最近もドンパチと発砲事件が全国レベルで報じられ、すっかり「実は危ないんじゃないの?」という評判を確立しそうなわが街北九州市。実際に住んでみるとそんなことはないのですが、それにしてもこれほどまでに発砲事件の多い街は全国でも有数でしょう。


 同様に、某報道番組で生活保護申請者への冷たい仕打ちが全国的に報じられたこともありました。この件はその後もマスコミの関心を買っているようで「闇の北九州方式」は一部マスコミの格好のネタになっています。何といっても、刑務所から出たばかりの人が北九州市で生活保護を申請しようとしたら(山口県)下関市までの切符を渡され、その人は下関で途方にくれて「こんなことなら刑務所に戻りたい」と下関駅に火をつけたという事件まで引き起こしています。北九州市民として、下関の人に「すいません」と謝りたい気分です。まあ、かつては暴力団が多数生活保護を受け取っていたという事情への対応で、申請者に対する当たりが厳しい(申請書をおいそれとは渡さず事前審査をする)という不幸な過去があったようです。ただ、どう見ても普通に困窮している人にまでその方式を適用してはいけません。この件は思うことが多いのでまた別の機会に。


 そんな暗いイメージ満載の北九州。あまり暗いことばかり書くと怒られてしまうので、お里自慢を少ししておきます(自慢にならないものも入っていますが)。


● パンチパーマ
 そうあのパンチパーマ、発祥は北九州だそうです。今ではさすがに減りましたが、たしかに街中にたくさんいました。中学校にもいたような気がします。我が東筑高校では私が一時期やっていました(暴力系体育教官にボコボコに殴られましたが)。
 やったことがある身として言わせてもらえば、あれは便利です。コテでかなり細かくパーマを当てるのでガッチリと固まります。頭を洗ってもドライヤーの必要がありません。ただし、頭を洗うと水分でパーマがよりクルクルと巻かれてしまうので、乾くまでは相当に気合の入ったパンチパーマ状態になります。それはそれは18歳の緒方青年には身分不相応な姿でした。身長181cm、体重75㌔でパンチパーマの青年、今、そんなのを東京で見たら爆笑してしまうでしょう。


● 焼カレー
 これは郷里に戻ってきてから発見した代物です。なんと説明したらいいのか分かりませんが、多分普通のカレーライスをオーブンで焼いたのではないかと思います。その上に半熟卵を乗せているケースが多いようです。ドリア感覚のカレーと言い切ってしまえばそれまでですが、意外にこれがウマいのです。私はかなり好きです。北九州市の門司区で生まれたもので、今、売り込もうとしています(が全然メジャーになりきれていません。)。原宿辺りで火がつかないかなあ、市長選応援にきたモーニング娘。あたりが責任とって宣伝してくれないかなあと密かに願っています。


● フグとクジラ
 まあ、これは下関が有名ですね。すっかりブランド化してしまいました。下関に行くと、あちこちでフグとクジラ料理の看板を見ます。
 ただ、北九州でも普通にお安く食べることが可能です。東京だとフグというと高級品で「皿が透けて見える」のが相場でしたが(まあ、それが正しい食べ方なのかもしれませんが)、こっちではあまり(金銭的に)キバらなくてもかなり充実したものを食することが可能です。
 ただ、それよりも何よりも薦めたいのがクジラ。クジラのベーコンで呑んでいる時は幸福な気分になれます。漁業資源として枯渇しないのなら捕鯨くらい認めろよ、と何のヒネりもないことを考えます。まあ、捕鯨に関する議論というのはあまり生産的ではありません。反対派の議論というのは、何処までいっても感情的なのです。畜産が良くて、(魚の)蓄養がよくて、捕鯨がダメだというのはどんなに理屈を積み重ねても「クジラが可哀想だから」という感情的な議論を超えることはありません。それも何故クジラが可哀想かという議論の根底には、知能が高いといった根拠薄弱で「頭が悪い生き物は食ってよくて、頭がいいものはダメ」という思想があります。しかも、アメリカやカナダはアラスカ等に住む原住民イヌイットが獲るクジラはOKと言っています。そういう相手と真っ向から議論するのは本当は不毛です。
 日本は援助を使ったりしながら、捕鯨賛成派(というか特段の意見をもっていないけど日本が言うなら賛成してあげてもいいと思っている)国を国際捕鯨委員会(IWC)に送り込んでいます。今はまだ劣勢ですが、遠からず賛成派が上回りそうな勢いです。ただ、日本の展開する理屈の中にも「えっ?」と思うようなものがあります。その一つに「クジラは魚をたくさん食べるからクジラが増えすぎると漁業資源が減る」というものです。正しいようにも聞こえますが、それこそ食物連鎖じゃないかと思うわけです。こういう議論を展開すると、欧米の理屈っぽい反捕鯨論者に論駁されます。水産庁(というか農林水産省)には「逆境になると筋の悪い理屈を使ってでも反論しようとする。そして相手に負けてくる。」という習慣があります。どういう理屈で捕鯨を正当化するのかはもう少し思慮深くやってほしいものです。
 ちょっと長くなりましたが、北九州で食べるクジラはなかなかイケます。値段も比較的安いので上京する際に持っていこうと思うのですが、なかなか長持ちしないんですよね。


● オレオレ詐欺、ノーパンしゃぶしゃぶ
 クジラの話で力が入ってしまいましたが、最後にもう一つだけ。
 どうも「オレオレ詐欺」の発祥も北九州のようです。昔、聞いたのは大蔵官僚が好きだった(と言われるが、他の官庁のお役人も結構行っていた)ノーパンしゃぶしゃぶもこの地で始まったそうです。こういう人間の本性に関わるところを見透かして金稼ぎのチャンスに変える能力がこの街にはあるのかもしれません。「その構想力は認めるから、もうちょっと別のことに頭使え」と言いたくなります。


 ちなみに何故「ノーパンしゃぶしゃぶ」が一流大学卒の官僚にウケたかについて私なりに解説しておきます。一流大学に行っている人というのは非常に強いコンプレックスを持っているのが常です。そのコンプレックスというのは「自分は勉強ができるだけの人間ではないのだ(そう見られたくない)」という強い拘りです。自分を一部擬悪化して、勉強だけじゃない幅の広い人間であることを演出することに腐心します。そんな人達にとって、ノーパンしゃぶしゃぶという安っぽい言葉の響き、そのサービスのチープな感じは「エリートでない自分」を演出するにはもってこいだったのです。「ノーパン」というチープなサービスと、「しゃぶしゃぶ」という若干卑猥な印象を与える言葉の組み合わせも「アンチ・エリート感」を演出するには良かったのです。あれが「ノーパン焼肉」、「ノーパン懐石」、「ノーパン・イタリアン」、「ノーパン・ジンギスカン」ではダメなのです。「しゃぶしゃぶ」という言葉だから良かったのです。本当に純粋にノーパンの女性と出会いたいのなら別の世界があるはずです。そもそも、サービスとしてはノーパンの女性が供してくれるしゃぶしゃぶは食べにくいでしょう。しかし、その無理があるサービスを「ノーパンしゃぶしゃぶ」という言葉で括って、一流大卒のエリートのアンチ・エリート意識(その裏には強烈なエリート意識がある)をくすぐった、まあ、こんなところでしょう。今、思い直しても上手いネーミングだと今でも思います。本当に北九州で考えつかれたものであるのなら、その構想力は見るべきものがあります。ホント、その構想力を町の発展に活かしてほしいです。


 あれこれ脱線しながら書きました。北九州、発砲ばかりが目立ちますがメシは上手い、地震はない、物価は安い、意外に良いとこです。是非関心を持ってください。