ナイロビの蜂(http://www.nairobi.jp/ )という映画を見ました。ケニアやスーダンでの医薬会社の悪行をめぐるお話です。アフリカ勤務をしていたものとしては、あの大地を見ると何処かノスタルジアを感じます。あまりストーリーを言うとつまらないので、アフリカでの医薬品事情について一言。


私が外務省にいた時、同じ課で勤務していたNさんが取り組んでいたのがジェネリック薬品の問題でした。1986~93年に行われたGATTウルグアイラウンドで合意された協定の中に「知的所有権の貿易的側面に関する協定(TRIPS協定:トリップスと通常言います)」というのがあります。まあ、色々なことが書いてある協定で私も諳んじているわけではないのですが、簡単に言うと「知的所有権を国際的に守っていきましょうね」ということが書いてあります。これ自体は当たり前といえば当たり前のことなのですが、その結果が想像以上に劇的なものだったのです。


医薬品製造に関する知的所有権が国際的に保護された結果、AIDSの治療薬等の特許が国際的に保護されることにより、医薬品が途上国の人にとって手が届きにくくなってしまったのです。途上国としては廉価なコピー薬品を輸入したいと思っていたのですが、TRIPS起草者はちょっと発想が違っていました。簡単に言うと「強制ライセンス(お金を払えば誰でも生産ライセンスを貰える制度)の元でコピー薬品を生産する権利を与えてやるから、後はおまえやれ」という発想からスタートしたのです。そして、その結果として「強制ライセンスの元で生産されたコピー薬品は国内市場向けとすべし」という規定を作りました(TRIPS協定第31条(f))。つまりは、輸入する道が半ば閉ざされてしまったのです。TRIPSは「欲しいから輸入したい」ということに目を向けるよりも、むしろ「欲しければ作れ。権利は与えるから。」という自由主義的な発想があったということなのでしょう。


ただ、多くの途上国は「作れと言われても作れん」というのが現状です。結局は廉価なジェネリック薬品は多くの途上国の人の手に届かずに悲劇的な状況が起こったということです。「権利を与えるから後はやれ」というアメリカ的発想が失敗したと言っていいと思います。


(ちなみに、南アフリカで1990年代後半にこの件は大問題になりました。通常売られているエイズ薬が高いのでコピー薬品を外国(たしかインド)から輸入しようとしたら、グラクソ・スミス・クラインあたりの製薬会社が「TRIPS協定違反だ!」と騒いだのです。最終的には「再輸出しない」とか「相当のお金を払う」とか色々な条件付きで和解したはずです。)


これは今、行われているWTO貿易交渉でも難しい問題だったのです。途上国からすれば「今の不当な貿易のルールを訂正しない限り、新たな自由化交渉はしない」ということだったのです。その象徴がコピー薬品の問題でした。これに対峙する製薬会社の論理は「特許を尊重してもらわないと開発コストも出ない」ということになるでしょうし、更に途上国から言えば「『カネのない人間は死ね』ということか」ということです。まあ、2005年にTRIPSが改正されることが決まり、この件は一段落したのですが一時期はWTO貿易交渉全体を潰しかねないくらいのインパクトのある話でした。


アフリカでは薬は今でも高級品です。通常薬品の10分の1と言われるジェネリック薬品ですら手のでない人がたくさんいます。同時に、ちょっとした薬があれば助かるケースを私もたくさん見てきました。不謹慎かもしれませんが、アフリカでは「簡単に」人が亡くなります。先週まで元気そうにしていた門番のおじさんが「風邪で亡くなった」なんて話も稀ではありませんでした。あと、ちょっとした予防接種がないが故に一生苦しむ方の姿も見ました。特に小児麻痺は、子どもの頃の予防接種さえしていれば大丈夫なのに、それがないためにちょっとここでは描写するのが難しいくらい身体が曲がってしまった方が町中には多くいました。


そもそも、アフリカというと「エイズ」を連想する方が多いでしょうが、同じくらい深刻なのは「髄膜炎(meningitis)」です。髄膜炎が流行した4~5年前は万人単位で人が亡くなっていきました。日本では決して光の当たらない話ですが、エイズだけが深刻な病ではないのだということは知ってほしいという思いがあります。私はアフリカに赴任する時、肝炎、髄膜炎、破傷風、狂犬病、黄熱病とたくさんの予防接種を受けました。どれも今や日本では罹りにくい病ですが、アフリカでは日常生活の隣にこういった病があります。


長々と書きましたが、私は「製薬会社は常にけしからんことをしている」というような「大企業陰謀説」的なものは嫌いです。ただ、「ナイロビの蜂」の背景にある思想も、アフリカで見てきた現状も、貧しい人達に対する更なるヒューマニズムを求めているような気がしています。「ナイロビの蜂」を見ていて、(かなり類の異なる話ですが)森村誠一著「悪魔の飽食」を思い出しました。私の中では結構類似したものを感じます。


「現代社会は50年前と比較して、よりヒューマニタリアン(人道的)な社会になっているだろうか?」、最近私が自分にぶつけている問いです。