柔道を少し教わった方ならフランスが柔道大国であることはご存知でしょう。中でも2000年シドニー五輪で篠原選手と死闘を演じた(そして、篠原選手の内股すかしに対する疑惑の判定で有名になった)ダヴィッド・ドゥイエ(David Douillet)や、1996年アトランタ五輪で古賀選手を破ったジャメル・ブーラ(Djamel Bouras)あたりは日本人の記憶に残っているのではないかと思います。特にダヴィッド・ドゥイエ選手は「お国のヒーロー」という感じで、引退後もボランティア活動を始めとして様々な分野で活躍しており、テレビ等でよく見ます。フランス国内ではサッカーのジダン並みの有名度です。

また、その柔道大国ぶりは一般の方々の強い関心に支えられています。私はパリ国際柔道選手権を見に行ったことがありますが、その熱気たるや日本に匹敵するどころか、日本以上と言えるでしょう。パリの外れにあるスポーツセンターが満席になります。ただ、盛り上がり方は少し日本と違い、どちらかというと相撲を見る日本人と似たようなところがあると感じました。フランス人は柔道の持つ精神性を比較的良く理解していると思うのですが、それでもやっぱり「ゲーム性」、「試合性」が日本よりも強調されていることは否めないでしょう。

フランスではどの町にも柔道場が整備されています。私が1995~1996年にいたブザンソン市は小さな町でしたが、大きな柔道場が幾つかあり、その一つで私は毎週2回の稽古を行っていました。ブザンソンは9月音楽コンクールが有名で小沢征爾が金賞をとったことで知られています。あと、スタンダールの「赤と黒」の舞台になったところでもあります。


まあ、当初は「こんな場所だからな、大したことなかろう。俺も高校生の頃はそんなに弱くはなかった。」と思って、私は意気盛んに柔道場に突撃していきました。当時は22歳、正体不明の勢いが私にはありました。


しかし、見事に私の勢いは打ち砕かれてしまいました。いやはや強いのなんのって。久しぶりだったということと、相手をのんでかかっていたこともあり、コテンパンにやられました。あんなにやられたのは中学生の頃以来です。その中でも、私がその後勝手に「ライバル」と目することにしたクリストフ(Christophe)はシャレじゃなく強く、最初の日の練習が終わった後、体力不足、酸素不足で吐いてしまいました(笑)。


このクリストフ、私は勝手に「ライバル」だと思っていたのですが、

● まず、柔道でボコボコにされた。:内股、巴投げ、足払い、体落とし・・・、まあ3分やれば5回は投げられました。寝技では自分が今、どうなっているのか分からないくらいに引っくり返されました。

● 見た目で負けている。:何処からどう見ても彼の方がハンサム。

● 程よくマッチョ:サウナで一緒になったとき、「負けたな」と実感。

● ガールフレンドが超美人:フランスで果敢にアタックして4戦4敗だった私とは大違いで、いつも美人のお姉さんと一緒だった。

● しかも、悔しいくらいに良いヤツ:フランス語があまり上手くない私にいつも優しく説明してくれた。


つまり、「何処をどう取っても完敗」なのです。この圧倒的な劣勢を挽回しようと、一つくらい勝てるものを作るべく頑張ろうと一念発起したのですが、見た目はこれ以上どうしようもなく、フランス語がろくにできないので、エスコートサービスでも頼まない限り少なくとも超美人のガールフレンドは無理、このへそ曲がりの性格は変わらない・・・、ということで、唯一勝てる可能性があるかもしれない柔道に励みました、私は。家で「ロッキー4」を見て気分を高めた後、おもむろに雪の積もる裏山にランニングで登って頂上でジャンプしてみたり、家でフラッシュダンスのテーマソング「Maniac」を近所迷惑な音量でかけながら筋トレをやってみたり(それこそ「Maniac」なくらいに)と、外務省の在外研修員という立場をすっかり忘れて、一時期「打倒クリストフ」に励んだものです。


まあ、その結果といえば、かなり強くはなりましたが、結局クリストフには勝てず。投げられる回数が5回から2回に減ったくらいでした。しかも、クリストフは良いヤツなので「ランタロー(フランス語には「イン」という音がないので私の名前はこうなる)、こういう時はこう体を回すといい。」みたいな指摘もしてくれるわけです。うーん、やっぱり「すべての面において完敗」でした。今でもいい思い出にしています。


既にフランスでは柔道用語はそれなりに市民権を確立しており、一本、技あり、有効だけでなく、柔道場では色々な日本語が普通に使われています。打ち込みの際の数も日本語で数えていました。ただ、その意味がわかっているわけではないので、「なぜ、この技を『大外刈り』といって、この技を『大内刈り』と言うのか。」というのをフランス語で説明するのに四苦八苦した記憶があります。また、フランス語には「はひふへほ」に当たる音が存在しないので、「始め!」の合図が「あじめ!」になったり、「払い腰」は「あらいごし」になったり、周囲のフランス人から「1(いち)と7(しち)は同じ音ではないか?」と質問されたりしたことがありました。


あと、よく私がやっていたのが少年たちの柔道着の背中にカタカナで名前を書いてあげることでした。マジックを持ってはよく「ピエール(Pierre)」、「ルイ(Louis)」、「ジャック(Jacques)」、「アラン(Alain)」、「ベルトラン(Bertrand)」、「トマ(Thomas)」といった名前を書いてあげた記憶があります。

まあ、そんなこんなで日本とは違った盛り上がりを示すフランス柔道ですが、その柔道熱はこれからも続くでしょう。そして日本の良きライバルであり続けると思います。そして、私はフランス柔道に負けない日本柔道であってほしいと願っています。