私は子供がずごく欲しかった。でも、なかなか出来なくて妊娠検査薬も沢山買って試したけど線が出る事が1度たりともありませんでした。


 仕事は忙しかったけど午前中お休みをもらい病院に行き、昼から仕事するという事が続きました。

 総合病院の婦人科に行きましたが不妊治療は婦人科ではなくホルモンクリニックという科があると言われ事務の方についていくと産婦人科の入口の所に地下に降りる階段があってそこに降りていくのです。私はそれだけでとても悲しい気持ちになりました。「何で地下なの?」っていつも思いました。


 内診、経膣エコーをして「じゃー来週の○曜日に来て」って感じでした。

 でもなかなか、排卵がなくて注射をしたり薬を飲んだりしました。

 はじめはタイミング療法で先生が「○日に夫婦生活持って、次の日に来て」って感じで治療は始まりました。

 フーナーテスト沈没。頚管粘液の不足。

 次の日もフーナーテスト沈没。排卵も結局あったのかわかりませんでした。


 と言う事で卵管造影をする事になりました。

 膣からチューブを入れ子宮口の奥にチューブの先端を入れていきます。これが結構痛いです。そのチューブに造影剤を通してレントゲン撮影、少し時間を置いてまたレントゲン撮影。約30分ほどで終わりました。


 婦人科外来で説明を受けました。

 「りんりんさんの右の卵管通ってないよ。卵管に水が溜まっていて卵管水腫だし、しかも子宮が凹んでるからMRIできちんと検査しましょう」という話。

 片方、通ってないんだぁ・・・・ショックでした。


 日を改めてMRI検査で分かった事、筋腫の存在。でもその時は3センチと1センチぐらいの大きさでさほど問題はないという事でした。

 今度は片方の排卵を待ってAIHにステップアップです。

 AIHは旦那さんの協力が大事になってきます。一緒にホルモンクリニックに行き精子を入れる入れ物をもらいます。病院の3階にあるエッチなビデオが置いてある個室で精子を採ってもらいそれを急いでホルモンクリニックへ持って行く。

 精子を状態のいいものだけ採取する為の処理に約30分~1時間。


 用意ができたら診察台に座り注射器のような物で子宮口の中に精子を入れて終了です。30分ぐらい横になって帰ります。

 これが1万5000円ぐらい。保険はききません。


 何度した事でしょう。いくらしても妊娠する事はなく、おまけに旦那の精子がとても少なかったんです。私は精神的に参って通院するのを辞めてしましました。



 結婚は私が30歳、旦那が21歳の時にしました。よく、そんなに年下の旦那さんとどこで知り合ったの?と聞かれます。


 それは車です。私は山口に帰ってきた24歳から30歳近くまで車を改造したりするのが趣味でした。それで秋吉台に仲間と走りに行ったりするんです。



りんりんの病気日記


 あぁ~懐かしい。この車であっちこっち「トリップ スピード」のみんなと走りに行ってたなぁ。

 黒の180SX。とても大事にしてました。


 あっ、ちなみに旦那はというと若造のくせにS15シルビアに乗ってました。

 結婚後は私がシルビアをいただいで、旦那はレガシーツーリングワゴンに乗ってました。


 話がそれましたがそういうわけで旦那とお知り合いになりました。


 旦那には私がいろいろな病気持ち(なんか汚いみたいですが)だという事は言ってましたが実際、イレウスになった時の旦那の慌てようは少し笑えるもんがありました。


 33歳の時に咳が止まらず呼吸器内科にかかりました。「喘息」えぇ~って感じでした。その日から風邪を引くたび、掃除をするたび、季節の変わり目になるたびに喘息はどんどんひどくなっていき、仕事も1週間休まないといけなくなったり息切れで動けなくなったりしてました。

 お薬も吸入ステロイド、気管支拡張剤など常備持ち歩かないといけなくなりました。


 


 学校を1年留年して国家試験に受かった私は山口に帰らずにそのまま大阪で就職しました。

 

 ある日、下腹が痛くなったのでMRIをとる事になりました。

 そしたら、子宮の両側に腫瘍らしきものがあるという事で都島の大阪医療センターに紹介となりました。


 詳しい検査の結果、「卵巣膿腫」と言われました。未婚だったので排卵の確認などはしませんでしたが多胞性の卵巣膿腫でいくつも卵巣に袋があると言われました。

 3ヶ月に1度通院して経過観察してましたがよく卵巣が腫れていると言われ、あまりにも大きくなると茎捻転を起して大変な事になると半ば脅されました。痛くなったらすぐに来るようにと言われ、将来、子供は無理だろうと言われてしまいました。