久しぶりに恩師なる方2名に会いました。一人は高校時代の柔道部の顧問、もう一人は中学時代の柔道部の顧問。それ以外にも記憶に残る教員はいるのですが、どうしても、辛い時期を過ごした思い出というのは、その他の思い出よりも強く残るみたいです。


 いずれの恩師も在校中には畏怖の対象だった相手です。中学時代は、試合に負けてはよく怒られました。強烈な平手パンチをくらって、1週間耳がブーンと鳴り続けたこともありました。高校時代は、私の担任にありとあらゆる不敬をはたらいたのが職員室で巡り巡って、柔道部の顧問からのお目玉に繋がっていました。まあ、高3の頃、一時的にパンチパーマにトライした時はそれはそれは怒られました(ちなみに大学入学時に提出した写真はそのパンチパーマの状態で撮ったものだったので、私の大学学生証はパンチパーマでした。)。


 まあ、そんなことも今となっては良い思い出です。恩師というのは手のかかる生徒ほどよく覚えているみたいで、私のこともよく覚えていました。特に中学時代の恩師は、20年も前のことをよく覚えていてビックリしました。「あの時の市内大会では板櫃(いたびつ)中学がライバルだったよな。絶対に勝つぞと思ったよ。」という至極真っ当な記憶もあれば、「緒方はいつも練習中、隅の方にばかりにいた。『壁際の魔術師』だったよな。」、「県大会の時、レストランでステーキ5枚食ってたよな。」などという忘れてほしいことまでよく覚えていました。そう、私は中学時代、柔道の練習中、いつも道場の隅の方でコソコソやっていたのです。そうすると、「緒方、おまえは『壁際の魔術師』か?先生が相手してやる。」と言われ、同志社大学仕込みの内股でボコボコにやられていました。当時、貧乏性だった私が物珍しいステーキを5枚食べたのも事実です。


 まあ、そんな恩師達も既に50歳前後です。時の流れを感じます。