過去を捨てる~昔の自分と比べるのでなく | いつも音楽とともに

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6~17歳までピアノを習い、22年後39歳でピアノ再開。ショパンのバラード1番で、右手小指のMP関節が緩んで弾きにくい状態となりました。原因不明で治りません、関節が緩い体質が原因とのこと。
~プライバシー重視、知り合いはミクシかツイッターで~

大人の楽器弾きには、再開組レイトスターターがある。

私の場合は、ピアノは再開組で、バイオリンはレイトスターター。

結局、バイオリンは辞めて、ピアノを続けている。

なので、再開組の気持ちも、レイトスターターの気持ちもわかる。

だから、あえて言う「レイトスターターの限界はある」。

多少進歩はするが、子供から習っていた人を超えるほどにはならない事がほとんど。

だから、バイオリンを辞めた。

↑小さい頃からやった方がいい、むしろ6歳は遅いぐらいと言われる。

 

小さい頃に刷り込んだのは大きい、もちろん大人からの能力もないとは言わない。

「三つ子の魂百まで」はあると思う、しかしこうなると今からできる事はないのか?ってなる。

確かに、小学校高学年ぐらいから初めてすごくなった人はいる。数は少なすぎるけど。

 

ついでに言うと『ブランクはないにこした事はない』。

6歳からピアノを始めて17歳で辞めて、22年のブランクでピアノを再開。

ブランクの22年の間は聞くことを堪能したし、フルート・バイオリン・ハープ・三味線等と色々楽器を体験した。

他の楽器を体験したことは役に立っている、でもピアノの訓練で維持する技術は消えてしまった。

ピアノの技術だけで言うならば、ブランクなければ今ももっと技巧曲が弾けたかなと期待してしまう。

 

昔と今は違う人である事を忘れてはいけない、

昔出来たことを今もできると思ってはいけない。

現実、過去と同じようにはできません。

でも、昔と今は考え方も好みも違うから、同じでなくていいのだけど、たまに過去が頭をよぎる。

今時のように誰でも動画をとれたわけでもなく、動画は残ってない。これが、良いのか悪いのか。

「チェルニー50番の●番までやったのに、今は30番を練習」、実はちょっと屈辱感がある。

指はそれなりに回っていただろうけど、音楽性ゼロだったと思う。

 

たとえ音大を受験しなくても趣味で続けていたら、どうなっていたのかなとは思うことはある。

しかし、現実にはブランク22年があり、右手も痛めたため、思いがけない転向はあった。

それでも一応弾いているのだから、今はそれも必然であったのかなと。

 

右手を痛めたこともあるし、年齢を経てきたからか、最近は情緒系に惹かれている。

年をとるだけでは情緒は出ない、でもまだ進歩できるかなと老体に抗っている。

子供の頃使った楽譜は版が古いから、新しいのを買いなおした方が良いというのは事実だろう。

でも、昔の楽譜を今もう一度見ながら使うのも、なかなか興味深い。

あの頃と手の大きさも違うし、右手の条件もあるので、指使いは変わるかもしれない。

 

昔みたいに弾きたい →昔より上手に弾きたい →今 自分が望むように弾きたい

こんな感じ、今思うベストを出したい。

ぶっちゃけ、過去を忘れるようにしなくても、記憶力が悪くなり忘れていってるのもあるかも。