今ではそれなりに人口に膾炙する言葉となった「危機管理」、15年前くらいはあまり流行らない言葉でした。ちょっと自慢すると、私は大学時代「やっぱり危機管理は重要だ」と思い、まずは本を読もうと思い、色々と検索しました。しかし、該当するのは15冊くらいで、しかも、出てくるのは「マンションの危機管理(火事とか)」みたいな本が半数を占めていました。残りの半分は佐々淳行か柘植久慶という人の本が多かったです。仕方ないのでマンションの危機管理についても読んでみました(もうすっかり忘れてしまいましたが)。柘植久慶は元フランス外人部隊の傭兵だったおじさんで、色々な現場での危機管理の具体的なやり方(サバイバル)について書いていました。私は結構好きでした。


 とは言え、危機管理と言えば佐々淳行が有名です。初代内閣安全保障室長ということで、警察官僚出身です。結構な本がありますが、私がそれらを読んで一番好きな言葉は「悲観的に準備し、楽観的に行動せよ」というものです。これ、危機管理をする時の心構えを見事に言い表していると思うのです。そして、最悪なのが「楽観的に準備し、悲観的に行動する」です。


 つまり準備するときは最悪の状況も考えておいて、行動するときにはその準備に基づいて前向きな姿勢で臨む、これが最善の危機管理のあり方なわけです。逆に準備するときには楽観的な見通しで、行動するときにはあれこれ暗いことばかり言う人間は最低です。


 ちなみに「楽観的に準備して楽観的に行動する」というのは、幸せな人ですが他人の目には単なる迷惑者です。「悲観的に準備して悲観的に行動する」の典型は日本のお役人です。超手堅いのですが、ポジティブマインドに欠けるところがあります。


 歴史書を読んでいるとこの定理が当てはまることがどれくらい多いか。「失敗の本質」という本があります。第二次世界大戦中の様々な日本軍の失敗を綿密に研究した、なかなか面白い(しかし時に退屈な)本です。レイテ島海戦、インパール作戦等など、大体の失敗の本質は「楽観的に準備して、悲観的に行動する」というケースばかりです。インパール作戦など、インドに攻め込むという目的も、食料調達等の手段も、ミャンマーの奥地の地形・気候に対する知見も、どれも理解に苦しむものです。日本海軍が参謀レベルで図上演習をやる際、何故か一旦沈没した船がまた登場してきたり、都合が悪くなると「今のはなし」として都合のいい結果を導こうとしたり、ともかく(楽観的な)結論先にありきで計画が汲まれていたことがどれだけ多かったか。そして、現実には部隊の逐次投入により、日本軍は各地で各個撃破されていきます。悲観的に行動しながら取り繕うことばかりに目が行き、そもそもの楽観的な準備を見直そうとは誰もしないのです。


 そして、現代においても時にこういうケースがあります。年金改革なんてのは良い例です。見通しが楽観的すぎるのです。それで、100年後にも現役時収入の50%は確保と言われても、ちょっと「うーん」となってしまいます。そして、早速次の年には見通しが合わずに「いやー、出生率が下がってもこれくらいの水準は確保できます(たしか、出生率が1.1まで下がっても現役時収入の46%くらいは何とかなると言っていた)。」と言って取り繕う。多分、現在の年金の将来像は安定的なものとは言えないでしょう。もう少し厳し目の予想からスタートして、それよりもいい結果が出せるように頑張るという方がいいと思うんですよね。


 この手の話は枚挙に暇がありません。財政改革、税制改革においては、今後の成長率を甘く見積もってはいつも財政再建が邪魔されてしまいます。今年、税収が50兆を越えたら、早速減税の話が出てきました。あちこちで企業向け減税の話が出てきています。内容を見てみるとたしかに良いものも含まれていますが、私なんかは「おいおいおい、年間80兆も使っているのに、収入が50兆越えたら企業減税?意義は否定しきれないけど、本当にすべて不可欠なもの?」と素直に疑問が湧いてきます。少し極端に言えば、税収で支出を賄えるようになるまでは財布の口は閉めるというのが、普通の民間人の発想ですよね。ちょっと常識から外れた感覚でないと理解できません。今後は成長率の上昇を大きく見積もった上で、「成長で浮いた分を減税して、その効果で景気を良くして最終的に税収を増やす」という主張をする御仁が出てくると思います。それを古くはレーガノミックス(ラッファー曲線)と言い、その後もよく取り上げられる政策ですが、まあ、そんな大盤振る舞いは通常の理性と常識を持っている人間はやりません。政権与党の幹事長が最近は威勢の良い景気論と減税を語っていましたが、まあ選挙対策以上のものではないでしょう。


 では、何故「悲観的に準備して悲観的に行動する」日本のお役人がそういう政策を出すか。それは政治家が後ろにいるからです。政治家は選挙があるため、どうしても耳あたりの良いことを言いたい衝動に常にかられています。そのせいで、本来悲観的な準備をしたいお役人をボカスカ叩いて、バラ色の世界を描かせます。ただ、政治家もアホじゃありませんから、実はそういうバラ色の世界が虚構だということは分かっています。それでも選挙があるから止められないのです。そういう亡国の徒が如何に多いことか。これは与野党問わずそうです。悲観的な準備をしながら国民を鼓舞するような、「火中の栗を拾う」人がもう少し多くてもいいと思うんですけどね。


 まあ、ともかく現在の日本には危機が溢れています。それを上手くマネージしていくためには、もう一度危機管理の原則を見直すべきです。それは「悲観的に準備して、楽観的に行動する」、これです。