1月中旬になるといつも思い出すことがあります。


 あれは5年前、2002年の1月のことでした。


 前年9月11日のテロ事件はアル・カーイダによる犯行ということになり、オサマ・ビン・ラーデンを庇護しているアフガニスタンのタリバーンに対する攻撃が開始され、タリバーン政権が崩壊するまでは電光石火のような速さで進んでいきました(私はあのテロ事件へのオサマ・ビン・ラーデン本人の関与についてはちょっと留保したい部分がありますが、それはさておき。)。


 当時、私は外務省の中でアフガニスタンを担当する部局の総務担当課長補佐でした。9月11日以降、死にそうな思いであれこれと仕事をしていたのを思い出します。アフガニスタンについて一番よく知っている人間だった自信はありませんが、アフガニスタンについてコンパクトに資料作成し、小気味良く説明させたら、当時は日本一の自信がありました。


 その後、アフガニスタンでは新政権が出来、2001年12月くらいには「とりあえずこんな政治体制で当面やっていきましょう」というところまでは漕ぎ着けたわけです。で、ここで来るテーマは「荒廃したアフガニスタンをどう復興していくか」ということでした。そんな中、気がついたら「アフガン復興支援のイニシァティブは日本が取ろう。1月に東京でアフガン復興支援会議だ。」という機運が私の周辺で盛り上がってきました。


 突然のように私の周辺で物事がグルングルン回り始めました。それまでは「かなり忙しい」だったのが、「超忙しい」になったのはこの頃です。


 その時、私の相方は目の前に座っているTという男でした。机の周りが汚い、ホッチキスの芯がPCのキーボードに落ちて入り込みPCを正常に機能しなくさせる、役所支給のPCにコーヒーをこぼし4万2千円弁償するなどなど、まあ常人離れしたところがあり、世間でいう「外交官」のイメージとは大きくかけ離れます。


 私とTに共通していたのは「無理が利く」ということでした。私が12月下旬から1月下旬までの1ヶ月で342時間残業をした際、このTという男は378時間残業していました(そのうちの2割から3割くらいは頭の中が空ろだったような気がします。よく二人で目やにをつけたままトイレで顔と頭を洗いました。)。眠さも相俟って仕事のクオリティは二人揃って低かったような気がしますが、ともかく長く働いても、少々激しく怒鳴られても大丈夫な二人でした。


 そんな不健康な生活をする中、Tは太っていきました。最初に会った時は私と同じくらいだった体重は100キロ近くにまで増えてしまいました。似たような食生活をしているにもかかわらず私は太りませんでした。「もしかして、オレはぎょう虫持ちだから太らないんじゃないか?」と時々思いますが、そうでもなさそうです。くだらないことにエネルギーを使いすぎているだけのようです。


 会議に至るまでは色々あったのですが、何はともあれ2002年1月下旬にアフガニスタン復興支援国際会議に漕ぎ着け、国際的にはそれを大成功に導くことができました。何がどう成功だったのかはどうでもよくて、とりあえず巨大な会議を恙無く大盛会に終えたことが成功でした。終わった直後、会場だった高輪プリンスホテルのパミール館の隅っこの方でタバコを吹かす私にTが「緒方さん、良かったですよね。」と言ってくれた一言(当人は100%忘れているはず)が今でも思い出されます。


 「あの時の苦労があるから今がある」、そう思える3ヶ月弱の期間でした。