径万里兮度沙幕

為君将兮奮匈奴

路窮絶兮矢刃摧

士衆滅兮名已※(「こざとへん+貴」)

老母已死、雖欲報恩将安帰


ばんりをゆきすぎさばくをわたる

きみのためしょうとなってきょうどにふるう

みちきゅうぜつししじんくだけ

ししゅうほろびなすでにおつ

おんにむくいんとほっするもまたいずくにかかえらん


突然、漢文ですが、悲しい詩です。

これは前漢の武将だった李陵によるものとされています。李陵については色々な物語がありますが、やはり秀逸なのは中島敦の「李陵・山月記」です(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101077010/249-4748351-8307562?v=glance&n=465392 )。


武帝の名で匈奴(北方遊牧民族で漢王朝の最大の敵だった)と戦うも敗北、降伏した後、いつか漢に帰ると思いながらも運命に翻弄されて、最終的に匈奴の右校王にまで出世した李陵。その一方で匈奴の捕虜となった後も、匈奴に奉仕することを肯んぜず、バイカル湖ほとりでの厳しい生活(現代でも厳しい)を選んだ蘇武。武帝が崩御した後、新しい漢の昭帝は和平政策に転じ、蘇武は匈奴から帰ることができるようになる。漢の使者は李陵にも帰国を促すが、既に匈奴の幹部となった李陵はそれを固辞。


↑ 蘇武が過ごした冬のバイカル湖。マイナス30度くらいまで下がるそうです。


と、ストーリーはこんな感じですが、最初の詩は、19年ぶりに祖国に帰る蘇武を見送る時に李陵が歌ったものです。「帰りたい。しかし、帰れない。」。日本の演歌のフレーズみたいですが、そういう思いが伝わってきます。私はだだっ広い草原とか、壮大な山を見に行くのが好きなのですが、草原にポツンと座る時、いつも「2100年前、李陵は朔北の地で何を考えたろう。」と考えます。その胸に去来する思いを忖度するに、奇妙なロマンティシズムが湧き上がってきます。最近はNHKシルクロードなどを見ながら気分を高めています。


今、教育基本法で「愛国心」が話題になっていますが、蘇武は(漢の)愛国者だということに疑いはないでしょう。じゃあ、李陵は(漢の)愛国者じゃないのだろうかと思います。いや、やっぱり愛国者なのじゃないかと感じます。しかし、自分の歩んだ道を振り返り、そして、今、自分とは違った道を歩んだ蘇武が漢に戻らんとする時、その生き様と自分のそれを比して自分は帰れないと判断した李陵はやはり愛国者であったろうと思います。


さて、私なら李陵、蘇武のどちらの人生を選ぶかですが、私は根性なしなのでバイカル湖のほとりに送られたら、3ヶ月で根を上げてしまうと思います。蘇武のような頑固者でいたいという思いは強いのですが、そこまで頑張るには若干の計算高さと多大なるヘナチョコさが自分の中にあるため無理でしょう。かといって、李陵ほどの軍事の才もないでしょうから、結局、私はどっちも選べなかったのではないかと思います。


何が言いたかったかというとあまり明確ではないのですが、中島敦の「李陵・山月記」を昨日読み直して思いを新たにしました。なかなか面白いので是非読んでみて下さい。これを読んで何も感じない男性とは感情を共有しにくいなあと思っています(別に女性を排除しているつもりはないのですが、この感覚が極めて男性的だと思うので)。