追加あり : J.S.バッハ ミサ曲 ロ短調 大阪コレギウム・ムジクム 定期演奏会 いずみホール | 徒然なるままに*Rain&パクヒョシンさん、そして時々俳優ヒョンビンさんを応援します

徒然なるままに*Rain&パクヒョシンさん、そして時々俳優ヒョンビンさんを応援します

好きなときに、書きます。
気がついたら読んでください。
昨日では早すぎた。
明日では遅すぎる。
だから……
いま。

まだチケットがあったので…近くでもあり、急遽思い立ってコンサートに来ました。


大阪コレギウム・ムジクム創立50周年記念

第132回大阪定期演奏会。

いずみホールです。




この楽団はもともとは、ハインリッヒ・シュッツというドイツドレスデンの作曲家の名を冠したアンサンブル、合唱団でしたが…。


私はバロック音楽、室内楽ならバッハが好きなので、友人に誘われて、クリスチャンでは無いのですが、随分昔に会員にもなっていてせっせと教会での定期演奏会に行っておりました。


その友人も亡くなってしまい…

そして、私もこの楽団の会員番号も無くなってしまって…その後数回、と言っても15年位の間に、なのでほとんど行ってはおりませんでした。


しかし応援したいので、クラウドファンディングはしたり、メルマガは読ませて頂いておりました。


そして、創立50周年記念、という数字に、まだこんなに続いているのか!と感動して、大作バッハのロ短調ミサ曲を聞きたくなった、というわけです。


私のこの楽団の最後の公演は、いずみホールでのコンサートは、もしかしたら「マタイ受難曲」だったかもです。それ以来…たぶん。


バッハをはじめブラームスとかの、大抵の古典音楽は、宗教、つまりキリスト教と切っても切れない関係なので、私など、無宗教なモノにとっては宗教上の意味が腑に落ちるということは全くありません。


それに、音楽好きといっても、ロ短調…😄??

さっぱり…😂です。

一応下手ながらも、ヴィオリンは習っていたので😅

A (=ィ)B (=ロ)C(=ハ=ド)…つまり、B(=シ)の音が主音となる短調で、F#、C#とシャープが2つ🎼5線上にあるんです、ぐらいの素人理解しか分かりません。ヴィオリンだと、通常の音階のそこを#だから、半音上げてドレミファソラシド、と弾く指の形になるんですが、大人からだと理屈が先にたってしまい、子どもの時からやっていて理屈抜きにその音階をパッと押さえられるようにはかなりの練習が必要です。勿論、私はその域には達しておりませんでした〜😝🤣。


…などと言うぐらいの説明で…バッハのこの曲の感じ、わかりますかね?


まあ全部ではないですが、短調、ってだけでも良いです。


それよりも、この楽団、合唱団は、とても優れているのです。

主宰の當真修一さんが音大の時からバッハに傾倒されて、この合唱団、楽団を50年も率いておられるんですが、

何よりも今日も、昔から引続きずっと演奏され、未だ歌っておられる懐かしい方々の顔を確認して、素晴らしいなあ、と思ったのでした。


私なんか、あれこれ関心あることを手当たり次第…なので…結構凝るのに、何事もモノにもならず…😂🤣

お恥ずかしい次第です。


そう思っていたら、

1発目に、歌と伴奏が同時に「キリエ(憐れみの讃歌)」の音をバーンと奏で😳😳!


思わず涙ぐみそうになりました。


牧師さんの知り合いとかはいますが、私はクリスチャンでも無く、絵は見ますが、聖書を理解もしていないで、♫主よ憐れみたまえ、と言われても…

…なのに、無防備な心にざっくり刺さってしまいました。


この楽団、合唱団も並大抵な努力で続けられるものではなく、昔の顔ぶれはやはりもう年を重ねておられ、その来し方に瞬間に思い至ったものか…

この「キリエ」は教会の定期演奏会でも何度か聴いた事がありましたし…私もその頃の若き日に戻ったものか…


💧こんな言葉でしか言えませんが、

感動しました❗️


前半だけで1時間の演奏、後半も1時間位の長編です。

この曲をバッハは、何と15年もかけて作曲したのですね。


そして、思えば私も、1989年11月9日、東西ベルリンの壁が落ちて直ぐの1990年初めの時に、バッハが晩年を過ごした旧東独のライプチヒの聖トーマス教会にも行ったことがあったのでした。

教会では、バッハが弾いていたパイプオルガンの音が流れていました。

当時の写真を探せないので、@トリップアドバイザーからお借りしました。

ありがとうございます🙏。
こんなバッハの像がありました!



バッハの弾いていたパイプオルガン。当時のままありました。自動演奏になっておりました。


追加しました
家に帰って見てみたら、当時の古い写真が数枚出てきました😌。うまく撮れてないのですが…😅
バッハの像です。

当時、バッハのパイプオルガンはこんな↓感じでした。上のように綺麗ではなく…きっと後から改修したのでしょうか…。

教会の中も古めかしく…
全て、現在の教会、つまり上の写真は綺麗になっているように思います。私が見たのはバッハがこの教会にいた時のまま?、の貴重な写真だったかもです。教会の中は暗く、重苦しい感じでした。こんなところでバッハは日々過ごしていたのか…と思いました。

トリップアドバイザーの写真が思いのほか綺麗なので…???当時そんなきらびやかな記憶は無かったけど…と思ったのは正解でした。

なんせ、当時のライプチヒの街は、おカネも無いと修理もできず、中世の街のような佇まいで、戦争の弾丸の跡とかもそのままでした。古いお城のような全部で200平米もあるいくつかの部屋を安く借り上げている知り合いの人達もいました。
昔の話です。
↑ここまで追加しました。

このロ短調ミサ曲の後半はここで作られたのです。


そんな事が頭を巡り、コンサートを聴いておりました。とても素晴らしい合唱と楽団の音の融合でした。


ソプラノの石橋栄実さんも素晴らしかったです。


最後に、ミサ曲は、

「われらに平和を与たまえ」

という歌で終わりました。


私の解釈では、

ミサ曲なので当たり前?かもしれませんが、感じたのはやはり、「祈り」でした。


當真修一さんがパンフレットの『演奏にあたって』で、説明が書かれていました。


確か、サー・トーマス教会はルター派の教会だったと思いますが、


当時、バッハは教会とも対立していて、この曲をラテン語で書いたのは、当時ラテン語は最上の権威を持つものとされていたのと、ルター派とカトリック教会に唯一共有されていたのが「ミサ曲」というジャンルだったからということらしいです。


そして、當真修一さんは、

『宗教を超えて一同が会する、それは人や国が持つ相違を越える、心の奥深くで共振する「生きている」という〈絆〉かもしれません』


また、『「今を生きる人たちに栄光あれ!」と、「戦争(殺し合い)なき世を!」と、希望を綴る音楽となればと願います』


と綴っておられ、激しく同意したのでした!


終わってから、ペンを忘れて、感想を書けずに出てきてしまいました。

でも、感動しました!だけでは、言葉が足りないですね。

🙇⤵️🙏語彙も浮かばず、ごめんなさい。


お茶を飲んでほっこりして、帰ります。







読んで下さりありがとうございます。