最近、とあることに凝っています。

それは「スーパーで食品表示を片っ端から見ること」です。

今年ベストセラーの「食品の裏側(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4492222669/249-0516703-9751540?v=glance&n=465392 )」という本を読んで以来、食品表示に強い関心を持っています。手先が不器用なので料理等全くダメなのですが、ともかく見まくっています。特に冷凍食品と魚介類は産地がバラエティに富んでいて楽しいです。あと、社会派として「遺伝子組み換え作物の表示のあり方」にも関心を強く持っています。


ただ、今日はそういう堅い話ではありません。私が昨日、スーパーで見つけて以来、心を奪われているのは、


このリンゴジュースです(一応、メーカー名は隠しました)。このリンゴジュース、「手しぼり感覚」と書いてあります。しかし、裏の表示を見てみると「濃縮還元」と書いてあるのです。濃縮還元ということは、きっとこのジュースの数倍の濃さのモノをアメリカあたりから輸入して、それを普通の濃さに戻しているということなのだと思います。



「濃縮還元」なのに「手しぼり感覚」.....。どういうふうにすれば、そういうことが成立するのでしょうか。


さて、ここで仮説を幾つか立ててみました。

1. 濃縮する前、リンゴを手でしぼった。

2. 濃縮まですべて手しぼりでやった(又は濃縮だけを手しぼりでやった)。

3. 濃縮までは機械だったが、還元するときに手でしぼるプロセスがあった。

4. すべて機械作業なのだが、手でしぼったときのようにリンゴの粒のようなものを最後にちょっと混入させた。

5. すべて機械作業なのだが、機械がショボいので自然にリンゴの粒のようなものが入ってしまい、手しぼりっぽい感じが味わえてしまう。

6. 「手しぼり」ではなく、「手しぼり『感覚』」に過ぎないので、特に手しぼりのプロセスが全く無くても嘘はなく、飲んだ人がフレッシュ感で満足するならそれでいい。


1.は作業として無駄です。どう考えても、合理的なアメリカ人はやらないでしょう。

2.をやれるのは、往年のプロレスラー、フリッツ・フォン・エリックくらいでしょう。しかも、彼のアイアン・クローにも限界があるので、ちょっと無理だと思います。

3.は非現実的です。そもそも、日本語として意味が理解できません。輸入するときのビニールパックから濃縮果汁を出すときに手でしぼったとしても、それを「手しぼり感覚」とは言わないでしょう。

4.は現実的な推理だと思います。

5.は、そんな会社なら衛生面で問題を起こして潰れているでしょうから、あまり現実的ではありません。

6.も現実的な推理だと思います。


結局、私の出した結論は「あとからリンゴの粒等を混入させて、それっぽくした」及び/又は「そもそも、手しぼりのプロセスは無い」ということなのです。ただ、これはあくまでも私の推理ですからもしかしたら実際は全然違うかもしれません。


・・・ということで、社会派の私は更に調べを進めようとこのジュースの銘柄のサイトにアクセスしてみました。


結論から言うと、ここでの「手しぼり」ということの定義は「果実繊維が入っていること」のようです。


すべての「手しぼり感覚」製品には「果実繊維が入っていること」が共通しています。「手でしぼると荒っぽくなり、どうしても実が残ってしまう」というイメージから実体を作り上げているような気がしないでもありません。そもそも、今時手でしぼる人間が、日本やアメリカにどれくらいいるだろうかと考えると、ここにあるのは結局、現代人がノスタルジアから再構築された昔のイメージを楽しみたいというだけのような気もします。更には、(私以上の)超偏屈オヤジが「オレの手しぼり作業は実を残さないくらい繊細なものだ。おまえの認識は手しぼりしている人に失礼だ。」と言い始めたらどうするのでしょう。そもそも論として、「手しぼり感覚」と「繊維が入っている」ことは正の因果関係があると認めてもホントにいいのでしょうか・・・。


まあ、スーパーを歩きながらこんなことを考えているわけです。しかも、写真を撮るだけ撮って、結局、このジュースを購入することはありませんでした。そろそろ、迷惑な客になりつつあるかもしれません。