(以下については「品のない」ことを書くつもりは一切ありません。すべて真面目な話です。)


 少子化が大きな社会的課題になっています。子供が生まれないと、人口は減り、社会保障制度が上手くいかなくなり、そして日本の経済力が落ちていく。日本全体のあり方が問われるようになる問題です。


 では、どうすればいいのか。簡単な解があるのなら誰もがそれに取り組んでいるでしょう。そもそも、私も34歳になったにもかかわらずまだ独身で少子化に貢献してしまいかねません。


 一つ前の内閣では目玉人事として少子化担当大臣が設けられましたが(それまでも担当としてはいたが、専任大臣は初めてのこと)、正直なところミスキャストだったような気がします。某少子化担当大臣が昨年打ち出した対策案は補助のオンパレードでした。お金をドンと出すことで解決しようとしているように見えました。たしか某大臣は双子のお子さんが居たということも抜擢の理由でしたが、そもそも目線が高い人にこういう問題を扱わせてはいけないということを如実に示していました。少子化対策にお金が必要なことは言うまでもありませんが、単に適齢期の夫婦(女性)にお金を渡せば少子化が解決されるかのような世界観を感じました。絶対に違うと思います。


 この問題、何となく隔靴掻痒の感があるのです。それはある一点を公に言わないからです。それは「セックスをしないと子供は生まれない」ということです。私的生活の一番奥深いところなので、あまり言いにくいのでしょうが、やっぱりこの問題に取り組まないといけないような気がします。


 この点をもう少し押し進めて考えると、子供が生まれて育っていくには、
1. セックスをする(コンドームを使わない)。
2. 妊娠する。
3. 出産する。
4. 育てる。
 こんなことは誰でも分かることです。


 まず、セックスをするということですが、日本人はセックスの回数が少ないと言われます。ある統計では、フランス人は年間150回近くセックスをするそうです。日本人は60回に満たないそうです。年150回と言えば、週3回ということになります。そういえば、私がフランスのリールという街に住んでいた時、アパートの上の階の方はたしかに盛んでした。耳栓をつけて寝たこともありました。かたや、日本人は週1回くらいです。ちなみに週3回と言われると、体力派を自負する私でも相当に辛いでしょう。これはやはり残業とか、仕事から来るストレスとか、社会における家族の位置付けとかがあるのだと思います。日本社会では20代から30代前半はバリバリ働かせる傾向にあります。それはそれでいいのですが、バリバリ「非効率に」働いている向きもないわけではありません。私は役人時代、仕事が遅い方だったとは思いませんが、今思えば「うーん、非効率だったかも」という面がなかったわけではありません。


 私は「自分なんかいなくてもこの組織は回っていく。ただし、(私がいる時とは)別のやり方で。」というのが持論です。残業すると思えばこそダラダラ働くのであって、勤務中はバリバリ働くけど18時以降働かないのが美しい姿なのだという文化を醸成していくこと(場合によっては制度化して)が大切なのかもしれません。帰る時間がバチッと切られていれば、早く済ませようとするインセンティブもそれなりに湧いてくるでしょう。早く帰れば、時間も余力もあるのでせめて週2回くらいは何とかなるでしょう。こういうことも少子化対策の一部だと考えます。


 あと、ちょっと語弊があるのですが、セックスというのはお金のかからない娯楽だと思うわけです。貧しい時代、夫婦が二人で家にいる、テレビもないし、あまりすることがない、その時にすることと言えばセックスになったのだと思います。世界的に人口ピラミッドが完全にピラミッド型になる(多産型)は総じて途上国が多いです。やはり、深夜に暗いところですることがなくて手持ち無沙汰になれば、あまり選択肢は多くはありません。つまり、日本でセックス・レス現象が進んでいることの原因の一つに「セックス以外にも色々と楽しいことがある」ということもあろうかと思います。こればかりは解決策が余りありません。ただ、娯楽の多い先進国でも少子化に歯止めのかかっている国はありますからね。何か良い手はないものでしょうか。


 では、妊娠から出産を経て子育てをするプロセスなのですが、これは行政が支えていくことが可能な部分です。私が思うのは「現金を渡せば少子化問題は解決する」という発想は間違っているということです。お金があるに越したことはありませんが、それは少子化対策の必要条件の一つであって、十分条件ではありません。


 過度の一般化を叱られそうですが、一般的に、専業主婦の人と話してみると金銭的な問題を挙げる人が多いです。逆に働いている女性と話すと、社会的なインフラが整っていることを挙げる人が多いです。少子化対策と言っても画一的なモデルは存在しないという前提から進めていく必要があります。働いている女性と専業主婦の女性に対する処方箋が同じはずがないのです。某大臣の案はそのあたりを批判されていました。少し場合分けをして考えてみた方がいいと思います。


 ただ、いずれにせよ出産から子育てまでを支える社会的インフラが整っていないことは事実です。産婦人科、小児科はどんどん数が減っています。なんでも聞いてみると超激務だそうで、学生の希望者がいないということです。産婦人科や小児科が人気業界になるにはどうしたらいいのか。ある程度優遇措置を取りながら、数を地道に増やしていくしかないのだろうと思います。託児所も慢性的に数が足らないようです。これは色々と規制があって、志のある託児所や保育園が無認可のま間運営されているケースを見聞きします。事ここに至れば、この分野も規制緩和して新規参入を促すべきだと思います。そういうことを言うと「質の低い託児所、保育所が出てきたらどうするのだ」という批判が返ってくるのが常ですが、もうそんな悠長なことを言ってられないと思うんですよね。なりふり構わない策を講じながら、足らざるを改善していくべきだと思います。最初からベストの選択を追及するからダメなんですね。産休、育休に対する企業の理解についても十分とは言えません。「妊娠したら辞めるように言われた」、「嫌な顔をされた」、「キャリアアップで大きな障害になってしまった」なんて話を私も聞きました。色々思うことはあるのですが、結論から言うと、重い罰則を伴う措置を講じないと産休、育休に対する企業の姿勢は変わらないでしょう。


 こういう社会的インフラが整わない状態では、どんなにお金を渡しても子供の数は増えないでしょう。こういうテーマになると厚生労働省だけではなくて、産業政策、教育政策といった包括的な分野を取り込んだ対策が必要になります。では、少子化対策に予算をつけましょうというのは最近では誰もが言っていることです。私はこの点で先見の明があったのは公明党だと思います。古くからずっと公明党は少子化対策を主張してきました。この点は正当に評価しなくてはなりません。ただ、問題なのは、「予算をつける」ということは誰でも言えますが、本当はもう少し踏み込んで「他の予算を削ってでも少子化対策に予算をつける」と言えるかということです。ここに某大臣は果敢にチャレンジしようとしたわけです(上記のとおり方向性は間違っていたと思いますが)。ただ、残念ながら内閣府の担当大臣では手足がないので、結局、厚生労働省を始めとする霞ヶ関の壁に負けて、某大臣の構想はそもそも今では捨て去られてしまいました。権限のないまま大臣をやらされると大変だという例だと思います。


 大胆に少子化対策を進めるための組織としては以下のような可能性があります。
● 新しい行政機関を設けて、少子化対策に関する権限をすべてそこに集中させる。
● 新しい行政機関は設けないが、少子化対策の事業はすべて担当大臣が統括する。


 後者は現状に近いかたちですが、「統括」していても手足がないので、そのままではなかなか統一的な取組は難しいのです。それくらい役所の権限意識というのは強いです。厚生労働省は内閣府の担当大臣など屁とも思っていないでしょう。今の少子化対策というのは各役所の持っている事業の積み上げに過ぎません。総理、官房長官レベルで強烈に(それこそ事実上権限を引っぺがすくらいに)強いイニシァティブを発揮するくらいでないと、単に内閣府に大臣を置くだけでは物事は進みません。それはあまり期待できないと思います。

 そうであれば、ここは行政肥大の批判をあえて受けつつも新しい行政機関を設けるのが良いのではないかと思います。厚生労働省、文部科学省、経済産業省(他にもあるかもしれませんが)から少子化対策に関わる権限を引っぺがして、それを一つの行政機関(省)に集約させるというのがいいような気がします。「所詮、箱(機関)を設けるかどうかの話で、霞ヶ関の権限分割の話じゃないか」と思うかもしれませんが、この効果は大きいのです。一つの行政組織として統一した意思決定が行われ、固有の権限と予算を持っていることの意味は過小評価すべきではありません。


 まあ、子供を持たない身ではありますが、色々と書いてみました。独身ではありますが、それなりにこの問題には特別の関心を持ってきたつもりです。今やこれは日本社会を取り巻く危機の中で最大のものだと思います。ポイント外れのところがありましたら御指摘ください。