何とも言えない仲間意識、これは色々なところにあります。私が霞ヶ関11年半、永田町1年3ヶ月の生活で感じた中で大きいのは2つです。「中央官庁の一種職員」と「国会議員」です。


1. 中央官庁の一種職員
 これはちょっと周りから見ると分かりにくいのですが、何とも不思議な仲間意識があります。それと同時に激しい競争があります。これは矛盾するように見えますが、そうでもありません。中央官庁における一種職員の人事管理法というのを簡単に纏めると「同時出世」と「コップの中の争い」ということです。
 時折、お役所の内部事情ネタが記事になる際に「●●年入省」というのがあると思います。ああいう「同期意識」があるのは役所くらいです。その意識の強さはなかなかのものがあります。私のいた外務省ではそれ程でもありませんでしたが、一部のお役所では名を名乗ると、その次には「んで、何年入省で?」と必ず聞かれます。それが相手を値踏みする手段だからです。ちなみに私は「平六(へいろく)です。」と答えていました。平成6年入省を意味します。その瞬間に「ああ、こいつはちょっとシニアな課長補佐だな。」と値踏みできます。
 同じ年に入省した人は基本的に出世は同時です。私が課長補佐になれば、同期は皆一緒に課長補佐になります。役職レベルでは基本的に同時に出世させます。では、何処で差をつけるか、それは「ポスト」です。同じ課長補佐であっても、配属される部局によって差をつけていくわけです。それはちょっとした差なのです。一回の人事異動でつく差はわずかなものです。しかし、それが二回、三回となってくると大きな差になります。良いポストにつけば、やはり面白い仕事が回ってきます。そこでまた実力を発揮する機会を与えられ、更に評価され・・・と好循環になります。これで入省20年で課長になるころにはかなりの差がつくわけです。それが分かっているからこそ、皆、わずかな差を求めてそれはそれは頑張るわけです。ここに一種職員の勤労意欲を維持する秘訣があります。
 ただ、その一方で(と言うより、その結果として)「同期意識」というのも強く根付きます。激しく競い合うからこそ、仲間意識も大切にするのが常です(そうでない人もいますけど)。人事政策上そうなっているのかどうかは知りませんが、内部から、そして外部から「●●年入省一種職員同期」というカテゴリーで囲い込まれるような力が働くようになっています。一旦、仲間意識が身につくと、やはりその中から脱落者は出したくない、しくじった人間でもトコトン脱落していかないように庇いたいという心理が働きます。そういう中に、一種職員の中に信賞必罰とか(事実上の)降格とかが生じにくく、出世レースで負けた人にも天下りが用意される文化が醸成されるのではないかと思います。
 日本のお役人社会における功績評価は自由競争にはなりません。あくまでも「同期」というコップの中で激しく自由な競争が展開されます。心の中で「コノヤロウ!」と思い、陰ではボロクソに言っていても、最後には「同期」という仲間意識は大切にされます。それは外から見ていても理解しにくいところがあります。
 昔、村上泰亮という保守系の学者が戦後日本社会における産業の形態を「仕切られた競争」と評したことがありました。文脈は全く違うのですが、基本的な発想には似たようなものを感じます。


2. 国会議員
 これも奇妙な仲間意識があります。「国会議員たるもの、当然尊重されなくてはならない。」と大多数の人が思っています。故に少しでも尊重されないと思うと皆で激烈に反応します。それは自民党から共産党まで皆が同じです。自分ではない他の議員が尊重されてないのを見ても「けしからん」と怒ります。尊重されていない同僚の姿に自分の姿を投影しているのかもしれません。そういう中に「国会議員」という一つのグループとしての仲間意識を感じました。「国会議員というカテゴリー全体が当然、尊重されなくてはならない」というのが基本的な考え方のようです。選挙という厳しい競争を経てきた自負心がそうさせるのかもしれません。
 しかし、この社会も激しい競争社会です。裏に行けば、お互いのことをボロクソに言い合うのが常です。このあたりは1.の一種職員も似ているのですが、国会議員に特に顕著なのは表舞台ではお互いを立てまくることです。きっと、裏でボロクソに言い合っているからこそ、表ではそれをお世辞でコーティングしていかないと人間関係が維持できないのでしょう。旧竹下派では仲間に「ちゃん」を付けて呼ぶのが通例でした。どう考えても気持ち悪い50歳を越えたおじさん同士の「ちゃん」付け、あれもお互いが傷つかないための処世術なんだろうなと思います。旧竹下派は頽勢ですが、そういう基本的な文化は日本の政治社会に通底しています。


 仲間意識。ポイントは(1)一定の同質性があるグループにおいて、(2)激烈なライバル意識があるからこそ、(3)お互いを守るために仲間意識を持つ。単純化するとこんな感じです。その中に馴れ合いとか排他性が生まれてきます。そういうものはグループ外の人にとっては迷惑だったり、理解不能だったりします。


 実はこういった諸々の現象の背景には重要なキーワード「劣等感」というのがあるのですが、これを細かく書き始めると読んでいる方で傷つく人がいるので止めておきます。実は中央官庁一種職員、国会議員、いずれの社会でも「劣等感」が渦巻いているんですよね。


 ちょっと話が逸れましたが、こういう「えも言われぬ仲間意識」に上手く対処していかないとあらゆる改革、特に行政改革、政と官の関係の見直しは失敗します。隠蔽、天下り、一種職員と二種、三種職員の関係、公務員のモラル、政治家の能力向上、こういう問題点の根本にはどうしても「仲間意識」があります。そのあたりにまで考察を深めないまま、どんなに改革をしてもその改革は進まないでしょう、きっと。