私の故郷北九州市、東京にいた時によく感じたのは「知られていない」ということです。「出身は?」と聞かれて「えー、北九州です。」と応えると、「北九州地方のどちらですか?」と聞き返されました。「区にまで関心があるのか。ふーん、えらく通な人間だな。」と思いながら、「八幡西区ですけど。」と応えると、全くちんぷんかんぷんの議論になってしまいます。


 そう、「北九州」というのは「九州北部」というのと同義に聞こえているようで、そういう地方自治体が存在していることが知られていないようなのです。相手は「九州北部にある何処かの町出身なんだな。」と思って聞き返してくるわけです。100万都市(今は99万ちょっと)で政令指定都市、日本でも有数の大都市のはずなのですが、これが全く知られていません。東京で残念な思いをしたことが何度もあります。


 逆に「小倉(駅)」、「八幡(製鉄所)」、「門司(港)」という地名を言うと、どうも聞いたことがあるようです。昔は門司市、小倉市、戸畑市、若松市、八幡市と5つの市だったことがあって、その頃の影響が現在にまで残っているのかもしれません。例えば「八幡(製鉄所)」と言うと、東京の人でもほぼ大丈夫です。官営八幡製鉄所から北九州工業地帯に至る歴史は小中学校で教えていることが理由なのでしょう。仕方ないので、自己紹介するときは「北九州出身です。八幡製鉄所のあるところです。」と説明するようにしていました。


 この町(といっても「北九州市」になったのは昭和39年)は日本の近代化の例とも言えるような場所で、国策として現在の八幡東区に製鉄所ができ、1901年から出銑するようになり、日露戦争から太平洋戦争、そして朝鮮戦争までを最前線で支えました。当然、軍事的に重要なポイントで、二発目の原子爆弾は当初小倉市を目標にしていたことは意外に有名です(曇っていたらしい)。市内をウロウロしていると、中心街から少し離れたところにかつての軍施設の残滓っぽいものを見つけることがあります。産業中心地として特に印象的なのは周囲の市にあるボタ山でした。今ではなくなってしまいましたが、石炭のカス(といっても結構石炭は含まれている)を積み上げた黒い山、小さい頃によく登りました。地元を離れてから「あー、あのボタ山の風景というのは日本全国何処でもあるものではないのね。」と思ったものです。


 昭和39年に世にも珍しい5市の「対等合併(←意外にこれがポイント)」がなされて北九州市が生まれました。当時はまだまだ「北九州工業地帯」と呼び得るくらい、日本でも有数の工業地帯でした。最も華やかなりし頃でしょう。高齢の方と話すと、「市ができた頃はどんなに華やかだったか。この辺りもな、夕方になると労働者で盛り上がってな・・・」という話になります。その労働者の中に、私の父がいたわけです。


 当時は福岡市はまだまだ大したことがなくて、福岡県で最も栄えている町が北九州でした。政令指定都市になったのは北九州の方が遥かに先です。今では福岡市の方が有名になってしまいましたが、北九州に住んでいると「福岡市ごときに・・・」という感情を感じます。かくいう私もそうで、福岡市というとえも言われぬ対抗意識を持っています。何か行事がある時に福岡市まで行かなくてはならないと聞くと、「何をえらそうに呼びつけやがって」と思わないわけではありません。したがって、私は福岡オリンピック招致やソフトバンクホークスには全く関心がありません。あれは福岡市のものだからです。こういうひねた考えの人は結構周囲にたくさんいます。


 まあ、北九州市が有名でないのは、かつて「5市が合併してできたため一体感がないせい」と言われてきました。今でもそういう言い訳をする人がいます。部分的に正しいような気がします。というのも「対等合併」のために何処かに中心地を作ろうとする動きに反対が生じるのです。その最も分かりやすい証左が、この街(政令指定都市)に「中央区」がないことです。大体、政令指定都市には「中央区」があります。相互にいがみ合い甚だしいさいたま市(大宮・浦和・与野の合併市)ですら中央区があります。この市で中央区を作ろうとすると「対等合併じゃないか」という反発が出てくることは必至です。「うーん、お役所的な理由だぜ、それって」と思うのですが・・・。名実共に市の中核部分を作っていく試みが成立しないのは残念ですけどね。


 ただ、この街が今一つ有名になりきれない理由は他にもあるような気がします。市ができて44年、市が上手くいかないことを過去の歴史に帰しすぎるのはあまり生産的ではありません。有名になれないのにはそれなりの理由があるはずです。この市には折角いいものがたくさんあるのに、それを売り込んで行くための「雰囲気」とか「ブランド」に対する意識が薄いのではないかと思うようになりました。人は何にお金を出すか、勿論「酒と食」といった即物的なものにお金を出すのは当たり前ですが、最もお金を出すのは「雰囲気」「イメージ」→「ブランド感」だろうと思うのです。人々は日常生活の中に非日常を求めます。その非日常の世界に「お洒落な気分」、「日々の生活と切り離されて優雅になれる気分」、「何か特別なもの」を見出し、お金を出すわけです。「雰囲気」「ブランド」というかたちで市そのものに付加価値をつけていかないと、市の外での競争では苦しくなり、市の中の経済は潤わないでしょう。このパラダイムの転換、これが重要だと思います。


 現在、行われている北九州市長選において、私が仕える候補は北九州ブランドの話をよくします。是非、頑張ってほしいと思います。