六者協議とあいまって、日朝国交正常化というテーマがあります。この件は昔、担当していたことがあって微妙な内容の書類をたくさん見ているので、そういうところに触れそうなものを排しながら書いていきます。


 日朝国交正常化は最終的には日朝平和条約というかたちで結実します。そのモデルは日韓基本条約に求めることができます。大きく分けて以下のようなことが問題になります。

● 利益・財産・請求権の相互放棄(と対北朝鮮経済協力)
● 戦争認識(戦時中の朝鮮半島のステータス、戦後の北朝鮮の位置づけ)
● 文化財の扱い
● 在日朝鮮人の扱い


 まあ、その他にも色々あるのですが、これくらいだと思っていればOKです。この中でも大きいのは利益・財産・請求権の放棄、対北朝鮮経済協力の部分です。戦争状態を終結させる平和条約では通常、それまでの種々の関係を清算してから新しく二国間関係を始めるのが常です。それを専門用語で「利益・財産・請求権の放棄」といった言葉で表現します。そして、日韓基本条約の例に倣えば経済協力をすることになります。日韓基本条約では無償3億ドル、有償2億ドル、民間貸付1億ドルの計6億ドルでした。なお、この経済協力は、戦前、戦時中に日本が朝鮮半島に与えた被害、苦痛に対するものではなく(そもそも韓国は日本に『合法的に』併合されていた、というのが日本の立場ですので)、むしろ、国交正常化後の新しい旅立ちを祝ってあげるものという説明をしています。


 この件については、小泉訪朝時の日朝平壌宣言が役に立ちます。これがポイントです。

【日朝平壌宣言(抜粋)】
 双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。
 双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。


 つまり、ここで言いたいのは日本は北朝鮮に対して、①無償資金協力、②有償資金協力、③国際機関経由の人道支援、④国際協力銀行(その後、解体されましたけど)による融資等を使って支援しますよ、ということです。概ね日韓基本条約の際の解決法と似ています。ここでの最大のポイントは財産・請求権の放棄です。ここで謳われているのは、日本がポツダム宣言を受諾して降伏するまでに生じた色々なことについては相互に諦めることにしましょうということです。


 ということは、戦後に生じた日朝間のゴタゴタについては日朝平壌宣言は指針にすらならないということです。では、このケースにおいて日朝の意見はどれくらい食い違うでしょうか。想像してみたいと思います。

● 北朝鮮の攻めどころ:朝鮮戦争で日本は米国を支援したのでそれによって生じた間接的被害、日本の敵視政策、金丸訪朝団で合意した「南北朝鮮分断後45年間についての補償」などなど
● 日本の値切りどころ:既に実施したコメ支援、拉致問題などなど


 つまり、戦後、日本と北朝鮮の間で与え合った利益や被害を全部あれこれ差し引いたら、どちらが多く迷惑をかけたのか(どちらが多く利益を与えたのか)ということを考えるということです。これは相当に揉めますね。日本が一番痛いのは金丸訪朝団による自民党、社会党と朝鮮労働党の間の三党合意にある「南北朝鮮分断後45年間についての補償」という表現です。古証文だと思うかもしれませんが、現与党の元有力者が合意したものですからね。今の自民党の指導層が「知らない」とは言えないものですね。ただ、日本の世論的には拉致に対する請求権は無限大ですから、戦前はともかく戦後のやり取りについて日本が北朝鮮に幾ばくかでも負っているという結論を出すのは、政権にとっては大打撃です。


 ここまで書いたところで思ったことがあります。日朝国交正常化はどういう条件下でなし得るかということです。私は現在のままでは正常化は到底無理だと思います。今の将軍様一族による独裁体制の下で国交正常化には至らないでしょう。単純に言うと「南北朝鮮統一と同時か、遅くとも統一直後」になるのではないでしょうか。それは今の金王朝によるものである可能性は少ないです。今の金王朝は日本と最終的に仲良くする意図を持っていないでしょう。また、南北が分裂したままで日朝だけが国交正常化することは考えにくいのは容易に想像できます。あまり、この点を指摘する人はいませんが、もっと冷静になって「南北統一が動かないのであれば、最終的に日朝国交正常化は無理。だから、今は正常化に向けた政治的モメンタムが生まれた時に手遅れにならないようにするための仕込みの時期」というくらいの腹の括りようも必要です。


 そうやって考えると、日朝国交正常化というのは最終的には統一した朝鮮半島を相手にすることになることが想定されます。統一によって朝鮮半島は経済的に苦境に陥るでしょう。韓国だけでは北朝鮮を受け止めきれないでしょうから、韓国は経済的に相当ヒーヒー言うことになります。そういうときに統一した朝鮮半島全体はスケープゴートを探すようになるでしょう。それは日本です。難癖つけて、日本が悪い、日本の歴史認識を改めろ、今の経済的苦境は日本のせいだと、すべての「上手くいかないこと」の責任を日本に押し付けてくるでしょう。そういうマインド・セッティングの朝鮮半島と国交正常化の最後の詰めをやろうとすると、あれこれと吹っかけてくることは必定です。日朝国交正常化はその時、国交正常化ではなく、統一朝鮮への対処に変貌します。経済協力も統一朝鮮に対する支援といった色彩がとても濃くなります。この点は押さえておかなくてはなりません。


 東西ドイツが統一した際、東ドイツに対する膨大な投資需要をまかなうため、ドイツの利子率は高めに設定されました。それにつられて欧州通貨は高めに設定され、結果としてイギリスのポンドやスウェーデンのクローネは実勢よりも高めになってしまいました。ここに目をつけたジョージ・ソロスに投機を浴びせかけられ、イギリスやスウェーデンはEMS(域内通貨の統合に向けて域内通貨間の為替レートを事実上固定する制度)とERM(欧州為替相場メカニズム)から脱退せざるを得なくなりました。未だにイギリス、スウェーデンはユーロ未加盟のままです。それくらい東西ドイツ統一の影響というのは大きかったわけです。

 日韓は為替レートを固定しているわけでもないので、欧州のようなことは起きませんが、北朝鮮に対する資金需要が膨大なものとなり、韓国経済が脆弱になりつつも利子率が高めに設定される中、日本経済に影響ないとは言えないでしょう。どういう経済上のインパクトがあり得るのかはよく研究しなくてはいけません。


 あと、拉致問題ですが、上記のような前提で考えればとても対応が難しいです。日朝国交正常化交渉で支援を対価に見せつつ、正常化を進める過程で拉致についても何とか・・・というのが戦略になるでしょうが、日朝国交正常化交渉は金王朝が続く限り、目覚しく進展することは考えにくいです。その中で拉致問題だけが進展することも考えにくいでしょう。

 拉致問題を進展させるためには、●金王朝が崩壊する方向に誘導する(ただ、崩壊時に拉致被害者の命が危なくなる)、●拉致問題を国交正常化交渉と完全に切り離す、どちらかではないかと思います。私は拉致被害者の安全な帰還を強く願う者ですが、それを確実にするための手段として、国交正常化交渉の中の一つのテーマとして議論することがいいのかはよく吟味する必要があります。


 なお、最後に一つ、「北朝鮮だって国交正常化したがっている」、「北朝鮮は日本との国交正常化を通じて国際社会への復帰を切に願っている」、「北朝鮮は支援を欲しがっているから日本の資金は垂涎の的」、「日本は国交正常化をタマにしつつ核問題や拉致問題で譲歩を引き出す」といった比較的希望的な観測が語られることがあります。部分的には当たっていると思いますが、基本的にこれらは「日本としてこうなって(こうあって)ほしい」という希望的な考え方です。英語で「self-fulfilling prophecy」と言うように、そう思い続けることは重要かもしれませんが、あまり自己の希望的観測を前提とした見立てを立て、世論を煽るのは建設的ではありませんし、最終的に幸福な結果を招きません。少し厳しめの前提から考えていくことが大切です。