WTO農業交渉、日本の立場はとても弱いです。というか、今は凪の状態なのであまり日本だけがやり玉に挙がることはありませんが、いずれアメリカとEUと途上国は補助金の削減(これは相対的に日本の関心が低い)の分野で纏まると、ドドドドーーッと話が進んで、気が付いたら日本の市場開放の部分だけがテーマで残っていたという状況になっているんじゃないかと思っています。それはウルグアイ・ラウンド(1986~1993)の時と全く同じ構図です。
「では、日本も出て行って、切った張ったの交渉をすれば良いではないか」と思うでしょう。色々な国と、譲歩のカードを見せつつ、受け入れられる部分、受け入れられない部分を明らかにしながら市場開放の度合いを探っていけばいいじゃないかと思うでしょう。私もそうやってみた方がいいのではないかと思います。今のように塹壕にこもっていてもどうせ最後は皆からガンガンに叩かれて、「断腸の思いで苦渋の決断」をすることになる可能性が高いだけですから。
(注:「断腸の思いで苦渋の決断」という表現は、たしか、ウルグアイ・ラウンドでコメの市場開放を受け入れた時の細川総理談話にあったような気がします。政治家は腸の数が多いのか、困難なことがあるとすぐに断腸の思いをすることができます。)
しかし、政府はこれを絶対にやらないでしょう。何故か?「そんなことをやっても誰も褒めてくれないから」です。「少し譲歩したけど、全体では何とか歩留まりで開放要求を食い止めた」というのは誰も褒めてくれないのです。
こういう2つのケースを考えてみます(書き方が回りくどくてスイマセン)。
● 今、主要国と市場開放に関する交渉に乗り出す。少し譲歩せざるを得ないが、仮にそういう交渉に乗り出さなかった時よりは良い中間結果を確保する。そして、更に今後の交渉に臨み、最終的な結果としても、仮に交渉に乗り出さなかった時よりも良い結果を確保する。
● 今、主要国と市場開放に関する交渉に乗り出さない。一切譲歩せず、ずっと日本として腹一杯の主張で最後の最後まで頑張る。最終的な結果として、仮に交渉に乗り出していた時に得られていたであろう結果よりも悪い結果を招来する。
今、上記2つの選択肢が与えられるとすればどちらを選びますか。普通の人は前者を選ぶでしょう。日本は逆だと思います。前者の選択肢をとる姿は想像できません。何故か?前者は「2回痛い」けど、後者は「1回しか痛くない」からです。真剣に切った張ったの交渉をして、一定の成果を確保しても、国内に帰ってくれば農水議員などから「よくやった」なんて言われることは絶対にありません。「何故譲歩してきた?」と言われ、ノックアウト寸前までボコボコにやられます。そして、交渉終結時にはいずれにしてもボコボコに叩かれます。ということで「2回痛い」のです。前者ですと、国内向けには、最後の真実のときまで「日本は当初のポジションを守って頑張っています」と言い続けることができ、最後の最後まで頑張り、最後で大譲歩を迫られることになります。その時でもボコボコにされるのは1回です。心理的には「ボコボコにされる回数は少ない方がいい」ということになります。言い方を変えると、日本では「矢尽き刀折れ、ボロボロになった状態」まで行かないと、「断腸の思いで苦渋の決断(言い換えると「譲歩する」)」ことができないようになっているのです。したがって、日本が「よりよい結果を確保するために、現時点でカードを切りながら交渉する」なんてことは絶対にしません。そういう塹壕戦が日本の利益にならないことが分かっていてもやらないでしょう。
この日本人のメンタリティ、既にアメリカやEUはお見通しなのです。最近は途上国からまで見透かされています。日本は「最後の最後まで追いつめられないと譲歩しない」ということを知っています。そうすると、まあ相手にされなくなるわけです。アメリカなんかは「まあ、色々言っているけど一歩でも譲るサインを出せないんでしょ。最後に豪快にブルドーザーで押し切ってほしいんでしょ。分かってるから安心しなさい。」ということになります。だから、日本は交渉の本丸から外される動きが近年強まっています。私がアメリカやEUの通商担当なら同じことをすると思います。
けど、政府ばかりを批判しても仕方がありません。ウルグアイ・ラウンド(1986~93)の時の交渉を検証すると、どう考えても合理的でない選択をすることが政府には迫られたような気がしてなりません。
(注:以下、少し分かりにくいと思います。私には国家公務員法上の守秘義務があるので書けないことが多々あるためです。コメに関してはこの本が面白いです。私はこの本に書いてあることの真偽を述べることはできませんが読み物としてもよくできています。http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121013778/sr=1-4/qid=1155522387/ref=sr_1_4/249-6977110-2456346?ie=UTF8&s=books )
ガット・ウルグアイ・ラウンドの時、コメについて日本は「関税化せず。しかし、関税化したと仮定した時よりも多くの輸入量(1995年:消費量の4%→2000年:消費量の8%)を引き受ける。ただし、それ以上の数量については関税を払っても輸入できないようにする。)。」という結果を受け入れました。その結果、国内で政府はボコボコに叩かれました。ただ、当時の政府は「関税化(関税を払えばいくらでも輸入できる)阻止」という点を声高に喧伝しました。交渉期間中。日本国内では「関税化反対」という声が激しく巻き起こっていたため、日本は「関税化反対」の旗を最後まで守り通しました。
当時の選択肢は2つでした。
● 関税化を選ぶ場合:1995年:消費量の3%を輸入→2000年:消費量の5%を輸入。それ以上の数量については高額関税を払えば輸入できる(ただし、実態上は高額すぎて無理。)。
● 関税化を選択しない場合:1995年:消費量の4%→2000年:消費量の8%を輸入。それ以上の数量は一切輸入しない。
後者は、関税化しない代わりに多く輸入するというペナルティを受けたわけです。これを「断腸の思いで苦渋の決断」というかたちで受け入れました。これは政府が悪いわけではありません。当時の世論ではこれしか選択肢がなかったのです。しかし、関税化しても決まった量以上の輸入に掛かる関税が高く設定できるので、結局はペナルティ分だけ多く輸入量が圧し掛かってきたのです。
嵐が去ってみたら「やっぱり、これは損だ」ということになり、その後、99年には関税化に踏み切りました。ただ、95~98年までペナルティを受けていたため、(計算は少し複雑なので捨象しますが)消費量の7.2%を輸入しているのが現状です(最初から関税化していれば5%)。この結果、コメの改革は5年遅れたという人もいます。
繰り返しになりますが、私は上記の選択は当時の世論を考えれば仕方なかったと思います。ただ、理性的な判断を阻害するものが何だったのか?、そういう問は今でも有効だと感じます。