テロリズム、まあ色々なことが頭に浮かびます。私は「テロリストになんか人権はない」という信念を持っています。
国際社会では、アナン国連事務総長が昨年テロの定義を試みようと努力したことがあります(彼の報告書「In larger Freedom」のパラ89以降。http://www.un.org/largerfreedom/chap3.htm
)。
「・・・the right to resist occupation must be understood in its true meaning. It cannot include the right to deliberately kill or maim civilians. I endorse fully the High-level Panel's call for a definition of terrorism, which would make it clear that, in addition to actions already proscribed by existing conventions, any action constitutes terrorism if it is intended to cause death or serious bodily harm to civilians or non-combatants with the purpose of intimidating a population or compelling a Government or an international organization to do or abstain from doing any act」
簡単に言うと(1)(アラブ諸国が主張するような)抵抗の権利はその真の意味において理解されなきゃいかん、(2)文民を意図的に殺したり、傷つけたりするのは抵抗の権利とは言わん、(3)恫喝したり、何かを強制したりするのを目的で殺したり、傷つけたりするのは全部テロという提案はいいんじゃないか、ということです。ただ、これに対してはやっぱりアラブ諸国が「イスラエルへの抵抗活動がどうなのか?」ということに拘ってコンセンサスは成立していません。この件で世界のすべての国が意見が一致することは無理だろうと思いますね。難しいです。
あと、日本の法令でテロリズムを定義しようとしたものを探してみたら、警察庁組織令にありました。警察庁組織令第39条の中で、「テロリズム」は「広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動」ということになっています。国際的な視点から見ると、「主義主張」が入っているのが特徴的です。まあ、国際社会ではテロの定義に「主義主張」を結びつけるような動きは相当に軽率ですけど、一つの参考くらいにはなるかもしれません。
そういえば「北朝鮮拉致は国家テロか?」という議論もあります。川口外務大臣はこの問いに対して少し回答に窮したことがあります。その事実を以て、川口外務大臣は「弱腰だ」みたいな感じでボコボコに叩かれていました。ただ、正直なところ私も回答に窮すると思います。「絶対に許されざる行為」だと思っていますが、「ただ、いわゆる『テロ』なのかな?」という純粋に学術的な疑問が頭をもたげるのです(例えば、上記のアナン事務総長提案に照らすと"with the purpose of intimidating・・"以下の部分との関係が気になります。)。多分、「拉致はテロ」に至ったのは、「世の中で最も許されざる行為はテロ」→「北朝鮮拉致は世の中で最も許されざる行為」→「だから、北朝鮮拉致はテロ」という論理構成なのだと思います。ただ、「世の中で最も許されざる行為をすべてテロと呼ぶか?」というところで、私などは「色々な類型があるのではないかな。別にテロと纏める必要もない。」なんてことを考えます(繰り返しになりますが、それは如何なる意味においても「拉致」に対する立場を緩めるものではありません。あくまでも頭の整理の問題です。)。個人的には、生真面目すぎるほどに生真面目だった川口大臣に同情したくもなります。政治(そして世論)というのは対応を誤ると怖いものだと思います。
まあ、何がテロなのかという議論は不毛な対立の様相です。これ以上やっても意味がないでしょう。むしろ、私がいつも違和感を持っているのは「テロの原因」というお題です。
非常に良く見る言論として「貧困がテロを生む」というのがあります。政府の文章にも出てくる考え方です。ODAを出す時の理屈に「貧困がなくなればテロもなくなる」ということが結構書いてあります。私はこれに大きな違和感があります。多分、間違いだと思うのです(完全に間違いとまでは言わないが、多大なる誤解を惹起する。)。そもそもテロリストと言われる人達は、意外にリッチな人も多いのです。オサマ・ビン・ラーディンは、イエメンのハドラマウトから出てきてサウジの王族に取り入り成功したゼネコンの御曹司です。アル・カーイダなる組織を支援しているのは、恐らくはオイル・ダラーで潤っている人達でしょう。もっと言うと、貧困がテロを生むのなら、まずアフリカのエチオピアあたりからテロは生まれたでしょう。しかし、テロはアフリカでは非常に稀な現象です。また、テロの多い地域に金をばらまけばテロが収まるかというとそんなはずもありません。「テロ対策としての貧困撲滅」は処方箋として絶対的に間違っているというのが私の意見です。
何故、人はテロリズムに走るかというと、多分、「欠乏(lack)の事実」が原因ではなくて「剥奪(deprivation)の感情」だと思うのです。単に物理的にモノがないだけでは人はテロリズムのような自暴自棄的な脅迫行為に走ることはないでしょう。そこまで行くには感情の問題を経由せずにはいられません。「①不当に」「②奪われている」という「③感情」、この3要素が必要だと思います(どうも日本語では上手い表現がありません。「剥奪」も実はベストではないのです。英語で言う「deprive」という言葉がしっくり来るのです。)。世界では色々なテロ行為が行われていますが、大体において「feel deprived」な要素が心の奥底にある人達ばかりです。それは政治的なことかもしれないし、教義上のことかもしれないし、外交的なことかもしれませんが、ともかく何かが何処かで奪われているということを強く感じ、その不当感に対する解がテロリズムになっている、そういうことなんだと思います。「貧困」というのは「欠乏(lack)」の一つの類型に過ぎないわけです。しかも、それが「feel deprived」に繋がるかどうかは全く別の話です。
したがって、日本によくある誤解ですが、アフガニスタンのタリバーンという組織体は少なくとも「テロリスト」ではありませんでした。彼らはあまり強く「feel deprived」ではなかったのです。勿論、パレスチナ問題を始めとする種々の不当な取り扱いに対する感情は有していましたが、まあ、彼らにとっては二次的だったと思います。タリバーンというのは、不当な剥奪感を強く持つオサマ・ビン・ラーディンというおじさんを、色々な(きっと金銭的な)理由で匿っていただけです。何処までいっても「テロ支援」か「テロ庇護」です。タリバーンを単体で考えれば「結構、自己満足な人達」だったような気がします。
中東にはこの「deprivation」の種が結構散らばっています。一番大きいのは勿論「パレスチナ問題」です。しかし、パレスチナに金をばらまいても事は解決しません。今、パレスチナ問題を理由にテロをやっている人は衣食住が満たされてもやるでしょう。じゃあ、どうやったら解決するか?私は解を持っていません。ただ、貧困が原因だというのだけは絶対に違う、というのが私の思いです。最後は「気持ち」の問題なんですよ。