地方自治体の首長、長く勤めている方が結構います。たしか、この前81歳の町長さんが10期目の当選(無投票再選)を果たしたという報道を見ました。もうそこまで行くと誰も対抗馬になることはないのでしょう。


 私は地方自治体の首長の多選には極めて批判的な人間です。権力は必ず腐敗する、これが私の基本的な信念です。地方自治体の首長というのは、いわば大統領です。その権威を直接民主制に求め、議会によって選ばれるわけではないため、議院内閣制における内閣総理大臣とはその重みが違います。余程のことがない限りは4年間居座りつづけることができます。行政に対するグリップの効き方も、大臣がお役所に及ぼすものとは比較にならないくらい強いです。


 であるが故に、長くやりすぎちゃいけないのです。長くなればなるほど、権力の構図が固定化し、その固定化された制度の中での既得権が確立し、その既得権を守るために多くの関係者が首長の方ばかりを向くようになるわけです。しかも、その権力は強大なものであるが故に、時には狂ってきたり、勘違いしたりする首長もいるわけです。それは首長がどんなに善意であろうとも生じ得るものです。また、首長がどんなに選挙で圧倒的な支持を得ていようとも(得ているが故に)そういう問題というのは生じてきます。


 私は「3期12年」という最近世論で言われるような任期の相場観でいいと思います。何故かと聞かれると困るのですが、10年くらいが人生の区切りとして一番良く、人間が緊張感を持って物事に取り組めるのは10年くらいが限界じゃないかと思うのです。逆に初当選時の志を本当に全うするには、多分10年くらいは必要です(少なくとも1期4年では無理)。ということで3期12年を区切りに首長は代わってもらうことが適当でしょう。


 私はこういうのは法制化して、ありとあらゆる首長というのは3期12年以上やっちゃいかんという法律を作ることに賛成です。こういうことを言うと「選挙で選ばれるんだからどれだけやったっていいだろう」、「職業選択の自由を害する」という議論が出てきます。こういう議論を聞くとウンザリします。選挙で選ばれて強大な権力を持つんだから自ずと他の職業に比して大きな制限がかかるのは当たり前である、何故そう考えることができないのかが不思議でなりません。職業選択の自由、そりゃ当たり前です。では、大統領が1期5年の韓国、2期8年のアメリカは職業選択の自由が害されている国なのでしょうか。それは違うでしょう。やはり権力の大きさに対するチェック・アンド・バランスの発想がきちんと根付いているわけです。こういう時に「職業選択の自由」という文言の文理上の解釈だけで「多選禁止の法制化」に反対するというのは、考え方がとても四角四面でバランスに欠けているのです。日本には多いのです、こういう「法匪」(これは周恩来が日本外務省の条約局長を指していった言葉ですが。漢字変換する際に「包皮」とか「放屁」と出るのが難点です。)。


 外国を見ていても、10年以上やっている元首となるとどうしても制度疲労とかスキャンダルがポコポコ出てきます。フランスの大統領は近年まで7年が任期でミッテラン大統領は14年やりましたが、最後の数年は金庫番の側近がエリゼ宮内で自殺したり、首相が金銭スキャンダルで(選挙に大敗し)自殺したりと、ともかく本人の病気も含めて死臭の漂う政権でした。今のシラク大統領は1期目が7年、2期目が憲法改正により5年で計12年勤めることになりますが、やはり醜聞や金銭問題の話がポコポコ出てきていてレームダック化が甚だしいです。任期が短い韓国の大統領でさえ、最後の1~2年は必ず親族スキャンダルが出てくるのが恒例化しています。そして、退任後に後ろからグサッとやられる傾向にあります。アメリカ大統領の2期目の後半がレームダック化してしまうのはもう慣れっこになってしまいました。アフリカでは、当初名君と言われたブルキナファソのコンパオレ大統領は既に20年近くを経て、名君ではなくなってしまいました。名君と言われたマリのコナレ大統領はスパッと10年で辞めて、今はアフリカ連合(AU)の委員長をやっています。この違いは大きいですね。


 勿論、日本の地方自治体に多選の首長で良い人がいないと言っているわけではないのです。あくまでも、長くやればそれだけ権力腐敗と制度疲労が起きる「可能性が非常に高い」というだけなのです。そこで「本当に立派な人まで12年で辞めさせるのはおかしい」と言うか、「全体のメリットを考えて、本当に立派な人も含めて12年で辞めてもらうべき」と言うかの違いです。私は後者がいいと考えているわけです。こういうのは例外を挙げ始めると切りがありません。良い例ばかりに目が向いて、そちらへの配慮ばかりが先に立ちますが、往々にしてそういう「多選でも立派な人がいるんだから制度化するのはおかしい」と主張する首長自身が、その「多選でも立派な人」に該当していることはありません。制度としてスパッと12年で区切ると政権運営にも締まりが出るでしょう。本当に立派な人には次のステップで別の活躍をしてもらえばいいだけの話です。


 ちなみに、話が少しずれますが、私は首長選と議会選は一緒にやるのが一番いいと思います。市長が代わる時に議会が代わらないとなるということは、旧体制の議会のまま新首長が新たな政治を行わなければならないということになります。これはとどのところ「(旧体制での勢力分けを前提に)無理な議会工作をやれ」ということを強いるわけです。これは辛いですね。首長選と議会選を一緒にやったからといって、首長支持派が議会で多数になるという保証はありません。それはイスラエルという首相公選制と議院内閣制を合わせた国(議会と首相は別の選挙で選ばれるが、首相は議会に信任を求めなくてはならない)で首相支持勢力が議会で少数になることが多々あることからも見て取れます。ただ、首長選と議会選を一緒にやることで少しでも地方自治体における政治の行われ方を円滑化・活性化することができるのではないかと感じてなりません。


 社会には常にイノベーションが必要です。今の北九州市もそうです。現市長は有能な人でしたが、やはり市のあちこちに20年市政の結果、滞留してしまった残滓を見るのも事実です。安定した政治も必要ですが、定期的に新しい風を吹き込むことは制度化しておいた方が良いでしょう。そうすることによって全国の地方自治体に緊張感が生まれることを期待する一人です。