高野山にて  宿坊ハシゴ | 徒然なるままに*Rain&パクヒョシンさん、そして俳優ヒョンビンさんを応援します

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好きなときに、書きます。
気がついたら読んでください。
昨日では早すぎた。
明日では遅すぎる。
だから……
いま。

このブログのカテゴリーは、【韓流推しブログ】なんですが…


日記のようなつもりで色々と書き留めて今日までなんとか続いてきました。

…気づくと、何と11年目。

今年の夏を過ぎると12年目に突入します😳😳😄。


メインのRAIN推しは、ブログを始めるずっと前からですので、かれこれ約18年くらいになりますから、なんともファン歴もしつこく長く続いているというわけです😂。話が逸れますが、

ヒョンビンさんのドラマ「シークレットガーデン」をご覧になった方ならご存知でしょう。

主人公のキル・ライム(ハ・ジウォン)が歌手のオスカーのファンで、『こんなに長く(確か13年?ー不確かです😅)ファンをしていると、しつこいと本人に気持ち悪がられる』と言って、ファン歴を短く申告していましたよね。

私も、しつこいかな〜と、そんな似たような気持ちもありながら〜(笑)、言うなれば、もう身内、母の心境なんですね😄。

何も本人に頼まれたわけでもなく、勝手な話なんですけれど〜(笑)。


さて、前置きが長くなってしまいましたが、そんなことで、ブログが長く続けられている理由の、「日記」としての部分に、親の事でも書いたことも無かったのですが、今回は特に書き留めておきたくなった事がありました。


というのは…

今年の2月の末、

私が数十年にわたりお邪魔して、いつも酒を積み交わしていたお友達のご主人が不幸にも亡くなり😭、


昨日その友人と一緒に、高野山に菩提を弔いに来たのです。


丁度私の実家も真言宗なので、普段は無宗教の私も、お葬式には耳慣れた感じでお教も自然と身に入ってくるような…普通の日本人の感覚…というか、葬儀では自然な感じで受け入れておりますが、流石に高野山までは今に至るまで来たことがありませんでした😅。


私の実家の近所の墓地に、先祖代々のお墓もあり、昔から檀家になっている地元の真言宗のお寺さんですべてをまかなっていたから、ここまでは来なかったのですが、


友人のご主人の家は、すでに家族を高野山に祀っていたそうなので、今回は私も一緒に就いて来させて貰った、という訳です。


たまにはここでこんな話題でも良いですかね?

また、なにかのご参考になるやもしれず…


さて、

…この高野山行きの為に…

前日、私の家にそのご主人が来て最後のお別れとなりました😔。

家には仏壇も無いので、俄祭壇に高野槇を飾り、リジョンヒョク氏の「あの」蝋燭を灯しました。

昨日、大阪から、
(大阪駅に停まるコナン号)

故人の甥のしょうちゃんの運転で午前10時に京都を出発し、


途中の道の駅で枝垂れ桜を見て、

午後2時過ぎに高野山に到着。

私にも関係あるといえばある、長野県上田真田六文銭の提灯がある宿坊、真田坊の、

蓮華定院に到着。


本堂。

綺麗なお庭を眺めつつ、




お部屋で法要の時間待ち。

知らなかった、真田坊の由来はまた、改めて調べてみたいと思いつつ…

そうしている間にも、次々と、アメリカ人と思われる団体の方がわらわらとやって来て、宿坊の中を案内されていました。
約60人ほど泊まれるそうなんですが…?
今日は満員とのことでした。

友人によると、この宿坊には昔から英語のとても堪能な高齢の御婦人がおられたそうで、窓口の案内のお坊さん達も皆さん英語が堪能、外国人と思われる方の電話に流暢に対応されていました。

故人の甥のしょうちゃんによると、多分、何とかいう(聞いたけど忘れちゃった😜)外国の日本用ガイドブックに載っているのでは?とのことでしたが、

宿坊の方の話では、インバウンド回復の影響もあり、こういうところを訪れる外国人がとても多いそうです。ですので、今回は残念なことにここの宿泊の予約は取れなかった、と友人が言っていました。
宿坊のお坊さんに聞くと、なんでも高野山にはこのような宿坊は52ある、と言っておられましたが、このような日本の文化に外国人が興味を持って訪れてくれるのはとても嬉しいような気持ちがしました。
やっぱり私も日本人なんですねえ☺️。

待つこと暫し、3時から無事に納骨、永代供養をして頂きました。
本堂は撮影できませんので写真はありません。


…というわけで、私達は違う宿坊に泊まることになりました。

夕ご飯までの時間に、弘法大師さんの奥の院にお参り。

こんなお墓も…

あら、ら、織田信長の下に筒井順慶の名が…😅。

筒井順慶といえば、筒井康隆さんのご先祖という話もありましたが、実はご先祖は順慶さんの足軽だった、とか…?
良く知りませんが…

私は、若い頃のある時期、筒井康隆さんがとても好きな作家のひとりで、東海道戦争、48億の妄想、時をかける少女、七瀬ふたたび、エディプスの恋人、アフリカの爆弾などなど〜大いなる助走位まで殆ど全編を貪るように読んでおりました(笑)。

因みに、この順慶さんを揶揄した「洞ヶ峠を決め込む」という言葉がありますが、
これは、
『自分に確たる信念がなく、形勢を見て分のいいほうに付き従う、 日和見(ひよりみ )的な態度をとること。 信長没後、羽柴秀吉と明智光秀が京都山崎で戦った際に、筒井順慶が洞ケ峠に軍をとどめて戦いの形勢を望観し、有利な方に味方しようとした』という故事によると言われますが、
何故か、その時はすでに亡くなっていた信長なのに、そこに並べて順慶の名が書かれていたのが、なんとも言えぬ縁を感じてしまったのでした。

こちらは、言わずと知れた赤穂浪士のお話で良く知っている浅野内匠頭のお墓。

有名な方々の名が次々と。
会社の石碑もあります。

真言宗の、宗派によらず、来るもの拒まず、排外主義でない、心の広い教え、というのが気に入りました。

そして、明王院で夕ご飯。


勿論、精進料理です。
でも、豪華版でした。



お酒は飲めます😁。

張り詰めていた気持ちも弛みました…😂

🍀
一晩明けて、
朝の5時過ぎ起床。
6時からの勤行に行きました。

六文銭の提灯にまだ明かりがついています。



昨日お願いしていたので、
新たな、友人のご主人の位牌に加えて、ちゃんと数年前のご両親やご家族のお位牌とお骨も並んでいました。
私達の他に、他の日本人に加えて、他の参加者はお泊りの外国人で、総勢約70人でした。
国際的に人権のために活躍した故人の為に、はからずも沢山の外国人の方々が一緒に焼香して祈ってくれたという偶然に…
なんだか、縁というか、、、そんな不思議を感じました。

お隣の外国人に聞くとロシアからということで、他はアメリカからと言っていました。

私は実家も真言宗なので、お経で唱和するのは、
南無大師遍照金剛ーなむだいしへんじょうこんごうーと言うんです、と教えてあげたら、頑張って一緒に唱えていました☺️。

こちらは、ご住職の日本人への法話が終わり、日本人が退出してから、外国人に改めて英語で法話しておられ😳、やはりこういう所も国際的なんだな、と感心しました。

🍀
お泊りの宿坊に帰って、申し訳なくも、こちらの朝の勤行にも遅ればせながら静かに参加。

こちらは、明王院という宿坊です。
ここは昭和27年の大火でかなり消失し、未だ再建中とのことでした。
御本尊は、厄除けなどの、赤不動と呼ばれる不動明王の絵画(と表現して良いものか?)でした。この不動明王の由来はここでは省きますが、
本堂や仏像は映せませんので、ここにはありません。

こちらの宿坊は弘法大師が五大明王を刻んで安置し、五大堂と名付けたそうです。とても古くから由緒ある院でしたが、先に書いたとおり、幾度かの大火で焼けてしまった、とのことです。

今日は、蓮華定院で朝の勤行が終わってからの途中からでしたが、ご住職の読経の良い声もさることながら、御法話が、弘法大師や真言密教の歴史をはじめとする深〜イイお話で、とても勉強になり、感動しました。
思わず真言宗の信徒になりそうでした(笑)。
本当に人生で1度はお聞きになるといいでしょう!
オススメします。

ともかく、私は無宗教なので、用語とか内容については全く知見がなく、誤りもあるかも思われますので、興味のある方は、ご自分が直に行かれて経験されたら良いのでは、と思いますのでそのつもりでお読み下さいね🙏🙇⤵️。

🍀
そして精進料理の朝食。


🍀
なんだかこの年になると、割合されている方が多いと思いますが、御朱印を頂きながら、

有名な世界遺産金剛峯寺の壇上伽藍をはじめ、金堂などお参りしました🙏。

桜が綺麗で、

新緑を身に浴びながら、それだけでも、とても身も心もリフレッシュしました。



写真は撮影可能なところのモノだけです。
左の提灯は、豊臣秀吉関連の五三の桐、右の提灯は羽生郡比企神社関連の三頭右巴(弘法大師=俗名佐伯真魚の佐伯家の家紋)
と、2つの紋で金剛峯寺の宗紋とされているようです。
??😳☺️💡*
と、気づきました❗
昔、家の古い離れの鴨居に沢山の提灯の箱が並べてあり、そこにあった家紋が三つ巴だったように思います。
もう、とっくにそれは処分されて、今となっては聞くことができる祖父母も両親もいませんので、もう確認のしようもありません。
家の仏壇の位牌には、元和、嘉永という元号のものがあり、どうやら江戸時代からあった家と思うので、その頃からの家紋のように思います。
もしかしたら地元のお寺さんからの縁かもしれませんが…弘法大師に因んだ関係がありそうに思います。
知らんけど…☺️😁。






















三鈷の松。

三鈷とは仏具ですが、こんな3つの松葉の関連の故事に関連があるようです。全てではなく、ボランティアの方が探してくれました。



西の塔の近くにある切り株。(沢山の1円玉と5円玉が貼り付けられていました)
関係記事はこちら↓




ということで、仏像や、曼荼羅など撮影できなかったので、撮れた写真を並べただけですが…
今日はもうこの辺で…終わります😅☺️。
ホンの一部だけしか行けていませんでしたので、またの機会に是非とも訪れてみたい高野山でした。





読んでくださりありがとうございます。