最近、「給食」というテーマについて考えることがありました。


 小学校の頃の給食といって覚えているのは、
・ 冷凍みかんを引き出しに入れておいたら数日後に描写不可能なくらいトンデモない状態になっていた。
・ マーガリンが引き出しの中で潰れて引出しごと洗った。
・ 放課後になっても嫌いなメニューを食ってた人がクラスに必ず一人いた(そもそも放課後まで引っ張ると冷えて不味くてとても食べられないはず)。
・ にんじんのオレンジ煮は超不味かった(今でもメニュー名を聞いただけで不味さが脳裡に甦る)。
・ 4年生から米飯が始まったが発泡スチロール臭かった。
・ 牛乳に茶色の絵の具を入れて、「コーヒー牛乳」と銘打って友人に飲ませた。
・ 何故か、北九州市立萩原小学校で給食時に流れる音楽は「ジンギスカン(
http://www.youtube.com/watch?v=JfxJhHw62FQ )」だった(よくあんなポップな曲でメシを食ったものだと思う。)。
・ 当時はクジラがよくメニューに乗っていて、一番ポピュラーなのは「くじらの甘露煮」だった(最近は小倉の街でくじらベーコンで呑んでいることが多いが、いかんせん高い。)。
・ 給食の先割れスプーンのせいで、私は今でも箸がうまく使えない。
 などなどです。


 一部の苦手なメニューはあったものの、大体私は給食の時間が楽しみでした。私は今、身長が181cm、体重が75キロと普通にデカいのですが、このデカさのうち7割くらいは小学校の給食によるものだろうと思います。給食をしっかり食って、普通に飛んで跳ねていれば、まあ健康に育つでしょう。


 今、中学校には弁当を持ってこない子供が増えているそうです。しかも、朝もロクに食べてないと来ていますから、どう考えても成長を害しています。中学時代は1日5食くらいは食べていた者としては、どうやってそれで成長期を維持できるのかが疑問でなりません(ちなみに私が高3、弟が中1の際、緒方家では一ヶ月で40キロコメを消費していたらしい。)。


 では、中学校でも給食をやってみるか、というと、これに対しては「親の作る弁当のありがたみを子供が感じなくなるのはよくない」という反論があります。至極まともな意見だと思います。欠食への対応と親の弁当のありがたみ、この間でどうバランスを取るか、なかなか難しいのです。中学校給食賛成派は「子供に責任はない。皆に平等に昼食を提供してあげたい。親の負担軽減にもなる。」と言うでしょうし、反対派は「子供の成長に第一義的な責任を持つのは親。子供にはきちんと弁当を持たせたい。」と言うでしょう。正直なところ、どちらにも一理あります。弁当の日と給食の日を3:2くらいにしてみるのがいいのかなと思ったりもします。


 まあ、仮に中学校で給食をやろうとすると、その他にも以下のような問題があります。

● 未払い
 最近、多いそうです、給食費の未払い。しかも、経済的に苦しいわけではない方が払わないというケースも多いそうです(経済的事情のある方は適正な手続きを踏んで免除するのは当然です)。全国で22億円にも上るとか。学校の先生と話していると、どうにもこうにもならない屁理屈をこねる親も多いようで、払う気のない親から徴収することの苦労を語っていました。社会の相場観からいって、給食費で法的措置を講ずるというのがやりにくいこともあります。こればかりは名案がありません。日本人の道徳観が崩れてきているということなのでしょうか。私は「子の教育の前に親の教育」というのが持論ですが、正にそういう次元にまで下がってきているようです。私の中学時代の友人で、離婚して子持ちの女性が数人いますが、先日話した時には「経済的には楽じゃないけど、給食費くらいは持たせてあげたい。」と言っていました。「そうだぞ、そうなんだぞ、頑張れよ。そのおまえの心意気は必ず子供に伝わる。」と心の中で思いました。


● やり方
 意外に難しいようです。一番いいと思うのは、現在の小学校の施設を使って、中学校にも提供することでしょう。できるだけ追加投資を少なくするためにはこの方式がベストだと思います。何処か街に大きな給食センターを作って持ってきてもらうやり方もあります。これは議論があるところですが、私は外注という手段は良いと思っています。外部の民間企業に委託してやってもらうことで経費が節減できて、おいしい給食が提供できるならそれはそれで良いと思うわけです。こういうことを言うと、必ず「民間に任せると利益第一主義で質が下がる」みたいなことを言う御仁がいます。大体、どの分野でも民営化する際に出る議論です。私はこんなバカな論理はないと思いますし、民間企業で頑張っている方に失礼だと思うのです。むしろ、民間企業のほうが生き馬の目を抜くような競争をしているので、給食業務を受注し続けることを考えれば質を軽々に落としたりすることはないでしょう。民間企業→利益第一主義→質が下がる、よく使われる議論ですが、そうであることもあればそうでないこともあります。一概にそんな議論をしていたら、日本は共産主義社会になってしまいます。
 ただ、センター方式にしても、外注方式にしても、近隣に厨房がない状態で給食を運営していくことには一抹の不安はあります。事実上、お弁当の配布に近くなるような事態は避けなくてはなりませんね。


● 多様なニーズへの対応
 現代社会では色々なアレルギーなどに対応しなくてはなりません。これも難しいそうです。お役所の視点から行くと、どうしても一律の給食で行きたいという思いが強くなります。その方がコスト、手間の観点から管理しやすいからです。多様なメニューを設けようとするとそれだけコストがかかります。ただ「アレルギーがあるなら食べなきゃいい」とは私には言えません。何か良い知恵がないものかねと考えます。まあ、最後の最後はコストとの相談になるわけですが・・・。
 あと、地元の農村地帯を回っていると「うちの農作物を給食に提供したいんだけどねえ」というお話を伺うことが結構あります。良いことだと思うんですよね、これ。ついでに学校教育の一環として野菜作りとかをやらせて、そこで作ったものを給食に出すというのも教育上とても良いことだと思います。こちらの方は少し行政が頑張れば比較的実行しやすいと思います(が、実務上そうではないという意見も聞きます。)。「一定量供給できないと給食には使えない」というのが行政の立場であることが多いそうですが、そこはもうちょっと柔軟に考えてくれてもいいように思います。


 給食で背が大きくなった者として、結構拘りがあります、このテーマ。上記でも書いたように、最後はどのテーマも「コストとのご相談」になってきます。すべての人が100%満足するような制度を作ることは難しいでしょう。わが市の新市長は至る所で「おいしいものにするからね。」と若奥様や小学生に語りかけています。頑張ってほしいと思います。