年齢が33歳になっても、いまだによく人から質問されることがあります。特に同世代から40代のご夫人に。「どうやったら受験に成功できるようになりますかねぇ?」。これは本当に良く聞かれます。しかも、かなり真顔で。世間では「東京大学法学部」と聞くと、私がとてつもない「お受験マシーン」に見えるみたいで、私のメソッド(そんなものはないのですが)を聞けば実は楽して受験に合格できるのではないかと思われるみたいです。


 私の答えはいつも同じです。「勉強するしかありません。」。これ以外に答えはないのです。


 では、まず何をすればいいのか。私は当たり前のことを言うようにしています。大体、以下のとおりです。
● 最初からできる人など絶対にいない。
● まずはある程度のことを暗記することが必要。微分積分ができるようになるには掛け算が分からないとできない。古典の法則を知らずに古典は読めない。年号を覚えずに歴史の流れを知ることは難しい。英単語を知らないのに英語が話せるはずがない。
● 世の中にある「試験」はどんなものであっても暗記のレベルで合格できる。
● それ以上のレベルに行きたい人は、「試験」に合格してから(合格するために学ぶ課程で)次の方策を考えればいい。


 私は試験モノに対しては基本的に「暗記」をお勧めしています。というか、これ以上の方法はないのです。なのに、世の中には「暗記」を軽視する傾向があります。「独創的な考えを培う」、「詰め込み教育は良くない」、ごもっともではありますが、上記にも書いたように一定の暗記はどんな世界でも必要です。芸術などの分野は別ですが、学校で学ぶ分野で「独創的な考え」が出てくるには基本的な事項を知らなければ出てくるはずもありません。人間、生まれながらに色々なことを知っている人はいないわけで、やっぱり何処かで暗記しなきゃいけないのです。インド人は学校で1×1から19×19まで教えるそうです。「そこまでやるかな」と思わなくもないですが、たしかにそれは一つの方法論だと思います。


 がむしゃらに暗記していると、次第に全体を流れる論理が見えてくるようになります。それは何でも同じです。例えば、フランス語にある名詞の性。フランス語の名詞にはすべて男性形か女性形かがあります。初めは全部覚えなくてはいけません。単語を覚えるだけではなく、性まで暗記しなくてはいけないので、負担は1.5倍です。しかしながら、これも慣れてくるとピンと来るようになります。言葉を見て、その構成で直感で分かるようになります。例えば、外来語で本来「性」が定まっていないもの(つまり辞書にも載ってない初出の単語)でもその単語の性は一発で分かるようになります。「新幹線」→「Shinkansen」、これは男性形です。何故かと聞かれると困りますが、絶対にこれは男性形なのです。


 そうすると、「暗記教育は将来役に立たない」という人が出てきます。1980年代前半からそういう主張が目立つようになって来ました。私は「そう思う人にとってはそうかもしれないけど、多分そうではない。」と思います。暗記の典型と言われる「世界史」。色々なことを暗記した記憶がありますが、無駄だと思ったものは一つもありません。特に外国に行く職業に付いたせいか、歴史をある程度知っているとその国でのコミュニティの会話に入っていきやすいというのは常に感じました。というか、欧米社会で歴史の素養のない人間は軽んじられるのです。数学でもそうです。日常生活のちょっとしたところで(考え方が)役に立っているような気がしています。スポーツで反復練習するのは問題ないのに、勉強で反復して暗記することを否定する御仁がいるのは私には不思議なことです。


 更には「暗記は良くない。競争社会を煽る。」、「暗記もできる人とできない人がいる。」という人もいます。それはそうなんだと思いますが・・・。けど、健全な競争はどの社会にも存在すべきだと思います。人間、人生の一時期において何処かでモーレツに何か目標に向かって頑張るという時期があってもいいでしょう。試験に合格したい人は試験に向けてモーレツに勉強するのが筋ですからね。それを「ゆとり教育」という柔らかなヒューマニズムで包んで脇に置いてしまうのは、結論の持っていき方としてはおかしいでしょう。ちなみに暗記にも能力差はありますが、他の能力と比べると、相対的にその差は小さいというのがこれまでの私の経験です。やればある程度はできるのが暗記です。


(注)ちなみに、上記の話は概ね「試験に合格したい」人についての話であって、いわゆる「頭が良くなる」というのとは全く別の話です。その点はきちんと強調しておきたいと思います。


 「ゆとり教育」、大いに結構です。ただ、それが「本来やるべきことを軽減する」というのであれば意味がありません。それは何か大切なものを「後回し」にしているか、「省略」しているだけです。都合の悪いことから目を伏せようとしているだけじゃないかと感じることもあります。勿論、生活にメリハリをつけて、その中でゆとりを持つ、そういうゆとりは大歓迎すべきものです。