いじめ、今、クローズアップされています。自殺にまで至るのを報道で聞くといたたまれない気持ちになります。いじめ事件発覚を契機に北九州の小学校では校長先生が自殺してしまいました。私の小学、中学時代にもありました。また、いじめは大人の社会にもたくさんあります。色々と思うことはあるのですが、特に強く思ったことを幾つか。


1. 「弱い者」が「更に弱い者」をいじめる
 もしかしたら誤解があるかもしれませんが、最近のいじめには強者対弱者というよりも、そもそも弱い者が更に弱い者をいじめるという構図があるような気がしてなりません。社会が階層化してきているのか、身体的に、精神的にそれ程強くない生徒が更に弱い者をいじめて、自分の気持ちのはけ口にしているような傾向が強まっていると感じます。故にそのいじめの形態は陰湿度を増し、より裏でやるようになっています。子供にも色々なストレスが溜まっているのでしょうか。私の感じでは、(1)勉強はできて何かと聡い、(2)しかしそれ以外のことは必ずしも得意としていない、(3)それ故に色々なストレスやコンプレックスを抱えている、こういう子供がいじめに走るような気がしています。あくまでも一般論ですが。


2. 無関心
 いじめ、昔から「触らぬ神に祟りなし」ということで、周囲の人間は無関心を装うことがありました。ただ、最近はそれが悪化して、完全に周囲がノータッチになってしまうことが多いようです。面倒くさいことには関わらない、という意味での「個」が確立してしまったとすればそれは残念なことです。実はいじめている人間は、その人自身も内面に色々なコンプレックスを抱えながらいじめをやっているので、誰かが「止めな。恥ずかしくないの?」と一言言えば、自我がボロボロと崩れていくような程度のものなんですけどね。「個の確立」という美名に名を借りた無関心、日本社会に蔓延しているような気がしてなりません。もっと他人に、周囲に関心を持たなきゃいかんよといつも思っています(ちなみに、私のいた外務省では「他人に関心のない人」がたくさんいました。ドライで心地よい面もあったのですが、不愉快になることがの方が多かったです。)。


3. 親の問題、先生の問題
 いじめが起こるとよく学校教師が責められます。しかし、最も責任重大なのはいじめた側の親です。なんでも最近ではいじめを叱ると、親から電話がかかってきて「何故、うちの子だけを叱るのですか。他にもやっている子はいるはずです。」くらいの苦情があるそうです。上記の「無関心」と関連しますが、変に「何をやるのも私の自由」みたいな感覚が身に付いてしまった親が増え、その感覚が子供に引き継がれているのかなと感じます。「責任のない自由はない」、私の大切にしているテーゼですが、社会全体にもっと責任感が満ち溢れる社会に戻さなきゃいかんよ、そう感じます。
 あと、学校教師の権威の回復というのが大切だと思います。今の生徒は学校教師など屁にも思っていないのが多いです。親の悪しき放任主義が子供をダメにし、親の悪しき自由主義が子供から責任感を欠如させているのでしょう。高学歴社会になり、親の学歴と先生の学歴が似通ってきていることも影響しているかもしれません(そして、親は先生を軽んじる。)。問題教師というのも多いようですが、それはそれとして対処しつつも、基本は学校教師の権威をしっかりと回復することが必要です。私は学校教育法は遵守することが必要だと思っていますが、その一方で訳の分からんことをする生徒にはビシッと一発かますくらいやってもいいと思っています。


4. 地域コミュニティ
 とは言っても、親が無責任化している場合において、すべての躾を学校での教育に担わせるのは無理があります。地域コミュニティが子供を育てるという、一昔前なら当たり前のことを復活させる必要があります。「地域コミュニティ」、抽象的で何のことか分かりにくいですが、まあ簡単に言うと「近所にいる口うるさいジジイ」を連想してもらうといいでしょう(ちょっと例が極端ですが)。常に地域の多くの人が子供に相応の注意を払っている環境下では、あまり変なことは起きません。今、プライバシー、個の自由が強調される中、ともすれば近所のつながりが希薄になり、それが子供を皆で育てるという感覚を損なわせています。「近所の口うるさいジジイ」、まずは私がやってみようかと思ったのですが、私がやると相当に口うるさく、しかも相当に怖く、更には腕っ節がある程度強いので止めておきます。


5. 「逃げる」ということ
 これが一番重要だと思います。何故、自殺するか?逃げ場がなくなったと判断するからです。もう四方八方手詰まりになって自殺に至るのです。一般的に日本社会は「逃げ場」が少ないと思います。それは大人になっても同じです。「いいんだよ逃げても。それは恥ずかしいことじゃない。」ということをしっかり言ってあげることが大切です。
 ちなみに私は「家に閉じこもれ」と言っているわけではありません。「逃げ場」という言葉にはもう少し広義の意味合いを込めたつもりです。人間が行き詰まるとき、それは「今歩んでいる道が唯一の道だ」と思い込んでいることが多いのです。「いやいや、違うんだよ。君にはこういう道もある。」、これを提示してあげることが大切なのです。最初は抵抗があるのですが、逃げてみて後で振り返ってみると「あの時は悩んでいたけど、自分で自分を追い込んでいたのだ」と気付くことでしょう。
 この「逃げてもいいんだよ。君には別の道もある。」、これを言えるかどうか、そして実際にその道を具体性を持って提示してあげることができるか、それが最悪の事態を防ぐためのポイントだという気がしてなりません。


 まあ、色々と書きましたが、いじめ、何とかならんか、人の命は大切にせないかん、最近の口癖です。