寒いときは。。。
最近、特に冷え込んで・・・朝は小雪すら舞っているくらいで朝、布団から出るのが誰しも億劫になる季節ですよねでも僕は日の出前に目覚まし無しで直ぐ起き上がってます理由は・・・エベレスト(2015年)をレンタルしてきて普段、テレビを観れない反動から家に居る時はずっとかけっ放しのお陰でかれこれ20回は同じシーンを観ているんです山登りが好きな人は何度でも観れますね・・・・・・そうです感化されやすい性質の僕は、あの8000m超えの極寒の中での遭難を想像しまくって自宅の標高0mの寒さなど微塵にも感じない程、あの映画に影響されているんです・・・・・・それは、さておきあのエベレストの登場人物で唯一人日本人が登場します。難波康子さん(享年47歳)ここで、ネタバレしない程度に簡単に映画の紹介ですがこの映画は・・・『1996年のエベレスト大量遭難』のドキュメント映画です。1996年のAC(アドベンチャー・コンサルタンツ)隊を中心にエベレストをアタックする時に起こった事実を忠実に描かれた作品です。そして実在の人物である難波康子さんとはスポンサーを一切つけなかった登山スタイルの為、メディアへの露出が無く、他の登山家と比較するとまったくの無名な登山家であった。(多くの著名登山家はスポンサーを獲得することで膨大な資金を調達し、登頂後にメディアへの露出を高めて、さらなるスポンサーを獲得し、次の大きな挑戦に繋げてきた。)ビジネスパーソンとしてのキャリアを中断させること無く、自身の収入と休暇だけで七大大陸最高峰登頂を成し遂げたという面では、新しいタイプの登山家であった。1980年 - モンブラン(4,810m)登頂 から始まり、難波康子さんは、費用のすべてを自分の収入から支払った。遠征で長期休暇を取得する前には、同僚に負担をかけないように土日まで働いていた。トレーニングのために仕事を休むというわけにはいかないため、高層ビルの階段を駆け登ったり、自宅から2時間ほどで行ける丹沢の大山を走って登ったり、ときには朝早く家を出て八ヶ岳を登り、その日のうちに帰ってくるなどということもやっていた。そして、7大陸最高峰達成(セブンミニッター)の最後の難関エベレスト挑戦を1996年公募によるAC隊に65000ドルの参加費を支払い帯同しアタックしたのだがエベレスト登頂後の下山中に猛吹雪に遭い、翌5月11日最終キャンプ地からわずか300m離れた地点で死亡していることが確認された。【難波康子ウイキペディア参照】16年という長い月日をかけて・・・47歳で女性としてセブンミニッターに登山の道具ひとつとっても現在(いま)と比べたら困難がつきまとったことだろう。そんな逆境の中、彼女は成し遂げたという事を一人でも多く知ってほしいと思います。もし、彼女が無事に還れたとしたら・・・どんな事を語ったのだろうかどんな著書を作りあげたのだろうか彼女が見た世界で一番高い聖地の景色はどんなものだったのか・・・・・・登場シーンとしては、ちょっとだけですが難波康子さんの背景を顧みながら、改めて観た映画エベレストはなんとも言えない悔しさが込み上げて来ました劇中でのロブ隊長がエベレストの頂上に日の丸の旗を掲げた難波さんに『心から尊敬するよ』という言葉とともに心より御冥福を申し上げます。。。人気ブログランキングへ事故でもいいからポチッとね。。。( ̄□ ̄;)!!