今日は8月15日…?? | 徒然なるままに*Rain&パクヒョシンさん、そして俳優ヒョンビンさんを応援します

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好きなときに、書きます。
気がついたら読んでください。
昨日では早すぎた。
明日では遅すぎる。
だから……
いま。

8月15日は、実際は昨日なんだけども…🤭

実は、これを書きかけたんだけれど、
レインさんの「遊ぶならなにする?」のUP に忙しく、後回しになっていました。

8月は…
暑い、という他に、

8日が母の命日。

15日が終戦(敗戦)の日。

毎年、考えごと、物思い、なんかに耽る理由がある月です。

『歴史に学ばないものは、再び過ちを繰り返す』という言葉がありますが、

コロナの事もあるからなのか、何だか今の『日本』は『ちゃんとした』道を歩んでいるのか?
不安な気持ちになる今日この頃です。
チョンシンチャリョ(しっかりしろ)!と叫びたい気持ちを抑えています。

皆さんは如何お過ごしですか?💓

私が母の1周忌に作った、母の遺稿集を読み返していました。😹

さて、あまり興味ないでしょうが、久しぶりに独り言を書いています。それこそ、徒然なるまま、とりとめもありません。
退屈ならば、読み飛ばして下さって結構です。😁😂

無宗教なので、
私は、ヒトは環境によって作られる、という考えに近いです。

津村節子という作家がいます。
私の好きな作家の一人です。
純文学作家の吉村昭さんの奥さんですが、
どちらかと言うと、津村さんが先に「売れた」為に、ある期間は、吉村さんが津村さんのご主人、というような捉え方をされていました。作家どおしのご夫婦というのは、凡人の及ばぬ、魂を削り合うが如き『軋轢』を抱えて過ごして来られたんでしょうね。

私は、昔はいわゆる『文学少女』😅で、

中学生の頃は、少女向けの「小説ジュニア」とか、「文学界」等のような仕様の、
青少年向けの、沢山の小説が載った季刊雑誌があり、何冊か愛読していました。🍀

今はどうなんでしょうか?
ネット小説かな?…

そのなかで、津村節子さん、と記憶しているのですが、
ひときわ、暗い、悲しい物語を多く書く作家がいました。
どうしてこんな悲しい話ばかり書くのか?と思いながら、読むととても感動して、また次のお話が楽しみになってしまう、という、筆力の確かな、魅力の作家でした。

私の素人目ではありますが、少女向けだからか?、雑誌の中の作家でも、上手い下手、はありました。

私が大人になってから、
純文学しか書かない吉村さんの為に、津村さんは生活の為に、子どもを背負って家事をしながら、箪笥の上で少女小説の原稿を書いて収入を得ていた、というような事も知りました。
津村さんが、どちらかというと人気賞の直木賞ではなく、先に純文学の芥川賞を受賞されたのですが、吉村さんは他の賞は受賞されましたが、とうとう芥川賞は獲得されませんでした。(と思います…)

単なる本好きだけの私の話、というに過ぎませんから、記憶の中の話で詳細が間違っていたらすみません。

ところで、
例えばの話…
自分がどうして本を読むのが好きだったのか?
というような…ことを考えたことがありますか?

今は、本屋さんで欲しい本は直ぐ手に入りますが、私の場合、好きな作家の本があるとハマって、出版されているその作家の本は、ついつい全部読んでしまう、という事になります。
ハマりやすい性格ではあります😃💦

やっと好きな本が自分で買えるようになって買い求めた、自分が読みたい本の嗜好を見ると、ひとつの方向性のようなモノが見えてくる感じがするのです。
つまり、影響を受けた?と言える本かも知れません。

話が飛躍しますが、
最近、「愛の不時着」のドラマを観ていて、女性主人公が、相手の本棚を見て、
『本棚を見るとその人がわかる』(正確な台詞ではありません)みたいな事を言うのですが、全くそのとおり、と思いました。
このドラマ作家の、こんな人物描写の視点にも深い興味を持ちました。
ついでに言うと、
軍事政権下の戒厳令の頃、私が韓国を旅行した時は、韓国では北の人間は『鬼』と思われていましたので、当時ならこんなドラマは『反共法』に触れてとんでもなかったでしょう。特に今の文政権になってからでしょうが、こういうドラマが韓国で人気が出た、という事も、
世の中変わったなあ…
と、本当に感慨深いです。

The Times They Are A-Changin’ (時代は変わる) – Bob Dylan
です!

話が逸れましたが、

本棚は…つまり…
自分の内面のような気がして、そこにある本もなかなか捨てられません。😅
だから、本棚はヒトには見せられません(笑)。
断捨離をはじめてから、何とか捨てて減らしてきましたが、
小さい文字が、一緒に過ごした長い年月やその夏の暑さで焼けていて読みにくくても、
何度か読んでボロボロでも、
捨てられない岩波文庫もあります(笑)。
もう絶版のものも多いです。

(隠したい本棚🤭見ないでね😁)

しかし、つくづく考えてみると、
それを読みたい…好むという、自分の受容体というようなモノは、どうして作られたのか、そこが人生の根本的な出発点のように思うのです。
これは本に限りません。

自分の内なる琴線のようなもの…

自分にとっての、必然?のような…

この世に生まれて、生活している日常のなかで、影響を受けた事柄をヒトはどのように吸収するのでしょうか…?

自分の中のどんなアンテナに触れる?

勿論、その時の自分の生活方法で取捨選択している事も関係あるのでしょう。

基本的には、生命を維持する為の最低限度の生活、立場によっても違ってくるとは思います。それが小さい頃は、経済力を含め自分を育ててくれる周りの環境ー考え方で決定される要素が大きいかも知れません。
ところが、では、皆似たような環境にいると同じようになるのか?というと、そうではなくて、個性、というものが関わってきますよね。
個性…
思考回路
価値観
嗜好
感覚
感性
色々並べてみても、

その個性を作る根源的な「受容体」…それはどうして作られるのでしょうね…
本能のようなものは…

もしかして、皆さんもお子さんを育てていて、そのように考えることが?


昨日改めて思いました。

ほどほどで、いい加減に生きているとしても、

せめて、
魂は錆びないように生きていたい。。。。



久しぶりにサムウル・ウルマンの詩を眺めていました。
この方は、ラビだった方なのですが…

私は、作山宗久さんの訳が好きです。

🍀🍀🍀🍀
青春

青春とは人生のある時間ではなく   心の持ちかたを言う

薔薇の面差し   紅の唇   しなやかな肢体ではなく

たくましい意志   ゆたかな想像力   炎える情熱をさす

青春とは人生の深い泉の清新さをいう

青春とは怯懦を退ける勇気   安易を振り捨てる冒険心を意味する

ときには   20歳の青年よりも60歳の人に青春がある

年を重ねただけで人は老いない

理想を失うとき初めて老いる

歳月は皮膚にしわを残すが    情熱を失えば心はしぼむ

苦悩・恐怖・失望により   気力は地に這い   精神は芥になる

60歳であろうと   16歳であろうと   人の胸には

驚異に魅かれる心   おさな児のような未知への

探求心   人生への興味の歓喜がある

君にも吾にも   見えざる駅逓が   心にある



人から    神から    美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受ける限り   君は若い

霊感が途絶え   精神が皮肉の雪におおわれ

悲嘆の氷にとざされる時    20歳であろうと人は老いる

頭(こうべ)を高く上げ   希望の波をとらえる限り

80歳であろうと   人は青春にして巳む


🍀
そんなふうに頑張ってきたレインさんを、私が好きになったのも、必然。。。🤭







読んでくださりありがとうございます。