういう描写自体間違っているのですが)
● その後、世界史にはあまり出てこない。
● 突然、14世紀くらいの征服王朝の場面で再登場。ムガール帝国になる。
● その後、近代史になり英領インド。


 まあ、これだけでも知っていれば役に立ちますが、多分インドの歴史という観点からは全然ダメです。これからインドとのお付き合いが重視される中、この程度の「中国と中東のおまけ」くらいの認識で日本の知識層が形成されていくとすれば致命的だと思うのです。


 歴史は解釈の学問です。見る人によって歴史観は相当に異なります。故に今の世界史の教科書に繰り広げられる歴史観を絶えず問い直す所作が必要だと思います。世界には中国・中東・欧州(+アメリカ)という3つの主たる歴史があって、後はおまけという世界観は、きっと昭和時代の偉い大学学者の世界観でしょうが、現代社会ではちょっと無理があるような気がします。何処から世界史を見ていくか、日本全体の「知」を形成していく上でとても重要です。