第10条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。


 教育行政において、現行法第10条の「教育は、不当な支配に服することなく」という規定はとても幅広く活用されてきました。まあ、簡単に言うと、検定反対を始めとする国からのあらゆる動きに対して「反対」を主張する時にこの規定が使われてきたわけです。


 教育基本法を作った時の議事録を見てみると、昭和22年3月14日衆議院の教育基本法案委員会で「不当な支配」について以下のような答弁があります。
(辻田政府委員)第十条の「不当な支配に服することなく」というのは、これは教育が国民の公正な意思に応じて行はれなければならぬことは当然でありますが、従来官僚とか一部の政党とか、その他の不当な外部的な干渉と申しますか、容啄と申しますかによつて教育の内容が随分ゆがめられたことのあることは、申し上げるまでもないことであります。そこでそういうふうな単なる官僚とかあるいは一部の政党とかいうふうなことのみでなく、一般に不当な支配に教育が服してはならないのでありましてここでは教育権の独立と申しますか、教権の独立ということについて、その精神を表したのであります。


 まあ、ここをどう解するかはなかなか難しいところですが、文部省が言うことに現場はこの規定で何でも反対する権利を留保している、とまで言うにはちょっと無理があると思います。


 今回の教育基本法改正には、そういう思いから、自民党はこの部分を外すんだろうなと思っていました。実際に超党派の4月11日超党派「教育基本法改正促進委員会」(380人)大会を開催。「改正案に『愛国心』または『国を愛する心」と「宗教的情操の涵養』を盛り込み、現行法の『教育は不当な支配に服することなく」(10条)の表現を削除すること」を決議していました。


 しかし、与党案では「不当な支配に服することなく」の言葉が残りました。何があったのかは分かりませんが、連立与党ですから色々なやり取りを行った結果として、「ホントは落としてしまいたいけど、色々と国政上の貸し借りも考えた上で残すことにした」ということなのでしょう。その判断自体は別におかしなことでも何でもありません。


 ここで政府・与党案をよく見てみたいと思います。

(教育行政)
第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。
3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。
4  国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。

(教育振興基本計画)
第十七条 政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。
2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならない。


 正直なところ、よく分かりません。というのも、「不当な支配に服することなく」と「この法律及び他の法律に定めるところにより」という言葉が並列されているからです。今後、この教育基本法の下部に法律を設けるのでしょうが、その法律が受け入れがたいものであるときは「不当な支配」に当たるのでしょうか。それとも、当然法律が優先するのでしょうか。もし、前者なら今と何も変わらないし、後者なら法律は「不当な支配に服しない」ことを打ち消す効果があります。まあ、こういう言葉が新しく入ったのは「教育基本法では色々扱わないけど、今後、下部の法律のレベルでは不当な支配を理由に騒ぐ不満分子は抑え込むぞ」というふうに解した方がいいでしょう。しかし、それにしても、ともすれば対立しかねないもの(「不当な支配に服さない」と「この法律及び他の法律に定めるところにより」)を並列したところに苦心の跡が見て取れます。文部科学省的には「最低限確保すべきところは確保した」というところじゃないかと思います。


 もう一つよく分からないのが、国と地方自治体の役割分担です。十六条2及び3では「教育に関する施策」に言及がありますが、その相互関係はどうなっているのでしょう。地方自治体が「国の施策はうちの実情にそぐわない」として抵抗することだってあると思うわけです。同条1にあるように「適切な役割分担及び相互の協力」だけが取っ掛かりなのですが、国と地方自治体が目指す施策の方向性が違ったらどうするのだろうと思います。第十七条も同じです。国が計画を定めるのですが、地方はそれを「参酌」して基本的な計画を定めるのです。取っ掛かりは「参酌」だけです。大辞林を見てみると、「参酌」の意味は「相手の事情・心情などをくみとること」だそうです。そんなに強い言葉ではないので、「参酌した結果、従わないことにした」という結論が出て来うるでしょう。どう考えているんですかね、ちょっと絵姿が見えてきません。


 与党内で、主語が 「教育は」となっているのを「教育行政は」と修正することで自民党にある「不当な支配に服することなく」削除賛成派に配慮しようという議論もあったようです。今の「教育は」だと、通常は「教育者、教育官吏及び教育内容等全てを含めて、一般に教育というもの」をすべて指すでしょうから、ここを「教育行政は」にすると「教育内容については外れる」ということを含意します。まあ、理屈としては上手くできているんですけどね。さすがに、それを受け入れるのは誰にとっても困難だったでしょう(結局、残らなかった)。


では、民主党案を見てみます。

(学校教育)
第四条

3 学校教育においては、学校の自主性及び自律性が十分に発揮されなければならない。

(教育行政)
第十八条 教育行政は、民主的な運営を旨として行われなければならない。
2 地方公共団体が行う教育行政は、その施策に民意を反映させるものとし、その長が行わなければならない。
3 地方公共団体は、教育行政の向上に資するよう、教育行政に関する民主的な組織を整備するものとする。
4 地方公共団体が設置する学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する学校理事会を設置し、主体的・自律的運営を行うものとする。
(教育の振興に関する計画)
第十九条 政府は、国会の承認を得て、教育の振興に関する基本的な計画を定めるとともに、これを公表しなければならない。
2 前項の計画には、我が国の国内総生産に対する教育に関する国の財政支出の比率を指標として、教育に関する国の予算の確保及び充実の目標が盛り込まれるものとする。
3 政府は、第一項の計画の実施状況に関し、毎年、国会に報告するとともに、これを公表しなければならない。
4 地方公共団体は、その議会の承認を得て、その実情に応じ、地域の教育の振興に関する具体的な計画を定めるとともに、これを公表しなければならない。
5 前項の計画には、教育に関する当該地方公共団体の予算の確保及び充実の目標が盛り込まれるものとする。
6 地方公共団体の長は、第四項の計画の実施状況に関し、毎年、その議会に報告するとともに、これを公表しなければならない。


 「不当な支配に服することなく」という文言がありません。これは、「宗教的感性の涵養」(公明党が反対)という言葉と共に、自民党内の「不当な支配に服することなく」への不満の声に対する民主党からの自公分断の狙いがうかがえるという見方もあります。実際のところどうなのかは私にはよく分かりません。ただ、民主党案には「学校の自主性及び自律性が十分に発揮されなければならない」、「民主的」、「民意を反映」など、まあ、普通は法令用語としては使わない言葉が散りばめられています。シンボル的な「不当な支配に服することなく」は落としたけど、新たな文言でその趣旨は十分すぎる程に取れたので了とするということなのかもしれません。まあ、政府・与党案にしても、民主党案にしても、言葉尻を捉えているだけでは分かりません。ある程度は運用に委ねられることになるでしょう。


 民主党案には「国と地方自治体の関係」が全く出てきません。地方自治の時代だからそれでいいのだ」ということなのかもしれませんが、ちょっと不安です。国の施策と地方自治体の施策が相反するときに調整する取っ掛かりの文言(相互調整、参酌等)もありません。ちょっとナイーブなのではないかと心配になります。教育行政をめぐる戦後60年の歩みはそんなに簡単なものではなかったと思います。なんでもかんでも「民主主義」、「民意」、「自主的」と言っていても物事は進まないことがあります。今のままだと国が何がしかの計画を策定しても、それを地方に伝える公的ルートが用意されていないのです。国と地方自治体の関係、どう考えているんでしょうね。