10月末から休職していた私。だいぶん落ち着きを戻しつつありました。でも、買い物は1人で行くどころか人に会うのが怖いって感じでほとんどひきこもり状態でした。


 傷病手当の関係で職場にどうしても行かないといけない時は眠れませんでした。1人で行く事ができず旦那について来てもらったり、不安で不安でブログ友達に愚痴ったり・・・ 

 

 そんな時に母が「今まで放っておいた子宮筋腫の手術受けてみない?貧血で身体がしんどいのが無くなるし、いつかは絶対しないといけない事なんだから」と言いました。

 私は手術が怖くて1度逃げ出した事を思い出してました。あの当時、筋腫が2つで4センチぐらいのと2センチぐらいの大きさだったと思います。もう、1年は検査してません。たしかにどうなっているのか心配ではありましたが、癌ではないのであまり深刻には考えてませんでした。


 母がついて話を聞くというので半ば強引にですが12月はじめに1年超えぶりに総合医療センターの婦人科受診をしました。

 話はあっという間に決まりました。手術は2月になりました。術前検査があるので2月8日に予約受診になりました。


 先生の話では

 ①過去にヒルシュで手術経験が2回ある事

 ②何度もイレウスを起こしている事でお腹の中は想像を絶するような状態になっていると考えられるという事

 ③とても難しい手術になる事

 ④何事にも命優先で無理をしないように手術する事

 ⑤最悪の場合、人工肛門になる恐れがある事

 ⑥命優先で筋腫が取れないとこにあったら取らずにお腹は閉じるという事


 こんな内容の話がありました。


 母は「全て、先生にお任せする」と言ってました。

 次回、受診は2月8日、10日に入院して14日が手術となりました。


 私は2ヶ月も先の事で自分が手術するという実感はその時はまだありませんでした。

 7月の休職は親には内緒でした。心配をかけたくなかった事、すぐ元にもどるだろうという安易な考えからでした。

 でも、あまりにも私の車が家にとまっているのを見て母が話をしに来ました。私はその時、誰と会うのも話すのも出来ない状態だったので旦那に母親に「今は会いたくないと言ってくれ」と頼みました。それが原因で大騒動になったのはいうまでもありません。


 8月から社会復帰、10月に失敗で自傷行為が始まると私は母に「このままだったら私、死んでしまうかもしれない」とメールをしました。私なりのSOSでした。

 それから母は心療内科について来て話を聞いたり私をランチに誘ってくれたりと1人にさせないようにしてくれました。


 母はその当時の事を私にこう言います・

 「いつも自分で決めて弱音を吐く事がなかったりんりんがお母さんに死ぬかもしれないってメールした時、これは大変な事になるかもしれないって家族会議したんよ。落ち着くまで実家に来させたほうがいいんじゃないか、仕事辞めさせたほうがいいんじゃないかってね」


 心配かけたなって思ったけど落ちてる時は自分をセーブできずに苦しくて自分を傷つけて落ちつかせるの繰り返しでした。カミソリ、はさみ、カッター、切れるものならなんでも使いました。いつのまにかそういう刃物は旦那にみんな処分されてました。


 今、思えば何してんやろって思うけど夜に徘徊したりして旦那を困らせてばかりでした。

 それから二度と職場復帰する事はありませんでした。

 AIHを何度かしてダメだった事で自分に自信が無くなってました。だんだんひどくなってくる喘息、仕事もそれ以上にハードになってました。


 この時に子宮筋腫のオペをしたほうがいいかもしれないと言われてたけど怖がりな私は仕事に、ワンコに逃げてました。


 

りんりんの病気日記


 カニンヘンダックスのショコラ 4才



りんりんの病気日記


 ミニチュアダックスのサクラ 4才


りんりんの病気日記


 チャイニーズクレステッドドックのモモ 1才


 私の宝です。この子達の為に朝は6時過ぎから夜は20時ぐらいまで働いて働いて働きまくってました。仕事が忙しくてというか仕事が忙しい事を口実に病院に行く事を1年もサボってしまってました。


 去年の1月に母方の祖父が半分ミイラ化している状態で発見されました。大阪に住んでいたので私と母2人だけの寂しいお葬式でした。

 そしてその年の6月に父方の祖父が急死したのです。


 いままで身内で亡くなった人がいなかったので私は相当ショックを受けたんだと思います。それに続いて仕事場の上司の退職の話。

 本人からでなく人づてに聞いたのもあってとてもびっくりし、私はどうしたらいいんだろうと悩みました。


 事務長からのプレッシャー、無口で遅刻、返事、挨拶1つも出来ない新人。私が検査室を管理しないといけないといけないと思う重圧。

 いつの間にか私は精神安定剤を常用するようになってしまいました。酷いときには飴を食べるかのように口に入れ自分のザワザワする気持ちを騙し騙ししごとしていました。


 そんな時に産業医に「ちょっと」と呼ばれ心療内科へ行く事をすすめられてしまったのです。私はその先生に「本来のりんりんじゃない。私はずっと様子を見てた。そんなに頑張らなくていいんだよ」と言われ大泣きしてしまいました。


 心療内科1回目、テストをしました。結果はうつ、もしくは抑うつ状態。

 その頃はご飯が食べれなくなってました。何もする気が起こらないのです。

 起きていると考えるから寝てばかり、でも不眠なので睡眠薬がないとねむれません。


 仕事は頑張ってやってましたがもう倒れる寸前でした。そんな時、職場から休職をすすめられたのです。突然な事で私はショックでした。

 7月中旬から半月休職、焦る気持ちもあって8月には復帰しました。

 はじめは順調でした。それが段々と被害妄想がひどくなっていきました。音が怖い、普通に話するのに責められているような感覚、態度・・・・

 薬は1日に飲める最大量を服用してました。凡ミスが自分にとっては痛恨のミスに頭の中はなってて自分が許せなくてイライラしたり、落ち着きがなかったり、かといったら誰とも話さず無表情で坦々としている自分もありました。


 薬を飲んでるのに何で?っと自問自答しては気持ちは落ちて行くばかりでした。

 心療内科に通院している事を知っている事務長からは「薬は辞めなさいよ」と毎日言われ、「物忘れがひどくなる、人格がおかしくなる」などの根拠のない事を並べられあげくの果てに「訴訟問題になったら困る」という事でまた休職を通告されました。私はひどくショックを受けて気づいたらトイレの中で血だらけになってました。