耳朶風呂 -3ページ目

もう折り返し地点近く

おかしいよね、今年始まってからもうすぐ半分経つんだぜ。


そのうちの最初の2ヶ月は、今思えば「ちょ、大丈夫?」ってぐらい家の中にいた。
まあ寒かったってのもあるんだけど(笑)
出掛けないでいたのに、無駄にお金だけが消えてってた。
なんに使ってたんだろう?
ふっしぎ!


3月あたりからは、これじゃいかん、ってなった。
あきらめかけてた色んなこと、自分のこと、諸々……とにかく色々、地震以降、大事にしようと思った。
あきらめるのをよそう、と思った。


そんでもってそんな中、今思えば、ノリと勢いで購入した(笑)一眼レフ。
でかかった。
正直、楽しい。楽しすぎる。
楽しいと思えることがあるないで、日常がこんなにも変わるんだってことを、4月は教えてくれた。
そして、横浜に行って、やっぱり横浜、好きだな、って再認識した。
現状でも引っ越せるんだと知って、引っ越す意志を固めた。
でもさすがに、横浜から出戻って、また横浜へ行くなんて言ったら実家が何を言うことやら(笑)と、最初は横浜を避けていたけどね。


でもやっぱり、住みたいな、と思う。
それは、横浜が好きだということよりも、自分の中にあるマイナスのイメージを払拭したい、のかもしれない、とも思う。
好きな町を悲しいままにしたくないというか。
むしろそっちの方が大きいのかもしれないなあ。なんせ、センチメンタルなのでね!


といっても、仕事の兼ね合いもあるので、目黒区、という逃げ道も考えてありますが(笑)
これは、まあ二つある職場の拠点のどちらにも対応できる、という利点で。
治安も良さそうだしね。


……全然、センチメンタルじゃないじゃん!





まあ、第一希望、横浜、ということで。
今だったら契約社員募集してて、まあまあのところに超良い物件があったりするんだけどな(笑)








$耳朶風呂






粉塵やら虫やら

世の中の黄金週間も終わり、ようやくのお休み。
前々からまた行ってみたいと思っていた、港区の「野跡」(のぜき、だと思ってたけど、正しくはのせき、らしい)という町へ行ってみた。
どの辺かというと、名古屋港の西側、金城埠頭のちょっと手前。

といっても天気はあまりすぐれず。




最後に行った時は、まだ第3セクターのあおなみ線の工事が決まるか決まらないか、といった時だった。
あおなみ線のルートは、元はJRの貨物線で、野跡あたりはその廃線と金城埠頭につながる道路とが並行していた。
高層マンションは当時からひとつふたつあったけど、そのわきにはバラック小屋やさびれた団地がずらっと並んでて、その不思議な雰囲気がとても好きだった。


あおなみ線も開通したし、野跡もだいぶ変わっただろう、と覚悟して。
あえて、あおなみ線は使わずに一時間に一本しかない市バスで行ってみた。
このバスはひたすら中川運河沿いを走って行く。
眺めてるだけで、倉庫大好きの血が騒ぐ。
次回はこのバス路線の途中で降りて散歩したいと思った。



終点の野跡駅に着いたら、昔の面影がこんなにもないなんて、と呆然。



バラック小屋はあとかたもなくなって、バス乗り場に。
さびれた団地は一応残ってた。
あとはマンションがずらずらりと立ち並ぶ。
もちろん廃線はあおなみ線になっているし、しかも高架上を走ってるし、みたいな。
分かっていたけど、実際見ると残念。


あっさりと野跡から元来た道を歩いて戻り始めると、交差点に「ラムサール条約藤前干潟」の文字が。



あれ?っと思う。
藤前干潟ってこんなとこにあるんだっけ、と。

2、3分歩いたらそこはもう藤前干潟だった。初めて見た。





$耳朶風呂





はしっこの方しか見なかったので、また天気の良い日にでもちゃんと見に行こうと思う。



適当に歩いていたらいつのまにかバス通りに戻り、ブックオフとカインズホームを発見。
しかもブックオフスーパーバザール。
楽器や洋服なども売ってる。
散歩そっちのけでうろうろして楽しむ。



$耳朶風呂



2点お買い上げ。



たこやきを食べたところで散歩再開。
お店を出た道が、昔よく通った工場のたち並ぶ道だと気づいたので、工場の方へ。




$耳朶風呂




よく考えたら、この道を歩いたことはなかった。
野跡まで続いている道なのは知っているので、まあまた元のとこまで戻りゃいいか、と軽い気持ちで歩いていたら、なんかよく分からない粉塵が工場から噴出してきて、慌てて逃げました。
逃げたけど浴びたには浴びたので、粉っぽい私が誕生。
臭いし、のど痛いし、鼻についた匂い消えないし、目痛いし。
しょんぼりしながらまた元来た道を戻り、名古屋港にほど近い中川橋で力尽きて、バスに乗って帰宅。




$耳朶風呂




とかいいつつ、途中名古屋駅で洋服買ったりしちゃったんだけどね。
帰って速攻で全身洗浄(鼻うがい含む)したけど、未だに匂いが取れません。
あげくに、鼻の頭虫に刺されて腫れてるし。
厄日?




うん、でも楽しかったです。
ブックオフスーパーバザールはあと何回か通っちゃいそう。
結構歩いたようで、調べたら6kmでした。
そう、工場といえば、前に港区(今回の野跡とは真逆の東側)に住んでいたあたりも工場地帯なのよね。


行ってみるか。次回は東名古屋港に決定。(海ばかり行ってるなー)

先日といい今といい

先日の休みは、買い物へ行くために電車に乗り、気づいたら名古屋港で写真撮ってた。
元々、目的地は決めてもだいたいたどり着かない性分です。
これでもA型。




$耳朶風呂




港、というと横浜みたいな、おしゃれで栄えてるっていうイメージがありがちだけど
名古屋に至ってはそれは皆無というか残骸でしかない。
一応、そういう努力はしたよ?的な建物や風景は存在する。ただ、ひたすらさびれている。
人もまばら。
建物や風景も手入れされることを忘れ去られた状態。
ある意味、貴重かもしれない。
あんなさびれた遊園地とか、見たことないぜ。



***


そして世の中はゴールデンウィーク、私はひたすら出勤の日々。
やっとの休みに限って雨の予報。
というか、もう降ってる。夏の服を探しに出て、ついでにもさもさになった髪をちょいと切るくらいで、ゴールデンウィーク唯一の休みは終わりそう。
それ以上の充実した何かはしたい。
と思えど、今日の集中力の欠如たるや甚だしいにもほどがあるぐらい、状態がおかしいので、
とりあえず立て直すのが先決か。

でも今夜は写真を撮ってちょっと気分がきりっとした。
愛用の透明マニキュア。


$耳朶風呂



楽しく生きたい。
でも突然黒い幕みたいなものがぐるぐると巻き付いてくる。
それがとてもめんどくさいんだ。
幕を切り裂く鋏が必要だな。





久しぶりのひきこもり

せっかくの休みが雨となると気分がくったり。
でも渦渦としてるわけにもいかないので、家の中を徘徊して撮影決行。
数は撮っていないけど、PCに取り込んで画像をひたすらいたずら祭りにしてやった。

でもでも、遊び足りない。
次の休みはいかに次が4連勤だろうとなんだろうと、絶対おでかけするんだ。





耳朶風呂



耳朶風呂



耳朶風呂

区切りの日

私は「痙攣性発声障害(SD)」という病気を持ってます。
原因は不明。
今のところ神経の難病である「局所性ジストニア」の一種ではないかといわれてる。
詳しくはこちらや、こちらを。


私が発症したのは5年前。
電話のオペレーターをやっていた頃に、ある日突然声がおかしくなった。

具体的に言うと、息を吐いていつものように声を出しているはずなのに、ぷつ、ぷつ、と声が途切れる。
あれ?と思っている間に、首を絞められたまま喋るような感じの、おじいちゃん声になり、
「おかしい、おかしい」となんとか出そうとして、頭の中で思ってる言葉じゃない、短く伝わる言葉をとっさに言おうとしてろれつまでおかしくなった。
風邪気味だったので、それでのどがおかしくなったのかと思って、すぐに耳鼻科へ行った。
風邪どころか、炎症も何もなかった。
家に戻ると、元に戻っていた。
あ、治った、なんだったんだろう。
次の日、仕事に行った。
席に座った瞬間、またおじいちゃん声になる。それもどんどんひどくなって、一週間もしないうちに声がほとんど出なくなった。
無理に出そう出そうとして、思い切りむせる。呼吸もおかしくなる。
もちろんクレームも連発する。そりゃそうだ、何言ってるのか全然分からないのだから。
結局クビに近い形で、発症から1ヶ月で退職した。


かといって次の仕事など探せる自信もない。家ではふつうなのに、例えばお店で店員さんに話しかけたり、ってことも、もうできなくなっていた。
でも、生活をしなきゃならない。
当時は生活費をすべて自分でまかなっていたため、あっというまに貯蓄が尽きた。
尽きたころには、少しだけましになっていて、外での対話がなんとか出来ていたので、そこでようやく新しい仕事を探して始めた。1年以上が過ぎていた。
ああ、ストレスの病気だったんだな、ってその時は思っていた。
でも何か釈然としなくて、そこでようやくネットで色々と検索をかけはじめた。


そこでだいぶして見つけたのが、痙攣性発声障害、ということば。


絶対これだ、という確信があった。
でもその時はどこの病院で診断してもらえるのか分からなかったし、お金もなかった。
ある程度声も出るようになっていたので、診断してもらおう、というはっきりとした意志もなかったので、確信したものの自己判断なまま、ずるずると毎日を過ごしていた。


転機になったのは2010年秋。
新しい仕事を初めてすぐに、発症初期のような症状が出始めた。
出始めてから半月もしないうちに、おじいちゃん声は無声に近い状態に。
接客業を無声でお送りしております、といった状態。
今回は仕事のみならず、家でも、ほぼ24時間態勢で声が出なくなった。
お金は相変わらずなかったが、ここでいよいよ、診断してもらいたい、治したいという意志が生まれた。
12月に川崎の病院へ。
はっきりとは診断されなかったが、紹介状を持って東京の病院へ行きなさい、と言われる。
1月に東京の病院へ。
ここで「痙攣性発声障害」および「過緊張性発声」と診断された。
「過緊張性発声」は、発声の変なクセがついた状態、と考えてもらうと分かりやすい。
長年無理に声を出そうとした結果、絞り出すような発声をするクセがついた、ということだった。
とりあえずはこの「クセ」を治すためのリハビリを始めた。


この時はまったく効果なし。
3月になって、運良くお金を工面できる出来事があった。
すぐにひらめいた。
手術しよう。
手術してまずは痙攣性発声障害の症状を止めて、そしたら「クセを治す」リハビリも効果が出るんじゃないか、と思った。


といったいきさつで、去年の4月20日に手術をしました。
声帯の中の筋肉を取り除く手術。
同じ病気の人たちの、手術後のそれからを知っていたので、手術をしたところですぐによくなる、ぺらぺらしゃべれるようになる、とは毛頭考えていなかった。
考えていなかったけど、変わらないどころか、6月には術前よりもひどい状態になって、相当に落ち込んだ。

先生いわく、「過緊張性発声の影響だから、あとは努力してクセを抜くコツをつかむしかない。痙攣性発声障害の症状は手術でなくしているんだから、それしか道はないよ」。
それは理解してる。けど、うまくいかない。
この時、術前と違って裏声が出るようになっているので、裏声で喋る練習をしてみたらどうか、という提案をいただいた。
その時は「裏声で会話って、、、むちゃな(笑)」と思ったけど、でも、
その提案のおかげで今の私がいる。


ダメもとで裏声での会話を意識して続けること1ヶ月、術後まったくうまく喋れなかったことがうそのように話せるようになった。
同時期に、カイロプラクティックの「ニューロパターンセラピー」という、神経の悪いクセをとる施術を受けてみたのも効果があったのかもしれないけど、とにかく夏には苦なく会話ができるようになった。
あきらめてただけに、泣きそうなくらい嬉しかったな。

で、今は、調子が悪い日もあるけれどまったく生活に支障なく、病気のことを気にすることのない日もあるぐらい、平穏無事に暮らしています。



といったわけで長くなりましたが、4月20日は、私にとって、大きな区切りの日なのです。
誕生日よりもね(笑)




おめでとう、自分。
そんでもって、5年間、よくがんばったね。と、ちょっと褒めてあげたい。
ほんとに、苦しかったんだもん。
うん、苦しかったんだよ。